2008/10/17

進化論は聖書の一言一句すべてと矛盾するというインテリジェントデザインの父

インテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonが、インテリジェントデザインの内輪向けに書いた記事にこんなのがある:
To talk of a purposeful or guided evolution is not to talk about evolution at all. That is "slow creation." When you understand it that way, you realize that the Darwinian theory of evolution contradicts not just the book of Genesis, but every word in the Bible from beginning to end. It contradicts the idea that we are here because a Creator brought about our existence for a purpose. That is the first thing I realized, and it carries tremendous meaning.

意図的もしくは導かれた進化を語ることは、進化を語るのとはまったく違う。それは緩慢な創造である。そのように理解するなら、ダーウィンの進化論が創世記と相反しているだけでなく、聖書の初めから終わりまで一言一句と相反していることがわかるだろう。創造主は我々を目的を以って存在せしめたのであるから、進化論は我々がここにいるという考えと相反している。これが、まず私が理解したころであり、これはすざまじい意味をもたらす。

[Phillip Johnson: "How The Evolution Debate Can Be Won" (2004) on William Paley Institute for Intelligent Design]
聖書と進化論は並び立たないという明確な主張である。逆に言えば「進化論が正しければ、創世記が間違っているばかりか、聖書の一言一句間違っている」という主張であり、ここまで言うと、あとは戦いあるのみ:
In summary, we have to educate our young people; we have to give them the armor they need. We have to think about how we're going on the offensive rather than staying on the defensive. And above all, we have to come out to the culture with the view that we are the ones who really stand for freedom of thought. You see, we don't have to fear freedom of thought because good thinking done in the right way will eventually lead back to the Church, to the truth-the truth that sets people free, even if it goes through a couple of detours on the way. And so we're the ones that stand for good science, objective reasoning, assumptions on the table, a high level of education, and freedom of conscience to think as we are capable of thinking. That's what America stands for, and that's something we stand for, and that's something the Christian Church and the Christian Gospel stand for-the truth that makes you free. Let's recapture that, while we're recapturing America.

まとめると、我々は若者たちを教育しなければならない。我々は彼らに必要な盾を与えねばならない。我々は、いかに守るかではなく、いかに攻勢にうってでるかを考えなければならない。そして、とりわけ、我々こそが思想の自由を体現するものだという見方とともに、我々を表現しなければならない。我々は思想の自由を恐れることはない。というのは、いくらか回り道をすることになったとしても、正しい方法でなされた良き考えは結局は教会、すなわち真理へと導かれるものであるからだ。考える力を持つ者として考えるために、
我々は良き科学と客観的推論と机上の仮定と高水準の教育と信教の自由の側に立つものである。それこそがアメリカが体現するものであり、我々が体現するものであり、キリスト教会とキリスト教の福音が体現するもの、すなわち我々を自由にする真理である。我々はそれを取り戻し、アメリカを奪還しよう。

[Phillip Johnson: "How The Evolution Debate Can Be Won" (2004) on William Paley Institute for Intelligent Design]
「我々は良き科学の側に立つもの」と高らかに宣言している。

この「良き科学」が何を指すのかは、Phillip Johnsonが科学をいかなるものと考えているかを見ればわかってくる:
The book is forthrightly based on the assumption that the Bible is the inerrant word of God, but I find no fault with any assumption that is candidly stated and honestly defended, however controversial it may be. I only wish that the rulers of science would state their precommitment to naturalism openly and defend it forthrightly, instead of hiding naturalism in the definition of “science” and then presenting as observed or experimentally tested fact conclusions that are actually derived from naturalistic philosophy.

この本は、聖書が神の無謬の言葉だという仮定に率直に基づいてる。しかし、たとえそれが論争の的であるとしても、この本で率直に述べられ、正直に擁護されている仮定に、私は誤りを見出せない。私は科学の統治者たちが、科学の定義に自然主義を隠し、観察あるいは実験的に検証された結論として、実際には自然主義哲学から導かれたものを提示するのではなく、率直に自然主義を擁護してほしいと願う。

[Phillip E. Johnson: "Grand Canyon Mystery Tour" (2004/05) in "Touchstone Leading Edge Archives" on ARN]
普通の用語では、自然主義とは科学の原則たる方法論的自然主義(自然現象の説明に超自然を召還しない)と形而上学的自然主義(超自然は存在しないという哲学)を指す。Phillip Johnson用語では、これらは区別されない。というより、方法論的自然主義を認めず、それを形而上学的自然主義(=無神論)の偽装とみなす。

従って、「現在の科学」は形而上学的自然主義(=無神論)に基づくものであり、有神論の基づけば、別な「良き科学」ができあがる...ということになる。

その「良き科学」がインテリジェントデザインなのだと言えれば、良かったのだろうけど、実際はそうではない。Phillip Johnsonは、インテリジェントデザインに教える内容がないと発言している:
I also don’t think that there is really a theory of intelligent design at the present time to propose as a comparable alternative to the Darwinian theory, which is, whatever errors it might contain, a fully worked out scheme. There is no intelligent design theory that’s comparable. Working out a positive theory is the job of the scientific people that we have affiliated with the movement. Some of them are quite convinced that it’s doable, but that’s for them to prove…No product is ready for competition in the educational world.

私も現時点で、間違いを含んでいるにせよ、完全に働く記述であるダーウィン理論に比肩するような代替理論に、インテリジェントデザイン理論がなっているとは考えていない。比肩しうるようなインテリジェントデザイン理論は存在しない。肯定的理論を導くことは、私が運動で支援している科学系人材の仕事である。彼らの中には、それが可能だと完全に確信している者もいる。しかし、それを証明するのは彼らである。教育界で競合するために、いかなる生産物も準備できていない。

[Michelangelo D’Agostino: "In the matter of Berkeley v. Berkeley "]
「アメリカを奪還しよう」と威勢の良い宣言をするけど、実態はこんなもの。

でも、これは「私が運動で支援している科学系人材」のせいというわけでもない。そもそものインテリジェントデザインの要求仕様が悪いからなのだが。
タグ:id理論
posted by Kumicit at 2008/10/17 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | DiscoveryInstitute | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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