In this view, the replicator of life is the gene; thus the organism is simply the vehicle for the genes ("survival machines-robot vehicles blindly programmed to preserve the selfish molecules known as genes"…"they swarm in huge colonies, safe inside gigantic lumbering robots"). It is a recasting of Butler’s famous aphorism that a hen is simply the egg’s way of making another egg. An animal, for Dawkins, is only DNA’s way of making more DNA. He imbues the genes with certain mystical qualities which is essentially teleological.「本質的に目的論である神秘的な性質」という記述がなければ、インテリジェントデザイン運動と何ら変わらない。
この見方では、生命の複製者は遺伝子である。したがって、生物は遺伝子の乗り物に過ぎない。(遺伝子として知られる利己的分子を保存するように盲目的にプログラムされた乗り物にして生存機械 ... 遺伝子たちは安全な巨大な鈍重なロボット内側に巨大なコロニーをつくる)。これは「雌鶏はもう一つの卵を作らせるための卵の手段である」という Butlerの有名な警句の再演である。Dawkinsにとって動物は、さらに多くのDNAを作らせるためのDNAの手段である。Dawkinsは本質的に目的論である神秘的な性質を遺伝子に持たせる。
[lan Woods and Ted Grant: " Reason in Revolt: Marxism and Modern Science" on Defence of Marxism]
まさに同様な記述をインテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonも書いている:
This is not only absurd but embarrassingly naive. If human nature is actually constructed by genes whose predominant quality is a ruthless selfishness, then pious lectures advocating qualities like generosity and altruism are probably just another strategy for furthering selfish interests. Ruthless predators are often moralistic in appearance, because that is how they disarm their intended victims. The genes who teach their robot vehicles not to take morality seriously, but to take advantage of fools who do, will have a decisive advantage in the Darwinian competition.似たような主張をする者が右翼と左翼に存在する理由として、共通する考えがあるとMatt Cartmillは主張する:
これは不合理で、その上にあまりに単純である。もし、冷酷で自分本位な遺伝子によって人間性が構築されているのなら、寛大さや利他主義を主唱する偽善的な指導も、さらなる利己的な利益を得ようとする別なる戦略でもあるのだろう。冷酷な捕食者は道義的に装う。それは狙った犠牲者たちを武装解除するためだ。遺伝子はその乗り物に道徳をまじめに受け取らず、道徳をまじめに受け取る馬鹿を利用するように教えることが、ダーウィンの競争で決定的に有利になる。
[Phillip Johnson: "The Robot Rebellion of Richard Dawkins" on Discovery Institute]
Both camps believe passionately that the big truths about the world are moral truths. They view the universe in terms of good and evil, not truth and falsehood. The first question they ask about any supposed fact is whether it serves the cause of righteousness. Their notions of good and evil are different, but both see the commonplace surface of the world as a veil of illusion, obscuring the deeper moral truths behind everything that give life its meaning.この主張を裏付けるものとして、たとえばアカデミック左翼と呼ぶべきレウォンティンがいる。彼は18世紀のブルジョア革命のイデオロギーの反映だと「生物の世界へのこのような個体中心の見方」を批判する:
右翼と左翼はともに、世界についての大いなる真理は道徳的真理であると情熱的に信じている。彼らは善悪という言葉で宇宙を見るのであって、真偽ではない。事実と思われることについて、彼らがまず問うことは、それが正しさの原因にかなうものか否かである。彼らの善悪の定義は違っているが、両者ともに、世界の表層は幻想のベールであって、生命に意味を与える、すべての背後にある深い道徳的真理を覆い隠すものだと見ている。
...
Science, however, worries only about whether things are true and has no opinion about what they signify. In so doing, it offends both the religious right and the academic left. Both camps reject its claim to being objective and morally neutral. Because they don't think such a thing is possible, they see the pretended objectivity of science as a cover for ulterior motives.
