Richard Weinからの砲撃:
- Richard Wein: Wrongly Inferred Design, 2000/11/16.
- Richard Wein: Not a Free Lunch But a Box of Chocolates -- A critique of William Dembski's book No Free Lunch -- , 2002/04/23.
- Richard Wein: Response? What Response? --How Dembski has avoided addressing my arguments --, 2002/05/27.
- Richard Wein: The Designer-of-the-Gaps Revisited --- A critique of William Dembski's article "Irreducible Complexity Revisited" --- ,2004/02/12.
Dr. William A. Dembskiからの砲撃:
- William Dembski: OBSESSIVELY CRITICIZED BUT SCARCELY REFUTED: A RESPONSE TO RICHARD WEIN,2002/05/09
- William Dembski:
THE FANTASY LIFE OF RICHARD WEIN: A RESPONSE TO A RESPONSE, 2002/06/07
Richard Weinは"God of the gaps"論と同系統の言葉"Argument from Ignorance"で、Dembskiを斬る。この"Argument from Ignorance"とは、SkepDic日本語版によれば
無知に訴える議論は、論理的に不適切な誤りのひとつである。無知に訴える議論は、これは間違いだと証明されていないから正しい、とか、これは正しいと証明されていないから間違いだ、などと言い出すことである。ある意見の真偽は、それを裏付けたり論破したりする証拠にもとづくのであって、意見の逆を裏付けたり論破したりする証拠がないことでは決定できない。
というもの。
Richard Weinによれば、次のようにDembskiは"Argument from ignorance"を展開し続けている("Dembski: Irreducible Complexity Revisited")。
- バクテリアの鞭毛のように還元不可能な複雑さを持つシステムは"直接的なダーウィン進化の経路"では進化しない
間接的な経路があるよ
- それ自体の機能をサブシステムが持っていることが見つかったり、特定されただけでは、このシステムへの間接的なダーウィン進化の経路の証拠にはならない。サブシステムがいかに小進化を経て還元不可能な複雑さを持つシステムへ段階的に変形していったかを詳細かつ検証可能な形での継ぎ目のないダーウィン進化論の説明が必要なのだ。そのような説明は不可能だし、今後も可能にはならない。
一気にではなく、段階的にくっつていけるよ
- Co-optionが、もっと緩やかに段階的に進んでいたらどうだろうか?バクテリアの鞭毛の進化で、自然淘汰でゆるやかにその構造とともに機能も進化したひとつの進化した構造に既存のタンパク質部品がCo-optしたと考えてみよう。最低でも必要なことは、いかに間接的なダーウィン進化の経路が、いかにバクテリアの鞭毛のような実際に還元不可能な複雑さを持つ生化学マシンを合理的に創ったかを詳細かつ検証可能な再構築あるいはモデルだ。
進化論が完全で詳細な説明ができない限り、インテリジェントデザインは正しいという主張を繰り返す。"God of the gasp"論は決して敗北しないというわけ。
まさに、疑似科学の定型パターン通りだ。
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Richard Wein: The Designer-of-the-Gaps Revisited --- A critique of William Dembski's article "Irreducible Complexity Revisited" --- ,2004/02/12.
