33万という数を考えれば、「HIVはAIDSの原因ではない」というHIV否定論によって、死なずに済んだかもしれない人々を死へと追いやった、Thabo Mbeki前大統領責任は大きい。しかし、南アフリカにAIDSが蔓延することになった責任はThabo Mbeki前大統領にはない。
HIV感染拡大は、南アフリカ最後の白人政権のときに既に進行していた。HIVの感染の広まりを反映していると思われる産婦人科来院者のHIV感染率が、それを示している:
南アフリカの産婦人科来院者のHIV感染率の推移
[REPORT - THE NATIONAL HIV AND SYPHILIS PREVALENCE SURVEY -- SOUTH AFRICA 2007 (2008) by National Department of Health, South Africa]
- Frederik Willem de Klerk (15 August 1989 – 10 May 1994)
在職1年経過した1990年には産婦人科来院者のHIV感染率は0.7%だったが、政権を去る前には4%を超えていた。 - Nelson Mandela (27 April 1994 – 14 June 1999)
Nelson Mandela大統領は、人種融和を最優先にしていて、AIDS対策には消極的だった。そのため、在職最後の1999年には感染率は22%を越えてしまっている。まさにアウトブレーク。 - Thabo Mvuyelwa Mbeki (14 June 1999 – 24 September 2008)
感染率はさらに増大するが、感染拡大なアウトブレークから、平衡状態なエンデミックに移行している。Thabo Mbekiが政権を獲得した時点では、HIV感染は拡大しつくしていた。
南アフリカ初の黒人政権誕生を祝っていた時、HIV感染が拡大していた。そして、ドキュメンタリー映画"Angels in the Dustが伝えるような状況に。
私たちはティーンエイジャーたちを埋葬している。
私たちの友達。
週末には数百人の人々が埋葬される。
墓地はいっぱいで、空きがなくなってしまった。
20年後には本当にここには誰もいなくなってしまう。
(2010年までに、HIV/AIDSによって親を亡くす子供たちの数は最大2500万人になるだろう)
(しかし、南アフリカのある一家が500人の子供たちの面倒を見ている)
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