現象が自然であれ、人間によるものであれ、人間の本性は、その現象の背後に意味を求める。自然災害のような、いわゆる神の仕業も、リスクアセスメントと危機対応計画によって、被害を防止あるいは緩和できた可能性がある。政治的責任の非難ゲーム(blame game)は、報道機関や議会や捜査機関やパブリックフォーラムやソーシャルメディアなどを巻き込むパブリックプロセスである。現代メディアの勃興は、救援・非難・説明責任についての国民の要求に対処する、政治的圧力を燃え上がらせるようになった。非難は危機を乗り越えるのに必要な機能だが、防御的なネガティブな組織的反応や、責任回避や、非難ゲームは、政府や機関の評判を落とし、効果的危機管理の妨げとなる。
被災者たちや一般大衆は、危機の影響のもとで、答えを探す。非難のアサインメントは災害に意味を与える。自然災害あるいは環境ハザードに脆弱な地域の住民は、安全性と収益性を均衡させているわけではなく、技術的発展は、より大きな便益と破滅的失敗のリスクをセットで提供する。危機の状況に置かれたことで、もっともよく生じる疑問は、危機の性質(何が起きて、どのように起きたのか)と、危機の理由(なぜ起きたのか、防止できたのか)である。
危機が予防可能だと考えられる場合、次の論理的疑問は、誰が危機の予防の失敗の責任者なのかである。これらの疑問に答え、非難をアサインメントることが、災害に意味を与える。自然災害や作物の不作や感染症パンデミックや飢餓などの危機に対する、歴史的説明は宗教を基礎とすることが多かった。非難は、魔法や呪術や魔力への告発や、人間の過ちに対する神の怒り(天罰)の形をとり、悔悛や信仰強化を求める。
現代では、自然災害についての非難は、災害を防止・予知・緩和できなかった人的要因に向けられる。たとえば、非難をアサインメントようとする者たちは、住民が脆弱な地域に住んでいた理由や、政治家や住民が科学的警告に注意を払わなかった理由を問う。化学物質や原油漏れとか、橋梁やビルの崩壊とか、原子力事故などの技術的災害では、操作ミスに関心が集まる。
危機が予防あるいは緩和できたと判断され、必要な対策方法が予めわかっていながら、対策がとられておらず、それが不作為であるとき、現代における非難のアサインメントが特に起きる。非難の必要性は、危機おいて死者が出ている場合にも高まる。スケープゴーティングにより、選ばれた個人やグループや組織に対して、不当なレベルの非難がなされる。スケープゴーティングの心理的動機は、自分の責任あるいは罪を最小化の必要性と、コントロール感の維持の必要性のためである。スケープゴートは政治的都合でも選ばれる。
マスメディアの時代では、非難の政治力学の中で、情報の流れが重油な問題として出現する。メディアを忌避することは、より困難で、効果が小さい。FacebookやYouTubeやTwitterなどのソーシャルメディアや電子メディアの勃興は、危機報告のスピードと範囲を増大させた。被害と苦闘する被災者の鮮やかな映像は、救援・非難・説明責任についての国民の要求に対処する、政治的圧力を増大させる。センセーショナリズムと誤報と、高視聴率に必要な視聴者の興味を惹く、非難ゲームのような対立を煽る記事へのバイアスによって、報道記事は、パブリック非難ゲームを燃え上がらせる。ポジティブな面では、政府や組織はメディアを使って、危機事前対策や、政治的非難ゲームのネガティブな面に対応できる問題解決行動などの情報を広報できる。
非難の政治的利用とその影響
政府の支出の増加あるいは減少や、規模、規制あるいは災害救援の役割や、自助努力の増大や、政府援助依存の削減などの政治課題推進のために、まずい危機管理に対する非難を使う。過剰な計画や官僚機構や必要書類が、不十分で遅い政府の危機対応の原因だと非難される。選挙の年と、災害宣言や救援資金の配分との統計的相関は、危機管理の政治性の一つの例である。
危機あるいは失敗した危機管理への非難は、歴史修正主義や事実歪曲などを含む、普遍的な政治の道具である。政治家とその有権者たちは、経済成長や雇用創出や予算削減や赤字削減など、直近の課題に集中する傾向がある。危機対策計画と緩和策は無視されたり、後回しにされたりする。課題あるいは過小な計画や、政府機関の間の調整不足や、資金不足や、資金配分の誤りや、政治的意思の欠如や、政治指導力の不足や、イノベーションの不足などが、危機対策準備を阻害する。
政府には市民を内部及び外部の脅威から守る義務があるという普遍的な心情が、政治的非難の背後に、もう一つの重要な面である。政府援助への依存度の高まりは、一般市民たちの危機への準備の怠りにつながることを、多くの観察者たちが見てきた。援助がないか、到着が遅いと、政府機関あるいは政府高官への非難が高まる。ボランティアや宗教や企業団体のような非政府組織(NGO)は、官僚機構の制約が小さく、援助受益者の書類作成が不要あるいは簡単に済むので、多くの場合、より迅速に危機援助と復旧支援を行える。NGOは、しかし、非難の政治力学の影響と、その危機管理への影響を受けないわけではない。
ハリケーンカトリナとそのメキシコ湾岸地域とニューオーリンズへの損害に対する、米国政府の対応は、非難の政治力学の代表例である。米国に負える災害救援の現代政治化は、20世紀後半に始まった。フランクリン・ルーズベルト政権のニューディール政策のもとにあった1930年代の大恐慌の時代に、一般市民は連邦政府に援助を求めるようになった。かつては、災害援助は地方公共団体や州政府や民間団体が行っていた。ドワイト・アイゼンハワー政権は、連邦政府の援助を受けられる被災地域大統領指定を最初に実施した。連邦政府の援助プロセスは、さらに、ジミー・カーター政権のもとでの、1979年のFEMA(連邦危機管理庁)の設立で、組織化と政治家が進んだ。