(強調はKumicitによる)
1.緒言
インテリジェントデザイン擁護者たちは、特定の生物構造の起源にインテリジェントデザイナーが関わっており、この結論は経験的証拠からの科学的推論により正当であると認められると主張する。これらの主張を支持する議論はMichael BeheとWilliam Dembskiによるものだ。これらの議論は、多くの一般書や記事として発表されているが、公式な技術論文は出ておらず、広く生物学者たちなどから批判されている。批判は多く、様々だが、主なものは、ひとたび誤りと混乱を剥ぎ取れば、残るのは使い古されたGod of the gaps論あるいは、"Argument from ignorance"でしかないというもの。この論は、科学者が特定の観察された現象を完全には説明できていないという否定できない前提に基づくもので、それらの現象が従って自然な説明ができず、なのでそれは神によるものだと主張するものだ。ID擁護者たちは「神」という言葉を「デザイナー」(もちろんそれは神だと信じている)に置き換えているが、基本的な論のあり方はまったく変わっていない。
"God of the gaps"論は科学者と科学哲学者たちによって長きに渡って拒絶されたきたので、ID擁護者たちはその論がいかに弱く見えるかわかっており、彼らはより強力な論があると主張する。彼らは、生物の構造が自然淘汰によって進化する確率があまりに小さくて実質的にそのような進化が起きえないと証明できると主張する。たとえ、この主張が正しいと認められてとしても、彼らはなお、"God of the gaps"論に頼る他ない。これらの構造は自然淘汰では進化しえず、これにかわる説明を科学者はできないから、これらはデザインされたはずだという、幾分か強いものではあるにせよ。しかし、彼らのポジションはこれより遥かに悪い。というのは彼らの確率の主張は実質的な議論に裏づけがないからだ。この主張を正当化しようとすれば、彼らもうひとつの論たる"Argument from ignorance"に頼ることになるだけなのだ。「生物学者はこれらの構造がどのように進化したかについての完全に詳細な説明をなしえていない」と。自らの論の空虚さを隠蔽するために、ID擁護者たちは、ID特有の不明確な用語、曖昧な主張、まぎらわしいレトリック、そしてDembskiの場合は、無関係な数学表記によって、読者を惑わす。
この記事では、"God of the gaps"論のメリットは論じない。私の目的は、ID擁護者の論がこのような形式をとることを示すことだ。ID擁護者たちが"God of the gaps"論を擁護したいのなら、ご自由にどうぞ。しかし、困るのは、疑似科学のたわごとの煙幕で、論がより印象的なものであるように見せかけようとすることだ。
Dembskiの最も完全なインテリジェントデザインに対する彼の論の解説は、"No Free Lunch"(Amazon)にある。確率、複雑さ、情報そして指定(Specification)という誤解を招く議論で装っているが、Dembskiの論の中核は還元不可能な複雑さについての論だ。これはBeheが彼の本"Darwin's Black Box"(Amazon,訳本)で論じたものと基本的に同じだ。私は以前、"No Free Luch"を詳細に批判したが、Dembskiは2本の長々しい反論(その1とその2)を書いてきたものの、私の論の本質に対して、応えるのを完全に避けた。
"No Free Lunch"の出版以来、Dembskiは論が大きく変わったかのような記事を数多く書いている。彼は明言していないが、彼の論の鍵となる部分を明らかに捨てた。ここでは、彼の最近の記事"Irreducible Complexity Revisited"で示された論に対して、私は応えることにする(この記事を書き上げる直前に、Dembskiは新しい本"The Design Revolution"を出版した。この本をまだ見ていないので、これ以上コメントできないし、ここの論を変えるつもりもない)。
2. 還元不可能な複雑さからの論
還元不可能な複雑さの、Dembskiの最新の定義は次の通り:
A functional system is irreducibly complex if it contains a multipart subsystem (i.e., a set of two or more interrelated parts) that cannot be simplified without destroying the system's basic function. I refer to this multipart subsystem as the system's irreducible core.
ある機能システムが還元不可能な複雑さを持つとは、それが複数部品のサブシステム(2つ以上の相互作用する部品)から構成され、システムの基本機能を破壊することなく、単純化できないことを言う。複数部品のサブシステムを還元不可能コアと呼ぶ。
BeheとDembskiによる還元不可能な複雑さを定義しようとしたこれまでの試みと同じく、この定義も様々な点で漠然としていて曖昧だ。"部品"を構成するのは何か?Dembskiのたった一つの例(バクテリア大腸菌の鞭毛)では、タンパク質を部品としている。では、タンパク質の集合体は部品を構成するだろうか?タンパク質ひとつはどうだろうか?さらに、"システムの基本機能を破壊することなく単純化」できるサブシステムとはどういう意味だろうか?単純化が現に存在する部品の取り外しに限られる(Beheのもともとの定義)のだろうか、それとも変形したバージョンの部品で置き換えてもよいのだろうか?サブシステムひとつまるごとを、より単純で機能する全く別の原理のサブシステムと置き換えてもよいだろうか?
