2008/12/15

創造論者が使ってはいけない論(第28回) -- 自然選択はトートロジー -- [まとも後アフォ]

Answers in Genesisの創造論者が使わないほうがいい論

「自然選択はトートロジー」

自然選択はある意味ではトートロジーである(すなわち、誰が最も適応しているか?生き延びた/子孫を多く残したものである。 誰が生き延び/子孫を多く残すのか?最も適応したものだ。)しかし、これの多くは、意味論的な言葉のやりとりであって、問題がどのように定められるか、そして、定義が何の目的で上がるか次第である。循環論法と真実が手をつなぐようになる多くの分野が世の中にはある(例えば、電荷とは何か?電界が働く物質の性質。電界とは何か?電荷に対して働く空間領域。しかし、誰も、電磁気学が無効で、モーターがなぜ動くか説明できないとは主張しない。)-- 循環論法を何かの独立した証明として使ってはいけないというだけのことである。何かがトートロジーであれば、それは起こらないという印象を与えるなら、トートロジーの問題はミスリーディングである。もちろん、人間のブリーダーが選択するように、環境も選択できる。それはもちろん、魚が哲学者に変わりうることを意味しない。--- 真の問題は変化の特性、すなわち情報の問題である。トートロジーについての議論は、ネオダーウィニズムの本当の弱点--新しい情報の源が必要だという点 --から注意をそらすことにつながる。適切な変化の源泉が与えられれば(たとえば、メンデルの組み換えに対するキャパシティによる、創造された遺伝情報の豊富さ)、生物の再生産により、与えられた環境への適応性が期待できる。そして、これは実際には十二分に示されている。

自然選択は、ノアの洪水後の種の拡散についての創造論モデル化の有効な説明の道具となる。
反進化論な主張(情報の問題)にまみれているが、「自然選択はトートロジー」への対抗説明としては正しい。「Mark Isaakの創造論者の主張」は正しい記述だが、インパクトはこっちが強力。

ノアの箱舟に搭載可能な動物の数と、現在の種の数の大きすぎる差を埋めるために、"若い地球の創造論"では、地理的隔離と自然選択による種分化が必要。そのため、「自然選択はトートロジー」というかつて使われていた論法を一掃する必要があり、「トートロジー表現に問題はない」という直接的な対応をしている。

Mark Isaakの創造論者の主張

Claim CA500:
Natural selection, or "survival of the fittest," is tautologous (i.e., uses circular reasoning) because it says that the fittest individuals leave the most offspring, but it defines the fittest individuals as those that leave the most offspring.

自然選択あるいは適者生存はトートロジーすなわち循環論法である。というのは、適応した個体が子孫を残すと言っているが、適応した個体を、最も子孫を残した個体と定義しているからだ。

Source:
Gish, Duane T., R. B. Bliss and W. R. Bird. 1981. Summary of scientific evidence for creation. Impact 95-96 (May/Jun.).
Morris, Henry M. 1985. Scientific Creationism. Green Forest, AR: Master Books, p. viii.

Response:

  1. 適者生存は進化についてのお粗末な理解である。ダーウィン自身は種の起源の第1版でこのフレーズを使っていない。ダーウィンが言ったことは、継承可能な変異が繁殖率に影響するというものである。これは循環論法でも、トートロジーでもない。これは実験的に検証可能な予測であり、検証された予測である[Weiner 1994]。

  2. トリビアルに真でないなら、フレーズはトートロジーにはなりえない。適者がだめになることを提案する理論もあった:

    • Alpheus Hyattは、少年期・成年期・老年期・死をたどる個体のようなリナージュを提案した。このサイクルの終わりに向かって、適応した個体は他の個体よりも、より死んでいく[Hyatt 1866; Lefalophodon n.d.]。
    • 定向進化論は、あるトレンドがひとたび始まると、たて有害になろうともトレンドは進み続け、滅亡にいたる。たとえば、オオツノシカは大きな枝角を持っていて、大きくなりすぎて支えきれずに滅びた。
    • 適応した個体は特定環境に理想的に適応したものと考えられる。そのような理想的な適応は、しかし、他の環境にはうまく適応していない。もし環境が変化すれば、適応した個体は、もはやいかなる環境にも適応していない。特定環境にはフィットしていないが、広く適応している生物が生き延びる。


  3. ダーウィンにとって適者とは、生存した個体ではなく、その持てる特徴によって生存すると期待できる個体だった。たとえば、野生の犬は選択的に骨髄インデックスの弱いインパラを捕食する[Pole et al. 2003]。この定義では、適者生存はトートロジーではない。同様に、生存は個体の生存期間によって定義されるものではく、次世代をどれだけ残したかによって定められる。このような定義では、適者生存はおおよそダーウィンの言ったものになり、トートロジーではなくなる。

Links:

  1. Lindsay, Don. 1997. Is "survival of the fittest" a tautology?
  2. Wilkins, John. 1997. Evolution and philosophy: A good tautology is hard to find.

References:

  1. Lefalophodon. n.d. Alpheus Hyatt (1838-1902).
  2. Hyatt, Alpheus. 1866. On the paralellism between the different stages of life in the individual and those in the entire group of the molluscous order Tetrabranchiata. Memoirs Read Before the Boston Society of Natural History 1: 193-209.
  3. Pole, A., I. J. Gordon and M. L. Gorman. 2003. African wild dogs test the 'survival of the fittest' paradigm. Proceedings of the Royal Society, Biological Sciences 270(Suppl. 1): S57.
  4. Weiner, Jonathan. 1994. The Beak of the Finch. New York: Knopf.

Further Reading:

  1. Gould, Stephen J. 1976. Darwin's untimely burial. In Michael Ruse, ed., Philosophy of Biology, New York: Prometheus Books, 1998, pp. 93-98.


コメント



この項目は、インテリジェントデザイン運動と大きく異なっている。Answers in Genesisが自然選択を創造論に取り込んでいるのに対して、自然選択という考え方そのものにインテリジェントデザイン運動は敵対的である。たとえば:
Johnson begins by recognizing a stark contradiction in the law: creationism has been banned by the courts because it is “religion,” yet evolution is permitted despite the fact that evolutionary literature is full of anti-religious arguments. Johnson might be willing to tolerate this hypocrisy if evolution proves correct. But he argues that when natural selection proves to be a tautology, whose empirical power has proven to cause little more than oscillations in the sizes of finch beaks, he has just cause to be skeptical.

Johnsonは創造論が宗教だとして法廷で違憲判決を受けたのに、反宗教の論に満ちた進化論の文献が容認されているという法律上の矛盾を認識するところから始める。Johnsonは進化論が正しいと証明されれば、そのような偽善も容認するつもりである。しかし、自然選択がトートロジーだと証明され、その力がフィンチの口ばしを大小させるだけのものだとするなら、懐疑的になる理由があると論じる。

[Editorial Review of "Phillip E. Johnson: Darwin On Trial (1991/01/01) on Discovery Institute]
本来、インテリジェントデザイン"理論"は、"古い地球の創造論"と"若い地球の創造論"の両方との互換性を保つように作られたはずである。しかし、この自然選択に関しては、"若い地球の創造論"に対して非互換になっている。

このあたりついては、また別の機会にでも。
posted by Kumicit at 2008/12/15 06:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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