If we are just occurrences that result from random and undirected natural processes then we have no inherent purpose. However, if we are the product of design then we have an inherent purpose since all designs have a purpose.これだけでは「目的ある人生」とやらが何なのかわからないので、米国のキリスト教における人生の例を絵画で見てみることにしよう。
ランダムで方向性のない[神の関与しない]自然の過程によって我々が出現したなら、我々は目的を持たない。しかし、我々がデザインの産物なら、あらゆるデザインには目的があるので、我々には目的があることになる。
[REMARKS OF JOHN H. CALVERT, J.D.: TO THE STANDARDS COMMITTEE of the Ohio State Board of Education (2001/01/13)]
作者はHudson Riverをこよなく愛した米国19世紀の画家Thomas Cole[1801-1848]で、作品はThe Voyage of Lifeである。
Thomas Cole [1801-1848]: "The Voyage of Life" [1840]このような世界観だと、永遠の命という報償と、その報償を受け取るエンティティである魂の存在が、「人生の目的」とセットになっていそうだ。
幼年期
最初の絵である幼年期は、重要な物語の要素を紹介するものである。航海と天使と河と意味深い風景である。幼児は安全なボートの中にいて、天使に導かれている。風景は青々としている。幼年期の無邪気さと喜びを反映して、すべては静穏で、暖かな陽の光に照らされている。Cole自身が語るところによれば「我々の現実の起源と不可解な過去を象徴する」暗い岩肌の洞窟から、ボートが出てくる。幼年期の保護された経験を象徴して、河は穏やかで、川幅も狭い。船首の上の像は時の流れを示す砂時計を持っている。
The Voyage of Life Childhood [1840] at National Gallery of Art
青年期
第3の絵である"青年期"は、同じく豊かな緑の風景を見せているが、ここでは航海の経験にあわせて、視野が広くなっている。今や。青年は自ら舵柄を掴む。天使は岸辺から青年を見ていて、手を振り、青年にボートを委ねている。青年の熱意と活力は、前のめりの姿勢と、風にはためく服からも明らかに見てとれる。遥か彼方の空の幻の城は白く微かに光っていて、人間の野望と夢を象徴している。
青年には、静穏な河はまっすぐに城へとつながっているように見えるが、絵の遥か彼方の右側には、荒れて波立ち、岩場になっている河がちらっと見えている。Coleはこの風景と青年の野望について次のようにコメントしている。「明瞭な河の流れと聳え立つ樹々と山々と遥か彼方まで広がる風景と澄み渡る空は、何が現実かを経験によって学ぶ前に、精神が、ありきたりから壮大な高みへと上がったときの、若きイメージのロマンティックな美を示している。
The Voyage of Life Youth [1840] at National Gallery of Art
壮年期
次の絵である"壮年期"では、青年は大人へと成長し、今や人生の試練に直面している。ボートは傷つき、舵柄は流されてしまった。河は恐ろしい急流となり、岩にあたって白く波立ち、危険な渦を巻き、波がうねっている。青年期の温かな陽の光は、暗い嵐の空と土砂降りの雨に隠れされている。樹々は風に打たれ、しなり、幹に葉はない。清々しい草はなく、固く、人を寄せ付けない岩肌が露出している。ボートの中で男性はもはや自信を失って、ボートを操ることすらできていない。天使は空高くにあって、男性を見つめているが、男性は天使が見えていない。男性は天使がそこにいて、彼を助けてくれるという信仰に頼るほかない。Coleは言う「トラブルは成人期の特徴である。幼年期には不安はない。青年期には絶望はない。経験が我々に世界の現実を教えてくれたときののみ、我々の目から人生の初期の金色のヴェールをめくり上げることができる。そして、我々は心から終わることなき悲しみを感じる。絵の中で、暗い日蝕のような色調と、矛盾する要素、嵐に裂けた樹は、それらの寓話である。そして、ぼんやりと見える海は、人生の終焉を意味している。そして航海はその海へと近付いている。
"成人"の絵の中で、対角線上に強調されたものがある。天空へとそそり立つ急峻で人を寄せ付けない岩山と、絵中央下部に描かれた、流れの中と水面にある全てのものを押し流し、ねじれ泡立つ急流へ流れ落ちる河。2つの岩壁に挟まれた非常に狭い河の流れは、ボートが激流をすりぬけられるかどうか、見極めようとする者たちの緊張感を高める。
絵を見る者たちは、遥か彼方の背景に地平線を垣間見る。遠くの海が黄昏色の空と接している水平線が、この絵の唯一の水平線である。前景の混沌と荒涼とした場面の中に、この遠景は見る者の心落ち着かせる。Coleは焦点をこの下の、中心の右側に置いた。一つの水平線と暗い画面の中の暖色という組み合わせと、人を寄せ付けない風景は、見る者を何度も引き付ける。
ふしくれだった木の幹のシルエットは岩と河の対角線に対置され、見る者の視線を風景に押し戻す。Coleの作品では、未開の荒々しい荒野とあらゆる危険性の象徴として使われる、ねじ曲がり朽ちかけた木の幹がある。樹の上の漏斗型の雲は、視線を、上と左の空の人を寄せ付けない雲へと導く。下向きの雲の弧が視線を再び河へと向ける。
The Voyage of Life Manhood [1840] at National Gallery of Art
老年期
最後の絵"老年期"は、死のイメージである。男性は年老いている。彼は人生の試練を生き抜いた。水面は穏やかになっている。河は永劫へと流れていく。ボートの船首像と砂時計は失われている。衰えた航海者は最期の時へと到達した。彼方に天国からの天使がいる。一方、守護天使はボートのすぐそばに浮遊して、他の天使たちを指差している。人生を通して男性を支えた信仰の知識に喜びを感じる。地上の風景はほとんどなく、わずかな岩場が世界の果てを示しており、暗い水面が彼方へと続いている。Coleはこのシーンを次のように描写しする「肉体的存在は失われゆき、精神は既に永遠の命を垣間見ている」
The Voyage of Life Old Age [1840] at National Gallery of Art
だとすると、創造主がいて、人間を創造しても、魂が存在しなければ、きっとインテリジェントデザイン支持者たちは満足しないだろうなあ...