Dembskiは例をひとつしか挙げていないが、Dembskiは他にも還元不可能なシステムが存在すると仮定しているようだ。しかし、Beheが還元不可能な複雑さを持つと主張するシステムがDembskiの意味での還元不可能な複雑さをもつと仮定するのは誤りだ。というのは定義が全然違うからだ。Dembskiの定義をさらに説明しない限り、Dembskiの意味でバクテリアの鞭毛が還元不可能な複雑さを持つかどうか確認すらできない。
幸い、還元不可能な複雑さは"燻製鰊(red herring)"[訳注: はてなによれば、小説(主にミステリ・サスペンス)で、読者の注意を真相から逸らすために書かれる偽の手がかり。]でしかないので、これらの問いに深く関わる必要はない。Dembskiは還元不可能な複雑さを持つシステムは"直接的なダーウィン進化の経路"では進化しないもので、Dembskiは次のように定義する:A direct Darwinian pathway is one in which a system evolves by natural selection incrementally enhancing a given function. As the system evolves, the function does not evolve but stays put.
直接的なダーウィン進化の経路は、自然淘汰により段階的に所与の機能を強化して進化するものだ。システムは進化しても、機能は進化しないままだ。
議論の都合上、Dembskiの結論が正しくて、バクテリアの鞭毛が直接的なダーウィン進化の経路ではもっともらしく進化できなかったと仮定しよう。で、それで何が問題だろうか?Dembskiの言う直接的なダーウィン進化の経路は、進化論を無理矢理に単純化しすぎた藁人形に過ぎない。実際、進化の過程で、システムが同じ機能を維持し続けるという制約はない。それらの機能は変化しうるし、変化する。ある用途に進化したシステムが別な使い方に、Co-Opt[勝手に用いる]される。Co-Optionについては後のセクションで論じることにする。
Dembskiがあらゆるケースに対して成り立つというなら、明確に進化過程を直接的な経路と間接的な経路に分けて、その両方の可能性を否定できる納得のいく論拠を提示すべきだ。間接的な経路による進化を否定する彼の論は何だろうか?それは「生物学者はそのような経路についての詳細な説明を完全には為しえていないので、そのような経路があるという可能性は拒絶しなければならない」という我らが古き友"Argument from ignorance"ということになる。私がDembskiを誤解しているわけでも、何かを不可欠な部分を省いたわけでもないことを示すために、彼の論全体を紹介しよう:How does the argument from irreducible complexity handle indirect Darwinian pathways? Here the point at issue is no longer logical but empirical. The fact is that for irreducibly complex biochemical systems, no indirect Darwinian pathways are known. At best biologists have been able to isolate subsystems of such systems that perform other functions. But any reasonably complicated machine always includes subsystems that perform functions distinct from the original machine. So the mere occurrence or identification of subsystems that could perform some function on their own is no evidence for an indirect Darwinian pathway leading to the system. What's needed is a seamless Darwinian account that's both detailed and testable of how subsystems undergoing coevolution could gradually transform into an irreducibly complex system. No such accounts are available or forthcoming. Indeed, if such accounts were available, critics of intelligent design would merely need to cite them, and intelligent design would be refuted.
