2006/01/10

アンインテリジェントデザイナー

インテリジェントデザインに対して、アンインテリジェントネットワーク(Unintelligent Design Network, Inc.)がインテリジェントデザイナーは馬鹿であるというジョークを飛ばしたり、Dr. Mark Perakhが「1個部品をはずしたら壊れるようなIrreducible Complexityはデザイナーが出来が悪い証拠」と言ったりと、アンインテリジェントデザイナーという批判は既に、多くなされている。

これに対して、インテリジェントデザインの数学担当Dr. William A Dembskiは反論している。しかし、自爆方向に反論しているようなのだ。

William A. Dembskiは「Intelligent Design is not Optimal Design(インテリジェントデザインは最適デザインではない)2000/02/02」というネット上の記事で次にように対応している。

I was recently on an NPR program with skeptic Michael Shermer and paleontologist Donald Prothero to discuss intelligent design. As the discussion unfolded, it became clear that they were using the phrase "intelligent design" in a way quite different from how the emerging intelligent design community is using it.

私は最近、懐疑論者Michael Shermerと古生物学者Donald Protheroとインテリジェントデザインを議論するNPRの番組に出た。議論が展開して、彼らが「インテリジェントデザイン」という言葉を、イテリジェントデザイン運動側が使っているのと全く違い意味で使っていることが明らかになった。

The confusion centered on what the adjective "intelligent" is doing in the phrase "intelligent design." "Intelligent," after all, can mean nothing more than being the result of an intelligent agent, even one who acts stupidly. On the other hand, it can mean that an intelligent agent acted with skill, mastery, and eclat. Shermer and Prothero understood the "intelligent" in "intelligent design" to mean the latter, and thus presumed that intelligent design must entail optimal design. The intelligent design community, on the other hand, means the former and thus separates intelligent design from questions of optimality.

「インテリジェントデザイン」という言葉について、形容詞「インテリジェント」がどういう意味を持っているかが混乱の元だった。結局、「インテリジェント」はインテリジェントエージェントがたとえ愚かに行動したとしても、その結果を意味する。一方、インテリジェントエージェントがスキルと専門的技能とはなばなしさを以って行動することも意味しうる。ShermerとProtheroは「インテリジェントデザイン」の「インテリジェント」を後者の意味でとらえ、インテリジェントデザインは最適デザインをしなければならないと考えていた。インテリジェントデザイン運動側では、他方、前者の意味でとらえ、インテリジェントデザインと最適さについての議論を切り離している。


もともとキリスト教の神様のつもりで、偽装として名前を取りはずしたものがインテリジェントデザイナー。しかし、生物が最適デザインでない実例は幾らでも出てくるので、Dr. William Dembskiは「インテリジェント」は「インテリジェント」ではないと言い出す。

なお、この記事をネットにアップした翌年2001年2月に出版されたWilliam A. Dembski "Signs of Intelligence: Understanding Intelligent Design"
(Amazon)のp57にも同様の記述がある。

しかし、もちろん、Dembskiはインテリジェントデザイナーが愚かだなどとは考えない。生物が最適でないのは、制約条件のもとでの最適化だからだと主張する。その根拠は、現実の設計者たちも真に最適なものをつくっていないからというもの。ただし、制約条件の原因たる矛盾する複数の目的が何かをDembskiは語らない。

No real designer attempts optimality in the sense of attaining perfect design. Indeed, there is no such thing as perfect design. Real designers strive for constrained optimization, which is something completely different. As Henry Petroski, an engineer and historian at Duke, aptly remarks in Invention by Design: "All design involves conflicting objectives and hence compromise, and the best designs will always be those that come up with the best compromise."[1] Constrained optimization is the art of compromise between conflicting objectives. This is what design is all about. To find fault with biological design because it misses an idealized optimum, as Stephen Jay Gould regularly does, is therefore gratuitous. Not knowing the objectives of the designer, Gould is in no position to say whether the designer has come up with a faulty compromise among those objectives.[2]

現実のデザイナーは、完全なデザインを実現するという意味では、最適を狙わない。実際、完全なデザインなどない。現実のデザイナーは制約条件のもとでの最適を追求するものであり、それは最適とはまったく違うものだ。Dukeの技術者であり歴史家でもあるHery Petroskiが、デザインによる発明について適切に論評しているように「あらゆるデザインは矛盾する目的を含み、それ故に妥協を含む。最良のデザインは常に最良の妥協から生み出される」[1]。制約条件のもとでの最適は互いに矛盾する目的の間の妥協の産物である。これがデザインのすべてだ。生物のデザインに欠点が見つかるのは、Stephen Jay Gouldが常に言うように、理想的な最適がないからだ。デザイナーの目的を知らなければ、Gouldはデザイナーがそれら目的の正しくない妥協をしたかどうか言う立場にない。

[1] Henry Petroski, Invention by Design: How Engineers Get from Thought to Thing (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1996), p. 30. Petroski is a professor of civil engineering as well as a professor of history at Duke University.

[2] For a critique of Gould's objections to design based on optimality see Paul Nelson, "The Role of Theology in Current Evolutionary Reasoning," Biology and Philosophy 11, 1996: 493-517.


