とありげることにする。なお、一般法則論者氏の本拠地はたぶんこれ:
==>いわゆる神の存在証明がもたらす意味について
とっても多くのブログにコメントを残している人である。ただし、反応が得られないときは別のブログへとさっさと彷徨っていく流浪の民な感じを受ける。
では、パラグラフ単位に一般法則論者氏のコメントに対応する。説明の都合で第2パラグラフから:
天然自然の存在の創造主である神が存在する、というと、すぐにID説を支持し、反自然科学の立場だ! 迷信的な宗教を支持するのだ、と早とちりする人たちが、神など存在しないのは高校の物理の教科書楷書を学べば自明だとか宗教など迷信だという人たちが、科学基礎論的な知識も無いくせに、日本ではわんさかといます。「日本ではわんさか」についてわからないが、ここはまったく正しい。
- 方法論的自然主義
自然科学の原則として、「方法論的自然主義(methodological naturalism)」というものがある。これは、「自然界についての説明は自然なものに限られ、超自然に言及しない」というもの。なお「自然な説明」とか「自然(な)過程」と言った言葉は、「超自然ではない」とか「超越的神による自然界への介入ではない」と言った意味合いを持っている。
これに対して、「超越的神は存在しない」という立場が「形而上学的自然主義(metaphysical naturalism)」である。別名「機械論的唯物論」で、自然科学の版図の外側にある。 - 経験的に検証可能
で、「方法論的自然主義」は、もうひとつの原則である「自然科学の対象は経験的に検証可能なもの」すなわと「実験・観察・観測などによって検証可能できるもののみを相手にする」と表裏一体。
自然法則を超越した存在や現象は「経験的に検証可能」ではないので、自然科学の対象外になる。このことは神学的にも当然な流れ。神の被造物たる機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述する機械論の末裔なので、当然、神そのものを記述対象にしない。 - 超越的な神の存在
経験的に検証不可能な超越的神の存在は自然科学の対象外。なので、「超越的神が存在する」も「超越的な神が存在しない」も自然科学の主張ではない。どちらの主張も自然科学と何の矛盾もない。
==>Science for All Americans: 第1章: 科学の本質
つづいて、第1パラグラフにもどる:
反進化論のID説と正統派の科学との対立の原因は、双方が、ヒトが想像力ででっち上げて作ったのではない、それ自体で、ヒトが作ったのではない天然自然の世界の中に、あるようにして在る天然自然の存在の創造主である神が存在する、という事実を発見する手間をかけてないことです。自然科学は「超越的な神」を取り扱い対象外としている。
- 対立原因は一方的にインテリジェントデザイン運動側にある。
ユダヤ・キリスト教の神は「超越的な神」すなわち、自然法則の制定者であり、自然法則の停止・逸脱を行う存在で、宇宙(自然界)の"外側"にいる。この超自然へ自然科学が言及せよとインテリジェントデザイン運動が要求していること。 - "God of the gaps"
インテリジェントデザイン運動側が「手間をかけてない」ことは正しい。彼らは「進化論で説明できないものがある。それは超自然の介入である」という形式の論を使っている。
これは「自然科学の隙間に神を置く」"God of the gaps"と呼ばれる詭弁である。もちろん、研究が進んで隙間が埋まると、そこにいた神様が生き埋めになる。このため、「バクテリアの鞭毛の進化」などの戦線で、インテリジェントデザイン運動側が詭弁・虚偽などの手段を以って、徹底抗戦に出ている。
実際のところ、「進化論で説明できないもの」が「将来も説明がつかないかどうか不明」であり、もし「永劫に説明がつかない」場合でも、それは「神の存在を証明しない」(科学の版図外である哲学においても)。 それは、経験的に検証不可能なネタなら、神様以外にも幾らでも思いつくからだ。
科学的な天然自然の存在の創造主である神の存在証明をして、しかも進化論を認め、生物学者が否定する一人ひとりのヒトの存在理由と存在目的も証明することが出来る考え方があります。ここは完全に間違っている。
- 自然科学は超越的神の存在を対象外としており、存在を証明できない。
ただし、哲学という手段を以って神の存在を証明することは、自然科学と矛盾しない。 - 生物学は「ヒトの存在理由と存在目的」を取り扱わない。
「神の被造物たる機械仕掛けの宇宙を自然法則で記述する機械論の末裔」には、「存在理由や存在目的」を取り扱い対象外。従って、生物学に「ヒトの存在理由と存在目的」には登場しない。ただし、その存在を肯定も否定もしない。
なお、生物学者は普通、取扱商品である生物学について「方法論的自然主義」の立場をとっているはずだが、プライベートは知ったこっちゃない。敬虔なキリスト教徒から攻撃的無神論者まで様々。 - ただし、哲学などの手段を以って「ヒトの存在理由と存在目的」を解明・説明・証明することは、何ら自然科学と矛盾しない。というか関知しない。
そして、最後のパラグラフ:
ヒトの存在理由も存在目的も、テレビにはテレビの原理があり、扇風機には扇風機の原理があるように、人としての生き方の原理があることも説明出来ない現在の正統派の科学は、一般法則論者から言わせると、妄想の類に属します。前半までは何の問題もない。自然科学はその方法の実装上、「ヒトの存在理由も存在目的も..人としての生き方の原理があることも説明出来ない」。
「ヒトの存在理由も存在目的も..人としての生き方の原理」を解明・説明・証明したければ、自然科学の再定義や改竄などではなく、哲学や神学を使うのが正しい。
一般法則論者氏が「ヒトの存在理由も存在目的も..人としての生き方の原理」を哲学として探求しているのではあれば、Kumicitには特に異論・意見はない。そのようなものを取り扱い対象外とする自然科学を「妄想の類に属する」と思うことにも、特に文句を言うつもりもない。
ただし、自然科学が:
- 方法論的自然主義の原則のもと、超自然に言及しない。従って、超越的神はその存否も含めて取り扱い対象外としている。
- 実験・
観測観察・観測など経験的に検証なものを対象とする。
あと、上では言わなかったが、「自然科学は一時的真理である」というのがある。新たな実験・観測・観察によって、理論は修正され続ける。逆にいえば、「自然科学が絶対的真理」になったら、研究屋はやることがなくなって全員失業さ...
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あとは、一般法則論のブログをもっと読んで頂くことを期待して、一言だけコメント。
この世界の成り立ちと仕組みの発見と理解に関して、物質に関する科学的な世界観が全てで絶対のようですね。
例えば物質を作っている根源の仕組みが分かっても、ヒトとしての生き方がそこから出てこないことを一般法則論では問題にしています。
これを明らかにしないと、人類が今抱えて居る問題の解決ができません。
そしてこれは一般法則論が取り上げて説明する前に既に決まっていることです。
自然科学が取り上げている物質とその性質も、科学者が発見する前に既にそれがどういうものか自然によって決められています。
天然自然の存在の創造主である神がいるかいないか、ヒトの生き方の原理があるかないか、あるとすればそれはどんなものかは、これらが既に全てのヒトにとって客観的にかつ確定的に決まっている世界にあとから生まれた私達からみれば、それを自然科学がやっているように、科学と同じ方法論で客観的に発見することができますし、またこれをしなくてはなりません。
私達の生は科学技術の利用でも明らかなように、この世界の成り立ちと仕組みの正確な理解を前提にし基礎にしています。
ヒトの生き方の原理はこの世界の成り立ちと仕組みの一部です。これを無視し続けていては ヒトとして何時までもまともに生きることが出来ません。
しかし、無知で唯物論にこだわる自然科学は、この発見をする事を拒否し続けています。
真に不思議なことです。
一般法則論