In another thread, poster madsen presented the following challenge:「ある事柄 P を証明するために、P の否定 ¬P を仮定すると、矛盾(ある命題とその否定が同時に証明されること)が起きることを利用する証明の手法である。」
別のスレで、poster madsenは次のようなチャレンジを提示した:I’m holding out hope that the next post will concern positive evidence for ID rather than more critiques of Darwin.In mathematics there is a method of proof called “proof by contradiction.” The logic behind this proof is the following: Establish two possible alternatives. Assume that one of the alternatives is true, and prove it to be logically contradictory. A superb example of proof by contradiction is Euclid’s (circa 300 BC) proof that the number of primes is infinite.
次の投稿がダーウィンに対する批判より、インテリジェントデザインのポジティブな証拠についてのものであることを望む
数学には背理法と呼ばれる証明方法がある。この証明方法の背後にある論理は次の通り:まず2つの考えられる代案を確立する。代案のひとつが真であると仮定し、それが論理的に成立しないことを示す。背理法のすばらしい例は、ユークリッドによる素数が無限であることの証明である。
Let’s apply the method of proof by contradiction to the chance-and-necessity versus design debate.
では、背理法を「偶然と必然 対 デザイン」論争に適用してみよう。
Of course, this is not a mathematical model, but there are some very illuminating similarities. There are two options: 1) design (foresight and planning), and 2) the materialistic laws of physics, chemistry, and probability -- which are purported to have produced all biological phenomena, from the information-processing machinery of the cell to the human mind.
もちろん、これは数学手モデルではないが、非常に明白な類似性がある。2つの選択肢がある:1) デザイン(先見と計画)と 2) 細胞の情報処理機械から人間の心まで、あらゆる生物学的現象を生成する物理と化学と確率の唯物論的法則。
Option 2) might have been believable in the 19th century, when it was thought that life was fundamentally simple, but it is completely unsupportable in light of modern science. The preponderance of scientific evidence and mathematical analysis weighs overwhelming in support of design, as a proof by contradiction.
選択肢2)は、生命は基本的には単純であると考えられていた、19世紀には信じることができた。しかし、現代科学の光にあたてみれば、まったく支持できない。背理法の証明として、科学的な証拠と数学的な分析の優勢は、デザインを圧倒的に支持している。
Let us not hear about “self-organization.” Sodium chloride forms salt crystals, and water freezes into snowflakes, but salt crystals and snowflakes contain no information (other than that about how the molecules mechanically interact as they coalesce), and they certainly don’t form information-processing machinery.
自己組織化を考えてみよう。塩化ナトリウムは塩の結晶を形成し、水は凍って雪の結晶をつくる。しかし、塩の結晶も雪の結晶も(分子が機械的に相互作用して結合する方法以外の)情報を含んでいない。これらは情報処理機械を構成しない。
Of course, there is always the possibility that there is a third option, besides design versus chance and necessity, but I’d like to hear it. In the meantime, logic, evidence, and mathematics weigh heavily on the side of design, as a proof by contradiction.
もちろん、"デザイン"と"偶然と必然"以外に、第3の選択肢が存在する可能性は常にある。それがあるなら、聞いてみたい。一方、論理と証拠と数学は、背理法の証明として、デザインの側に大きく傾いている。
[GilDodgen: "Evidence Against Chance and Necessity (Also Known As Darwinism) is Evidence for Design" (2009/03/15) on Uncommon Descent]
たとえば、GilDodgenが背理法の代表例だという素数の個数を見直しておくと...
インテリジェントデザイン理論の主張は最も弱めた形は有限個の素数 p1, p1, ... , pn しか存在しないと仮定する。
q = p1 x p2 x ... x pn + 1
という数qを考えると、
1) qはどの素数(p1, p1, ... , pn)で割っても、余り1になる。従って、qは素数である。
2) qは仮定より素数ではない。
これらの矛盾するので、素数は有限個ではない
素数が有限個しかないと仮定し、それらを次のようにおく。
pi, i≦n
ただし n は定数
q = p1 x p2 x ... x pn+1
を考えよう。qは合成数であるか素数であるかのいずれかである。
1) qが合成数だとすると qはpi のいずれかを用いて積の形に表されるはずである。その一方でqはpiのいずれで割っても 1 があまり、矛盾する。
2)一方、素数だとすると、これはpiのいずれとも異なるから素数が有限個しかないことに反する。
[wikipedia:素数]
- 現在、生息している生物、あるいは化石として残っているか否かにかかわらず過去に地球上に存在した生物の少なくとも一つが、デザインされたものである。
である。これに無理やり背理法を持ち込むのであれば...
- 「現在、生息している生物、あるいは化石として残っているか否かにかかわらず過去に地球上に存在した生物すべてが、デザインされていない。」と考えると、「現在、生息している生物、あるいは化石として残っているか否かにかかわらず過去に地球上に存在した生物の少なくとも一つが、デザインされたものである」ことが同時に示されるという論理的矛盾が生じる
- 「デザインされていない」は「進化した」と同義ではない。これまで未発見の進化以外のメカニズムをも「デザインされていない」に該当する。
- 「進化論で説明できない」は「現在、生息している生物、あるいは化石として残っているか否かにかかわらず過去に地球上に存在した生物すべてが、デザインされていない。」と考えたときの「論理的矛盾」ではない。「観察事実にあわない理論」は背理法の「論理的矛盾」とは何の関係もない。
あくまでも「生物すべてが、デザインされていない」と考えると「生物の少なくとも一つが、デザインされたものである」ことになるのが「論理的矛盾」である。
「進化論は間違っている」とどれだけ主張しても、背理法とは何の関係もない。しかし、GilDodgenはそれを背理法だと思っている。おそらく、GilDodgenは「科学で説明できないことは神様のせいなのさ」という"God of the gaps"詭弁と、背理法の区別がついていないのだろう。
そして、さらにGilDodgenは、数学が自然科学ではないことも知らないかもしれない。
タグ:id理論
横槍を入れるようですが素数の証明方法が間違っていますよ.
正しくは2行目以降
「
q = p1 x p2 x ... x pn + 1
という自然数について,
1)qが素数である場合,これはpnのいずれでもないため仮定と矛盾する
2)qが素数でない場合,これは素因数分解することが可能であるが,
qはpnのいずれでも割り切れないため,pnはqの因数ではない.
よって,pnのいずれでもない素数がqの因数として存在する.これは仮定と矛盾する.
」
となります.
それにしてもGilDodsenは背理法を根本的に理解していないのか,それとも意図的に騙そうとしているのかどちらなんでしょうね.
高校生レベルの数学の知識があれば背理法の説明が明らかに間違っていることくらい気づくと思うのですが.
"+1"が落ちてました。
「qが素数で無かった場合」の検証も抜け落ちてるんですけど…
p1*p2*p3*...pn+1
が必ずしも素数だとは限らないので.
2*3*5*7*11*13*17+1=26869*19
ということで、wikiの記述をコピペしました。
あるいは「素数出ない数は、素因数分解できるので、qは、素数であるか、もともと考えていた素数列では素因数分解できない数」という修正もありかも。