2009/10/23

保守聖書をつくる保守WIKI

wikipediaに対抗する保守wikiConservapediaにこんな記述がある。
[Essay:Adulteress Story on Conservapadia]

Increasingly many Christian churches, including the Catholic Church, are reciting, teaching and popularizing the Pericope de Adultera (Latin for "the passage of the adulterous woman"), set forth at from John 7:53-8:11. In the story a mob surrounds a woman to stone her for adultery, and ask Jesus what they should do. Jesus is describing as writing in the ground, and eventually beseeches those who have not sinned to cast the first stone. The crowd then disperses, beginning with the eldest first.

カトリック教会を含む、ますます多くのキリスト教会が、ヨハネによる福音書7章53節〜8章11節から、"Pericope de Adultera"(不倫の女)の話を教え広めている。このストーリーでは、暴徒たちが不倫の女に石を投げるべく女のまわりに集まり、イエスに何をすべきか問う。イエスは地面に何かを書いているが、最後には罪を犯したことがない者が石を投げるようにと言う。群衆は、まず年長者から、その場を立ち去っていく。

The movie The Passion of Christ includes flashbacks to a scene based on this passage; Bartleby's quotations include its famous line, "Let him who is without sin cast the first stone";[1] and sermons are increasingly based on it. Arguments against the death penalty often cite this passage.[2]

映画"The Passion of Christ"には、この節の基づく回想シーンがある。Bartlebyの引用は有名な「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」が含まれている。説教はこれに基づいている。死刑反対論は、しばしばこの一節を引用する。

The account is as follows (NIV version):
7:53 人々はおのおの家へ帰って行った。8:1 イエスはオリーブ山へ行かれた。8:2 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。8:3 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、8:4 イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。8:5 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」8:6 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。8:7 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」8:8 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。8:9 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。8:10 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」8:11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」

If the adulteress story is removed, then the passage reads more naturally as follows:
もし姦通の話を削除すれば、この部分はより自然になり、次のようになる:

7:53 人々はおのおの家へ帰って行った。8:1 イエスはオリーブ山へ行かれた。8:2 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」8:13 それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
...
不倫を容認し、死刑反対の根拠に使われる部分を聖書から削除しようという気分である。

この気分からか、Conservative Bibleを作るというConservative Bible Projectが始まっている。
[Conservative Bible Project]

Liberal bias has become the single biggest distortion in modern Bible translations. There are three sources of errors in conveying biblical meaning are, in increasing amount:
リベラルのバイアスが聖書現代語訳の唯一最大の歪曲要因となっている。聖書が伝える意味における誤りの源は:

  1. lack of precision in the original language, such as terms underdeveloped to convey new concepts introduced by Christ
    キリストによって導入された新たな概念を伝えるのに十分に発達していない用語など、原語における正確さの欠如

  2. lack of precision in modern language
    現代における正確さの欠如

  3. translation bias in converting the original language to the modern one.
    原語から現代への訳に入り込む翻訳バイアス

Experts in ancient languages are helpful in reducing the first type of error above, which is a vanishing source of error as scholarship advances understanding. English language linguists are helpful in reducing the second type of error, which also decreases due to an increasing vocabulary. But the third -- and largest -- source of translation error requires conservative principles to reduce and eliminate.[1]

学術的理解によって誤ったソースを消していくことで、古代言語の専門家は第1のタイプのエラーの削減に有効である。英語学者は語彙の増強によって、第2のタイプのエラーの削減に有効である。しかし、第3の、そして最大の要因である翻訳エラーの削減と消去には保守原則が必要である。

As of 2009, there is no fully conservative translation of the Bible which satisfies the following ten guidelines:[2]

2009年時点では、以下のガイドラインを満たす聖書の保守訳は存在しない。

  1. Framework against Liberal Bias: providing a strong framework that enables a thought-for-thought translation without corruption by liberal bias
    対リベラルバイアス:リベラルバイアスによって意味を壊されない、思考-思考の翻訳を可能とする強力なフレームワークの提供

  2. Not Emasculated: avoiding unisex, "gender inclusive" language, and other modern emasculation of Christianity
    骨抜きにされない: ユニセックスや性差別的でない表現や、その他キリスト教を無力化する記述を避ける。

  3. Not Dumbed Down: not dumbing down the reading level, or diluting the intellectual force and logic of Christianity; the NIV is written at only the 7th grade level[3]
    平易にしない: 読書用にレベルをやさしくしすぎたり、キリスト教のインテリジェントな力や論理を薄めないこと。NIVは第7学年レベルで書かれている。

