何故、インテリジェント・デザインは科学と折り合いがつかないのか
キリスト教でも科学と両立しているところもある。バチカンなんかもそうだ。彼らは「信者は科学に信仰の裏づけを求めるな。科学は神の存在を否定するな。」という形で折り合いをつけようとしている。進化論に対しては、たとえば有神論的進化論という形で対処する。有神論的進化論にも変種群はあるようだが、おおよそ「生命が進化して人間が誕生するように神様が自然法則を創り、物理定数を決めた」と考える。
神様は自然法則を超えた存在であり、神様は直接、生命の進化に介入しない。だから、科学の取り扱い商品にはならず、よって科学は神様の存在を否定も肯定もしない。だから、「信者が科学に信仰の裏づけを求めても、科学は応えない。科学は取り扱い対象外の神様について何も言わない。」という折り合いがつく。
このような有神論的進化論やバチカンの方針では、神様の存在は信仰の中にしか存在しない。存在するか否かを具体的に証明するものはない。信じなければ神様は存在しないとも言える。まさに、この点が不満である人々がいる。「信仰の裏づけを科学に求める」人々が。
物理定数や自然法則の責任者という見えない場所ではなく、見える場所に神様が居てほしいのだ。しかし、神様の居場所は科学が解明していないところ、すなわち「科学の隙間」でしかありえない。これを"God of the gaps"と言う。隙間の神様だね。
時代とともに隙間は科学に埋められるとともに、新たな隙間が見つかる。でもその隙間は次第に手の届かないところ、数学なしに語れない領域へと遠ざかっていく。手の届くところに、神様のより大きな居場所を作るには、既に科学が埋めてしまった隙間を、再び掘り返して隙間にもどし、押し広げないといけない。つまり、既存の科学にけちをつける。
インテリジェント・デザインが進化論にけちをつけるのは、埋められた隙間を掘り返し、さらに隙間を押し広げて、神様の居場所を手の届くところにつくるため。
何故、この偶然を大切にできないのか
地球が安定軌道で存在するためには大型外惑星が2個以下であらねばらないが、アステロイドがさっさと掃除されるためには大型外惑星が2個以上ほしい。全球凍結して解凍できなければ生命は滅ぶが、いまのように繁栄しているのは全球凍結を経験したから。
偶然の積み重ねが、今の地球を、そして人類を形作っている。だからこそ、この偶然を大切に思い、人間という存在の価値の大きさを感じる人も多いだろう。
でも、それは科学ではないし、人類普遍の感覚でもない。もしかすると、それは教義の形をとらない日本という宗教の感覚なのかもしれない。
キリスト教では、神様が目的を持って、人間を創造したからこそ、人間には尊厳があるのだと考える。プロテスタントには「神様が目的を持って、人間を創造したという教義」ではなく、「神様が目的を持って、人間を創造したという事実」によって、人間の尊厳が成り立つと考える人々がいる。
その事実を失えば、人間は尊厳を失ってしまう。「この奇跡のような偶然」では人間の尊厳は守れない。
そう考える人々が、インテリジェント・デザインをかかげている。
人生の目的を守るために
科学はメカニズムの解明だけを行う「機械論」だ。そのような科学の取扱商品には、「意義」「目的」「価値」といったものは入っていない。科学は決して、人類の存在意義も、人生の目的も語りはしない。
しかし、「意義」「目的」「価値」といったものなしに生きていけるほど人は強くない。だから、宗教や信条などによって、人生の目的を決め、価値や意義を決める。
その依って立つべき宗教や信条が、科学と衝突したとき人はどうするのだろうか。自らの宗教や信条を修正するのか、それとも科学を修正するのか。
インテリジェント・デザインをかかげる人々は、科学を修正する道を選んだ。
そういうことなのだ。
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