還元不可能な複雑さからの論は、どう間接的なダーウィン進化の経路を扱うだろうか?論点はもはや論理的ではなく経験的なものだ。還元不可能な複雑さを持つ生化学システムに対して、いかなる間接的なダーウィン進化の経路も知られていないというのが事実だ。生物学者が言えることはせいぜい、そのようなシステムから切り分けたサブシステムが他の機能を持つということだけだ。しかし、いかなる合理的に複雑なマシンも、元のマシンとは違った機能を持つサブシステムを含んでいる。それ自体の機能をサブシステムが持っていることが見つかったり、特定されただけでは、このシステムへの間接的なダーウィン進化の経路の証拠にはならない。サブシステムがいかに小進化を経て還元不可能な複雑さを持つシステムへ段階的に変形していったかを詳細かつ検証可能な形での継ぎ目のないダーウィン進化論の説明が必要なのだ。そのような説明は不可能だし、今後も可能にはならない。実際、もしそのような説明があるなら、インテリジェントデザインの批判者はそれを引用するだけで、インテリジェントデザインを論破できる。
"Argument from ignorance"論を使う場合、生物学者の無知を誇張することはDembskiの目的にかなっている。生物学者たちはDembskiが要求するような徹底的に詳細な(継ぎ目のない)説明をできていないかもしれないが、Beheが還元不可能な複雑さを持つと主張したシステムの幾つかに説明の概略を提示している。
これまでの多くの記事でDembskiは"Argument from ignorance"を使ってきたが、Dembskiはそれを否定する。その否定は決して証明されない。替わりに、ひとつの"Argument from ignorance"論の後にまた別の"Argument from ignorance"論が続く。違うのは言葉遣いだけだ。さらに例を示そう:If after repeated attempts looking in all the most promising places you don't find what you expect to find and if you never had any evidence that the thing you were looking for existed in the first place, then you have reason to think that the thing you are looking for doesn't exist at all. That's the argument from irreducible complexity's point about indirect Darwinian pathways. It's not just that we don't know of such a pathway for, say, the bacterial flagellum (the irreducibly complex biochemical machine that has become the mascot of the intelligent design community). It's that we don't know of such pathways for any such systems. The absence here is pervasive and systemic. That's why critics of Darwinism like Franklin Harold and James Shapiro (neither of whom is an intelligent design proponent) argue that positing as-yet undiscovered indirect Darwinian pathways for such systems constitute 'wishful speculations.'
最も可能性があると場所をすべて繰り返し探して、君が見つかると期待しているものが見つからず、もし君が探しているものが最初の場所にあるという証拠がまったくないなら、君が探しているものがまったく存在しないと考える他なくなる。これが、間接的なダーウィン進化の経路についての還元不可能な複雑さの論点だ。だから、そのような経路をたとえばバクテリアの鞭毛(インテリジェントデザインのマスコットとなった還元不可能な複雑さを持つ生化学マシン)について我々は知らないのだ。我々はいかなるそのようなシステムのそのような経路を知らない。ここで欠けているのは、普及と体系だ。だからこそ、Franklin HaroldとJames Shapiro(いずれもインテリジェントデザイン支持者ではない)のようなダーウィン進化論批判者は、そのようなシステムに対する未だ発見されざる間接的なダーウィン進化の経路を事実と仮定するのは"希望的観測"だと論じた。
たとえ、これらすべての前提が正しいとしても、上記の議論は"Argument from ignorance"でしかない。しかし、少なくともひとつは間違っているので、余計まずい。生物学者が間接的名ダーウィン進化の経路の証拠を見つけていないというのは正しくない。DembskiはCo-optionのすべての古生物学的および生化学的な証拠を無視している。
3. Co-option
ある用途に進化した構造が違う用途に使われるというCo-option (あるいはCo-optation)は、進化生物学における基本的な過程だ。最も有名な例のひとつが、化石の記録によってはっきり示された進化のシーケンスである爬虫類のあごの骨からの哺乳類の内耳の進化だ。指導的な進化生物学者Simon Conway Morrisは次のように書いている:
Cooption is, therefore, commonplace (e.g., Finkelstein and Boncinelli, 1994; Holland and Holland, 1999), perhaps ubiquitous, and just what we would expect in organic evolution.
