インテリジェントデザイン"理論"は、その借用であるため、同じ形式になっている。時計と生物器官のアナロジーから、時計には時計職人がいるので、生物器官にはインテリジェントデザイナーがいるという論をとる。ただし、理論展開にアナロジーがあるというのは散々に批判されてきたため、「ただのアナロジーではなく、真にアナロジー」という言い訳をすることがある:
What is worse for Dr. Story is that Behe does NOT make an argument from analogy, anyway. The arguments proffered by both Behe and other design theorists like Dembski and Meyer focus on the properties humanly designed objects and biological objects actually share, not properties that have some analogous resemblance.DNAと設計図、生物器官と人間の創る機械の違いを挙げることができる。
Dr. Claig Storyにとってさらに悪いことは、Beheはアナロジーからの論を使っていないことである。Beheや、DembskiやMeyerのようなデザイン理論家は、人間がデザインしたものと生物学的なものが本当に共有している性質を対象としているのであって、アナロジー的に似ている性質ではない。
For instance, these theorists often point to what is at the heart of all biological life, namely DNA. They then point out that this biological information has the SAME semantic properties that human written or spoken language has. They are not making an analogy at all. Rather, at the very heart of life, we have found a property that in every other situation we KNOW is designed. The same goes for the organizational properties and the functions displayed by a host of irreducibly complex molecular machines. These properties and functions are ones held in common with human-made machines. They are not mere analogous properties.
たとえば、これらのデザイン理論家たちは、生物学的生命の中心たるもの、すなわちDNAを指し示す。彼らはそして、この生物学的情報が、人間が書いたり話したりする言語が持つのと同じ意味的特性を持つことを指摘する。彼らは、まったくアナロジーを使っていない。むしろ、生命のまさに中心に、デザインされたとわかっている他の状況に見られる特性を我々は発見した。同じことが、還元不可能に複雑な分子機械が持つ組織的特性と機能についても言える。これらの特性と機能は、人間の創る機械にも共通するものだ。それらはアナロジーな特性にとどまるものではない。
[Logan Gage: "Behe's Critics Fail to Understand Analogies and Design Detection" (2008/10/30) on Discovery Institute公式ブログ]
- 設計図は機械の一部ではないが、DNAは生物の一部である
- 自己複製機械とウィルス以外の生物は自己複製という点で共通点を持つが、自己複製じゃない機械はその共通点を共有しない。
あるいは、こんな例を考えてみるのもいい。
"3つで500円の腕時計"と、ロレックスの高級腕時計は、時刻を示すという同一かつ基本の機能を持ち、その機能の実現方法も同じである(たとえばクォーツとか)。従って、"3つで500円の腕時計"もロレックスの技術者が作った。所詮はアナロジーなんてこんなもの。
生物器官と人間の創る機械に共通するものも、こんなものかも。そうでないと示すことが必要だが、インテリジェントデザイン"理論家"たちは、示せていない。