ハリケーンカトリナ通過後の被災状況のもと、広範囲に広がる略奪や暴力やレイプのセンセーショナルな報道が、軍および治安要員は、危険地帯とされる領域の迂回あるいは注意深く立ち入らなければならなくなり、救援や援助を遅らせることになった。後に、これらの報道の大半が間違っていることが明らかになった。州政府及び地方公共団体との調整がなされず、情報不足や不正確な情報のために、そして援助のための過剰な書類作成のために、FEMAの対応は遅滞した。
うまくいかない危機管理と非難ゲームを燃え上がらせた政治的問題が、国際援助コミュニティでも働く。多くの発展途上国や破綻国家では、効果的な危機管理を行うための、十分なリソースやインフラストラクチャーを欠いており、国民は脆弱な居住環境にある。国際的危機援助の政治的動機には、国際危機の、潜在的な国家安全保障と国際友好の維持への影響がある。先進国と危機援助機関は、対処と遅れを非難され、財政危機にある政府からは援助物資輸送を望まれず、問題が圧倒的なものになるまで、民族浄化や飢饉のような危機を無視し、特に長期復旧のための緩和や計画や不適得な資金援助よりも、危機そのものの対応に集中する。
非難の殺到のネガティブな帰結
非難の殺到と、その殺到に対処しようとする組織的反応が、組織と被災者の両方にネガティブな影響を及ぼすことが多い。政府及び組織の危機管理戦略は、非難を悪化させる傾向がある。非難の政治力学で重要な役割を果たす、危機への逆効果な組織的対応は、世界のあらゆる種類の組織で見られる。組織は危機の状況で防御的メンタリティを採用することが多いが、それは報道機関の注視と国民からの非難を避け、非難の矛先をどこか別のところへ向けたいという欲求を高める。防御的スタンスは、危機における組織の役割を誠実に分析するよりも、正当化の認識を強化してしまい、国民からは組織的責任の回避を行い、被災者に対して無頓着であるように見られてしまう。
多くの組織は報道機関との接触を避けようとし、組織内部で危機状況を操作しようとするが、そのようなアプローチは、意図しないネガティブな結果を招きかねない。誤報や不作為は、偶発的でも意図的でも、報道機関及びソーシャルメディア内に、ネガティブな広報を創り出す。非難ゲームは、危機の途中及び危機後の組織的広報における、仮定や、意図せざる誤報や、過大に楽観的あるいは悲観的な声明や、全くの嘘などによって、燃え上がる。
特定のスケープゴートに集中する非難は、危機的状況につながったイベントの連鎖の複雑さを無視している。非難ゲームは、必要な危機救援や復旧作業から注意を遠ざけることになり、それはタイムリーな対応が必要な危機直後において、特に有害である。最終的に、非難のアサインメントによって、危機の原因の正確な特定と対策に使われるべきリソースが別のことに使われ、危機に対する組織的ソリューションと危機の影響緩和と将来の同様の危機防止から、組織とメディアと国民の関心をそらすことになる。
非難の政治力学は、政府の危機管理オペレーション、特に公的セクター内のオペレーションに強く影響を与える。政府機関は、オープンで徹底した調査と、関連団体と要因の特定と、対策アクションを通して、非難アセスメントに能動的に対応して、国民の期待を管理しなければならない。非難の後の信頼の回復を急ぐ中で、多くの政府や組織は、ムダあるいは詐欺的な利用を抑止する適切なプロセスの確立することなく、危機援助資金のばらまきを急ぐ傾向がある。長期的には、非難の回避や防御は、組織の国民的評判を落とすことにつながる。
事態を悪化させる行動傾向について熟知している組織は、そのような行動について警戒を怠らず、したがって、いわゆる非難ゲームの拡大を最小化できる。非難ゲームのネガティブな影響を緩和する要素には多くのものがある。オープンかつ誠実に危機とその影響と、いかなる個人あるいは組織の責任を認めることと、緩和行動により、スケープゴーティングや非難アサインメントを求める国民の欲求を軽減できる。直近の救済と復旧へ集中することは、国民的及び政治的信用を維持することに資するが、いずれ長期的な危機後のアセスメントプロセスで事実が明らかされてしまう。非難プロセスと懲罰的手段におり、政府や組織は危機から通常オペレーションに復帰し、国民の信頼を取り戻す。スケープゴートにされた個人は配置転換されたり、解雇されたりして、正しい役割からはずされることが多い。実際には責任がないか、あったとしても部分的なものだと信じている組織や、将来の訴訟の弱点となるような過失責任を認める声明を出すのを避けたい組織であっても、そのような予防的手段は役に立つ。危機状況における政治的及び感情的性質を熟知していることで、非難したいという人間の傾向のネガティブな影響を削減できるだろう。
[Marcella Bush Trevino (Barry University): "Politics of Blame" in K. Bradley Penuel, Matt Statler, Ryan Hagen:"Encyclopedia of Crisis Management" (2013)]
2016/04/24
メモ「危機的状況化での非難の政治力学」
「危機管理辞典」から「危機的状況化での非難の政治力学」の項目。