科学は物事が真かどうかだけを問題にしていて、それが意味するところについての意見を持たない。それは、宗教右翼とアカデミック左翼の両方を怒らせる。両者はともに、客観的であるとか、道徳的に中立といった主張を拒絶する。彼らはそんなことは不可能だと考えているので、科学の装われた客観性がその下心を偽装するものだと考える。
[Matt Cartmill: "Oppressed by evolution - Christian right, multicultural left united against theory of evolution - Cover Story", Discover, March, 1998 (COPY)]
自然選択による生物進化というダーウィンの理論全体は、当時のスコットランドの経済学者たちが展開していた初期資本主義の政治的、経済的な理論に、実際、異様なほどよく似ています。ダーウィンは、経済的な最適者の生き残りについて、かなりの知識を持っていました。毎日、新聞を読んで、株式投資によって生計をたてていたからです。ダーウィンがなしたことは、19世紀初めの「政治的な」経済を理解し、それを「自然の」経済すべてをふくむように拡張することでした。これの鏡像のように、ダーウィニズムは共産主義と同じく伝統的神を攻撃するものだというインテリジェントデザイン運動の主張がある:
[レウォンティン(川口啓明・菊池昌子訳): 遺伝子と言う神話, 大月書店, 1998], 科学は社会を反映する p.25
この還元主義とは、世界は小さなあれこれの断片に分けることができ、その断片のそれぞれには固有の特徴があり、それら断片をくみあわせるとにより大きな集合物が作りだされるという考え方です。たとえば、個体は社会を作りあげ、社会は個体の特徴の現れ以外のなにものでもありません。個体の内的な特徴が社会の原因であり、社会全体の特徴は、これらの原因の結果によるものです。生物の世界へのこのような個体中心の見方は、あらゆるものの中心に個人をおく18世紀のブルジョア革命のイデオロギーの反映にすぎません。
[レウォンティン(川口啓明・菊池昌子訳): 遺伝子と言う神話, 大月書店, 1998], 科学は社会を反映する pp.123-124
Yet a little over a century ago, this cardinal idea came under wholesale attack by intellectuals drawing on the discoveries of modern science. Debunking the traditional conceptions of both God and man, thinkers such as Charles Darwin, Karl Marx, and Sigmund Freud portrayed humans not as moral and spiritual beings, but as animals or machines who inhabited a universe ruled by purely impersonal forces and whose behavior and very thoughts were dictated by the unbending forces of biology, chemistry, and environment.
一世紀少し前に、この基本的な考え方は、現代科学の発見に近づく知識人による大規模の攻撃を受けた。伝統的な神と人間の概念の両方をデバンクし、チャールス・ダーウィンやカール・マルクスおよびジーグムント・フロイトのような思想家は、人間をモラルと精神的な存在ではなく、純粋に非人格な力によって規定された宇宙に居住する動物や機械であって、その挙動とまさに思考が確固たる生物学と化学と環境に支配されていると描写した。
...
This statement highlights one of the animating concerns of Discovery Institute's Institute’s Center for Science and Culture: the worldview of scientific materialism. We. think this worldview is false; we think that the theories that gave rise to it (such. Darwinism, Marxism and Freudian psychology) are demonstrably false; and we think that these theories have had deleterious cultural consequences.
この言明はDiscovery InstituteのCenter for Science and Cultureの行動中の懸念のひとつたる科学的唯物論の世界観をハイライトしたものだ。我々はこの世界観が間違っていると考えている。我々は、好ましくない結果をもたらした、これらの理論が明らかに間違いだと考えている。我々はこれらの理論が文化的に有害な効果を与えたと考えている。
[THE WEDGE STRATEGY on Discovery Institute]
実は共通の理由で進化論を嫌っていて、進化論を敵と同一視する右翼と左翼の姿は、「ソ連で成功した画家が"緑色の裸婦"の絵を描いたことで、国を追われ、芸術を擁護するナチス政権のドイツへ逃れる。そこでも"緑色の裸婦"で国を追われ、自由の国たる米国へ逃れる。しかし...」という文庫本41頁の短編であるアーウィン・ショーの「緑色の裸婦」を思わせる。
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