したがって、Cooptionはありふれて(たとえばFinkelstein and Boncinelli, 1994; Holland and Holland, 1999)、おそらくどこにでもあり、生物の進化において期待するものだ。[Simon Conway Morris, "Evolution: Bringing Molecules into the Fold", Cell, Vol. 100, 1-11]
実際、Co-optionは進化論にちょうど都合がよいというより、まったく不可欠だ。複雑な新しいシステムがどこかから突如出現できないので、生物が何か新しいことを始めるときはいつも、既存の構造にCo-optionを使って、別の構造へと進化させたはずだ。これは泳ぐ用途に進化したヒレを、魚が浅瀬の岩を這い回るのに使うくらいに簡単だ。時がたてば、条件が続けば、自然淘汰により、次第にヒレは這い回るのに適するようになり、泳ぎには使えなくなっていくだろう。そして、偶然に這い回る機能がヒレの主たる機能になるだろう。
Co-optionは還元不可能な複雑さからの論の支持者側の単純化しすぎた論を否定するので、Co-optionは彼らの悩みの種だった。これを始めて論じた本"Darwin's Black Box"(Amazon,訳本)において、いま見たとおりのDembskiの最近の記事と同じように、進化の過程を直接的なものと間接的なものに分ける2分法を採った。Beheは直接的な経路による進化に対する(むしろ混乱した)論を提示する一方、間接的な経路にたいしてはいかなる実質的な論もまったく提示していない。
Dembskiが"No Free Lunch"(Amazon)で採用した彼のバージョンの論では、あいまいな直接と間接の2分法を捨てて、そのかわりに明らかにCo-optionをノックアウトできる論を持っていると彼が信じていた。しかし、彼が否定すべく論じたCo-optionのシナリオは藁人形であり、進化論のまた別の単純化しすぎた理解だった。その彼の論では、鞭毛を構成するタンパク質は独立に他の用途で進化し、鞭毛を創るために同時にCo-optされたという仮説にしていた。彼は、多くのタンパク質で構成されている既に存在しているシステムがひとつのユニットとしてCo-optしたというもっと現実的な仮説を考えなかった。というより、これが生物学者たちが提示した仮説なのだ。この可能性を見落としたまま、Dembskiはあらゆる可能性を考慮して、否定して、従って鞭毛の合理的な説明としてダーウィン進化論を決定的に排除したと、間違って主張した:These two conditions transform the definition of irreducible complexity into a vise that allows the Darwinian mechanism no room to maneuver. ... Let me stress that there is no false dilemma here--it is not as though there are other options that I have conveniently ignored but that the Darwinian mechanism has at its disposal.
これら2つの条件により、還元不可能な複雑さの定義は、ダーウィン進化論メカニズムの操作の余地をなくすものに変わった。.... 間違ったジレンマがないことを強調しよう。私が都合よく無視していて、ダーウィン進化論のメカニズムが自由に使える他のオプションはないと。[Dembski: "No Free Lunch", p. 287.]
"No Free Lunch"の出版以後、Dembskiの間違いを指摘され、Dembskiはそれを認めたようにみえる。Dembskiは自分が間違えたとか、論を変えたとか明言していないが、Dembskiは上記のような"Argument from ignorance"に陥る主張を捨て、Beheの直接的な経路と間接的な経路という2分法を新しい煙幕として採用した。彼は今や、以前には無視していた可能性に言及する:But what if instead co-option occurred more gradually and incrementally? In the evolution of the bacterial flagellum, imagine natural selection gradually co-opting existing protein parts into a single evolving structure whose function co-evolves with the structure.
しかし、そのかわりにCo-optionが、もっと緩やかに段階的に進んでいたらどうだろうか?バクテリアの鞭毛の進化で、自然淘汰でゆるやかにその構造とともに機能も進化したひとつの進化した構造に既存のタンパク質部品がCo-optしたと考えてみよう。
ここで、Dembskiは進化を既存のタンパク質部品を構造に加えることに限っているが(もっと大きなパーツも入れれば?)、少なくとも今や彼は構造全体の機能が時間とともに変化した可能性は考慮している。しかし、彼にとって残念なことに、この可能性に対抗するのに使える論法はさらなる"Argument from ignorance"でしかないこと:Minimally what's required are detailed, testable reconstructions or models that demonstrate how indirect Darwinian pathways might reasonably have produced actual irreducibly complex biochemical machines like the bacterial flagellum.
最低でも必要なことは、いかに間接的なダーウィン進化の経路が、いかにバクテリアの鞭毛のような実際に還元不可能な複雑さを持つ生化学マシンを合理的に創ったかを詳細かつ検証可能な再構築あるいはモデルだ。