  4. Utilize Powerful Conservative Terms: using powerful new conservative terms to capture better the original intent;[4] Defective translations use the word "comrade" three times as often as "volunteer"; similarly, updating words that have a change in meaning, such as "word", "peace", and "miracle".
    強力な保守用語の利用: 強力な新しい保守用語を使って、原文をよりよくとらえること。不正確な訳語「僚友」が3回、「ボランティア」と同じくらい使われている。同様に、「言葉」や「平和」や「奇跡」など意味が変わった用語の更新。

  5. Combat Harmful Addiction: combating addiction by using modern terms for it, such as "gamble" rather than "cast lots";[5] using modern political terms, such as "register" rather than "enroll" for the census
    有害な悪癖との戦い: 「くじ引き」ではなく「賭博」のような現代用語を使って、悪癖と戦うこと。国勢調査のための「記載」ではなく「登録」のように現代政治用語を使うこと。

  6. Accept the Logic of Hell: applying logic with its full force and effect, as in not denying or downplaying the very real existence of Hell or the Devil.
    地獄の論理の受容: 地獄や悪魔が実際に存在することを否定したり軽視したりしないように、完全に力と効果を持つ論理を適用すること。

  7. Express Free Market Parables; explaining the numerous economic parables with their full free-market meaning
    自由市場の寓話を表現すること: 自由市場の意味を完全に持つ多くの経済寓話を説明すること。

  8. Exclude Later-Inserted Inauthentic Passages: excluding the interpolated passages that liberals commonly put their own spin on, such as the adulteress story
    後世に挿入された権威なき記述の除外: 不倫の女性のように、リベラルが一般的にひねりを加えたような、挿入された記述を除外すること。

  9. Credit Open-Mindedness of Disciples: crediting open-mindedness, often found in youngsters like the eyewitnesses Mark and John, the authors of two of the Gospels
    弟子たちの心の広さへの信頼: 福音書の著者であるマルコやヨハネの証言のように弟子たちに見られる心の広さを表現すること。

  10. Prefer Conciseness over Liberal Wordiness: preferring conciseness to the liberal style of high word-to-substance ratio; avoid compound negatives and unnecessary ambiguities; prefer concise, consistent use of the word "Lord" rather than "Jehovah" or "Yahweh" or "Lord God."
    リベラルの冗長さよりも簡潔さを:リベラルスタイルの単語数と意味の比率よりも簡潔な表現を。二重否定や不必要なあいまいさを避けること。"エホバ"や"ヤーウェ"や"主なる神"よりも、"主"を一貫して使うこと。

    ...
どこまで本気なのか、どこまで保守ジョークなのかわからない、あやしい基準である。

一貫しているのは、不倫の女に石を投げないようなイエスはリベラルなので、ダメらしいこと。


posted by Kumicit at 2009/10/23 07:43 | Comment(4) | TrackBack(0) | ID: General | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Conservapediaなる存在自体を初めて知りました。
当面の間、ここだけで笑いに不自由しなさそうです。

> もし姦通の話を削除すれば、この部分はより自然になり、次のようになる

最も肝心な部分を削除している気が…。
そこがなかったら、何の意味も教えもない、ただのエピソードじゃないですか。
Posted by 悪魔天国 at 2009/10/23 15:50
まだ保守聖書が手をつけていないですが、このあたりも確実に削除されますね...

コヘレトの言葉 3章18-21節

人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、 すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう。
Posted by Kumicit 管理者コメント at 2009/10/23 20:55
新共同訳を見ると、ヨハネ福音書7章53節から
8章11節までが、後代の追加部分をさす[ ]で囲まれてます(フランシスコ会訳の新約聖書では囲まれてません)。
一応、根拠はあると思いますが、この挿入部分が新約聖書の枠組みがきっちり決められた時点であったものだとすると、
追記部分を省かず、そのまま正典に入れた先達たちは、霊感を通して神に導かれてなかったってことになりかねないのでは。
単に古来からの慣習を踏まえて定めた、とするのは保守的な人が嫌いそうな解釈だと思います。
Posted by とら at 2009/10/24 12:30
追記、

新改訳でも[ ]で囲まれ、
「古い写本のほとんど全部が七・五十三-八・十一」を欠いている。
この部分を含む異本も相互間の相違が大きい」と書かれてます。

ヨハネ福音書の加筆部分「姦淫の女」は、
「新約聖書」確定後の出現のようです。
ttp://d.hatena.ne.jp/Britty/20080630/p6
荒井献の著書からの引用
ttp://plaza.rakuten.co.jp/NTL2005/diary/200907260000/
によると伝承そのものは以前からあったようです。
Posted by とら at 2009/10/24 14:33
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