というか、そもそもインテリジェントデザイナーについて何を言ったところで、何の根拠もない。

もともとのインテリジェントデザインの方針通り、「進化論では説明できないことがあり、それはインテリジェントデザイナーによるものかもしれない。そのインテリジェントデザイナーがいかなるものかについては言及しない。」ということにして、無視すればよかったのだ。しかし、「インテリジェントデザイナーは馬鹿なんじゃないの」と言われると、Dembskiはつい反論したくなったのだろう。「制約条件のもとでの最適化」と書いてしまった。本人はスマッシュヒットのつもりだったのだろうが、これはまずい。

これについて1960年生まれの海洋生物学者Dr. Wesley R. Elsberry(wiki)は「Critique of Dembski's "Intelligent Design is Not Optimal Design"」で次のように批判した。

A quite considerable literature exists which explores various aspects of optimality as it applies to biological issues. As the literature on optimal foraging theory makes clear, optimality is to be considered as finding the best approach with respect to a set of relevant constraints. In other words, "optimality" as it is already used by biologists corresponds rather closely to the description that Dembski gives for "constrained optimization". "Constrained optimization" is touted by Dembski as a feature of designs produced by intelligent designers and thus characteristic of actual design. But now we have the curious situation where the theologian climbs the mountain - and finds the biologists already ensconced there. The "optimality" discussed by biologists is "constrained optimization", and thus shares the properties that Dembski asserts for "actual design".

生物の問題に適用された様々な最適性についての見方を調べた非常によくできた文献が存在する。最適性について探求している文献で明らかになっているのは、関連する制約条件の組み合わせを見つけるのに最適性は最良のアプローチだということである。言い換えるなら、"最適性"は、Dembskiの"制約条件のもとでの最適化"について記述とほとんど同じことを既に生物学者が使っているものである。Dembskiが宣伝する"制約条件のもとでの最適化"は、インテリジェントデザイナーによって創られたデザインの特徴であり、従って実際にデザインされたことの特徴でもある。しかし、今や、神学者が山を登ったら、その頂に既に生物学者がいたという奇妙な状況にある。生物学者が論じる"最適性"は"制約条件のもとでの最適化"であり、従ってそれはDembskiが"実際にデザインされた"と主張する性質と同じものである。

進化論と同じことを後から言っている。しかも、グールドたちが「生物構造が最適ではない」というのは「制約条件のもとでの最適」の意味でである。"制約条件のもとでの最適化"という言葉を持ち出しても反論になっていない。

さらに、Dembskiはデザイナーが馬鹿である例としても有名なパンダの親指について、デザイナーが馬鹿なのではなく、それは突然変異によるものでデザインされたものではないと応える。
The first question that needs to be answered about the panda's thumb is whether it displays the clear marks of intelligence. The design theorist is not committed to every biological structure being designed. Mutation and section do operate in natural history to adapt organisms to their environments. Perhaps the panda's thumb is such an adaptation. Nonetheless, mutation and selection are incapable of generating highly specific, information-rich structures that pervade biology.
(Intelligent Design is not Optimal Design)

パンダの親指について、それがインテリジェンスの明確な徴であるかどうかにかかわらず、まず応えねばならない問題だろう。デザイン理論家はあらゆる生物構造がデザインされたと言うわけではない。自然の歴史において突然変異と淘汰が働いて、器官を環境に適応させる。おそらくパンダの親指はそのような適応のなのだ。しかしながら、突然変異と淘汰によっては、生物学に広がる高度に意味のある、情報に富んだ構造を生み出しえない。
デザイナーが馬鹿だと言われる生物の構造は、"デザイン"ではなく"突然変異と淘汰"という進化によるものだそうである。

ちなみに"パンダの親指"とは、グールドが広めたネタで:
エンジニアの考え出す最良の考案も、歴史というものにはかなわない。パンダの真の親指は他の役割を振り当てられて別の機能をもつように特殊化しすぎていたから、物をつかめるような対向可能な指に変わることはできなくなっていた。それでパンダは手持ちの部品を使わねばならず、拡大した手首の骨で間にあわせるという、少々不体裁でもひとまず役に立つ解決方法で満足しなければならない始末になった。種子骨親指は技術者たちの競技で賞をとるようなものではない。マイケル・ギゼリンのことばを借りれば、それは間に合わせの工夫であって、すてきな新発明ではない。だがそれは立派に仕事をしているし、上記のような思いもよらない基盤から成り立ってものだからこそ、われわれの想像をいっそうかきたてるのだ。(グールド「パンダの親指」(訳本版)1986 P29)


で、Dembskiは、現在の進化論では説明できなくて、かつデザインだと考えるとデザイナーが馬鹿だと言われないものは、デザイナーによるものと言ってしまった。
これは、The Explanatory Filter(説明フィルタ)(Dembski:"Design Inference",p37)

  • If E has a high probability, you should accept Regularity; otherwise, reject Regularity and move down the list.
    (Eが非常に確率が高いなら、規則性を採用。そうでないなら規則性を棄却して次へ)
  • If the Chance hypothesis assigns E a sufficiently low probability and E is “specified,”then reject Chance and move down the list; otherwise, accept Chance.
    (Eについて偶然仮説をたてて、確率が小さくかつEが意味がある(specified)ものであれば、偶然を棄却して次へ。そうでなければ偶然を採用)
  • If you have rejected Regularity and Chance, then you should accept Design as the
    explanation of E.
    (規則性と偶然を棄却しているなら、Eの説明としてデザインを採用)

を修正することになる。すなわち以下の3つを満たすと"デザイン"されたもの:

  • 自然法則で説明できない
  • 偶然で説明できない
  • デザイナーが馬鹿と言われない

つまり、「自然法則の必然でも偶然でもなく、デザイナーが馬鹿だと言われるものは未発見の自然法則によるもの」ということになる。もしくは「わからない」ということになる。
posted by Kumicit at 2006/01/10 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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