2008/12/02

Michael Egnorの「自己同一性」

Michael EgnorがDiscovery Institute公式ブログで、非物質的なものでないと説明できないものとして6つ例を挙げている。そのひとつが同一性の持続:
Persistence of Self-Identity (自己同一性の持続)

We are the same person throughout our lives, despite a continual turn-over of matter in our brains. The matter that constitutes your brain today is different matter, for the most part, than the matter that constituted your brain ten years ago. Furthermore, your brain matter is organized differently now than it was ten years ago. Yet your sense of identity, which is a fundamental characteristic of minds, is continuous over time. You are you, despite profound changes in brain matter and organization. What property then is the “same” that accounts for you being the same? It’s not matter and it’s not organization of matter. Hume thought that the sense of personal continuity was the result of a continuous string of memories, but his theory begs the question. Who is it that has the string of memories? Continuity of self is a prerequisite for a string of memories, so it can’t be the result of a string of memories. Persistence of self-identity through time can’t be explained materialistically; the most reasonable explanation is that there is an immaterial component of the mind that is continuous over time.

我々の脳内物質は連続的に入れ替わり続けているが、我々は生涯を通じてい同一人物である。今日、あなたの脳を構成している物質の大半は、10年前にあなたの脳を構成していた物質とは違っているだろう。さらに、あなたの脳物質は10年前とは違った構成になっているだろう。それでも、心の基本的な特質である同一性の感覚は時を経ても連続している。脳の物質と構成が違っていても、あなたはあなたである。それでは、いかなる特性が同じであることによって、あなたが同じたらしめているのか? それは物質ではなく、物質の構成でもない。Humeは個人の連続性の感覚は一連の記憶の連続性の結果だと考えたが、彼の理論は問題を回避している。一連の記憶を持つのは誰かという問題を。自己の連続性は一連の記憶の前提条件であって、一連の記憶の結果ではない。時間を通しての自己同一性の連続性は唯物論的には説明できない。もっとも合理的な説明は、心の非物質的な要素が時間を問うして連続的であるというものである。

[Michael Egnor : "The Mind and Materialist Superstition" (2008/11/26) on Discovery Institute公式ブログ]
「一連の記憶を持つのは誰かという問題を」と言って、魂を召喚したいMichael Egnorだが、そんなもの召喚しても話は終わらない。

参照可能な記憶が「魂」ではなく「脳」にある限り、「一連の記憶の連続性」さえあれば、「一人の人間に対して一個の魂が連続的に存在している」必要性は全くない。

==>忘却からの帰還: 「魂」をもてあそぶ (2007/10/02)

たとえば、

  • 「一連の記憶の連続性」に従って「魂」も時間を歩まなくてもよい。「一連の記憶の連続性」があるので、逆順でも、ランダムでも構わない。24歳時点を1秒なぞって、次は72歳時点を5秒なぞって、その次に12歳時点を1秒なぞっても、魂から見えるのは常に「一連の記憶の連続性」だけ。
  • 一個の魂が一人の人間にアタッチされていなくてもよい。ミリ秒単位で魂が交替し続けてもよい。一兆個の魂が一人の人間に同時にアタッチされていてもよい。
  • 魂の寿命が1秒でもよい。次々に生成された魂が人間にアタッチされていけば、「一連の記憶の連続性」があるので、自己同一性の持続はあるように見える
「一連の記憶を持つのは誰かという問題を」持ち出しても、「魂」の連続性が必要になるわけではない。

「人間の誕生時点で、創造されて人間にアタッチされ、人間の死亡時にデタッチされる」という「魂」という暗黙の前提を持ち出さない限り、「魂の連続性」は特に必要性はない。そして、「魂の連続性」が必要ないなら、そもそも「魂」を持ち出す意味がない。(もちろん、「魂」が存在していてもかまわないけどね)

つまり、「魂」の仕様について、キリスト教的な限定をかけないと、Michael Egnorの論は何も言ったことにならない。
タグ:id理論
posted by Kumicit at 2008/12/02 09:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | DiscoveryInstitute | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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