わかりやすい定義は、こんなかんじ:
[John H. Calvert: "INTELLIGENT DESIGN IS GOOD SCIENCE" (2006/08) on Intelligent Design Network]もちろん、「そうとも言える」という説明はオッカムの剃刀に引っかかるだけなので、科学のフィールドでは無意味なインテリジェントデザインの主張。ただし、創造論支持者たちには訴求力はあるだろう。
Furthermore, the patterns reflected by the fossil record and genetics cited by Materialists in support of their claim, are actually more consistent with a claim of common design then a claim of gradual descent with modification in the pattern of a branching tree. Thus, the evidence tends to rule in design as the best explanation for much of the diversity of life.
唯物論者たちが自らの主張を支持するものとして挙げる化石記録と遺伝子を反映したパターンは、分岐する樹状パターンの漸進的な"変化を伴う系統"の主張よりも、"Common Design"の主張の方が実際的には適合している。したがって、生命の多様性についてデザインが最もよい説明として認められる傾向がある。
...
Design Theorists argue that all of this evidence is also consistent with an intelligent cause. Antibiotic resistance appears to result from a system having an extraordinarily high mutation rate, perhaps that is a design feature of the system. Although the fossil record shows increasing complexity it also shows long periods of stasis, very sudden increases in complexity, the absence of many transitional forms, and many instances of novel systems arising repeatedly without any apparent common ancestor. All of these clues as well as common bio-software, implicate common design rather than unguided evolutionary change. Because the clues the materialist is using are consistent with both design and materialism, they prove neither. To show a material explanation as the “best” of the two, he must show positive evidence for his claim and show evidence that tends to rule out the evidence of design. In many respects his evidence does neither
デザイン理論家はこれらすべtねお証拠がインテリジェントな原因とも整合すると論じる。抗生物質抵抗性は高い突然変異率のシステムから生じるが、これはおそらくシステムのデザイン特性だ。化石記録は複雑さの増大を示しているが、長い安定状態と、突如の複雑さの増大と、多くの中間化石のけつじょと、共通祖先なしに新システムが登場する。これら手がかりすべては、共通の生物ソフトウェアとともに、導きない進化による変化よりも"Common Design"を意味している。唯物論者が使う手がかりは、デザインとも唯物論とも整合するので、それらはどちらも証明しない。唯物論的説明が2つのうちの最良であることを示すには、その主張を支持するポジティブな証拠を示し、デザインを除外する証拠を示すべきである。多くの点で、証拠はどちらも示さない。
それはさておき、オッカムの剃刀に引っかかるだけの"Common Design"を持ちだしたインテリジェントデザイン支持者たちだが、その意味するところは語られることは、ほとんどない。
普通、"Common Design"とは、能力的にばらつきのある複数デザイナーに基本設計と部品共通化させるための守るべきパターンだったり、大失敗しないための設計指針だったりする。
そして、複数デザイナーに"Common Design"規約を厳格に守らせたら、変なデザイン続出。腰痛不可避な二足歩行のデザインも、その例とか。ゼロベースの再設計ができないと、無理なデザインになるのは仕方がない。
とはいえ、ゼロベースの再設計は土地勘が効かないので、大失敗になりやすい。有限な能力しかないデザイナーが、前任から引き継いだ設計指針の範囲でものづくりするのが正解かもしれない。
とすると、"Common Design"規約を構築するまでに、不様な失敗作が山積みで、その後に収束・洗練というところ。そして、成功と失敗の判断は、それなりの時間をかけた自然選択に委ねると。もし、デザインの成否を即判断できるなら作るまでもない。だいたいCommon Design規約など不要。
もちろん、完全かつnon commonだと、逆に複数デザイナーが存在するように見えるので、あえて変なデザインになっても、Common Designにしたと言う主張もある:
==>デザイナーの意図を解明するインテリジェントデザイン支持者ReMine (2007/03/23)
でも、それなら人間中心設計でも良さそうだが、何故か腰痛仕様。
まあ、行き当たりばったりに生物を創造して、次第に使えるデザインを見いだしていきつつも、正確に至ることのないデザイナーたち。というのは、洪水を起こしてから結果に驚くシュメールの神々には似つかわしいが、雷神の成れの果てのヤウェには不似合い。
現代的なスタイルだと、God Inc,のProduct Developmentとか...
タグ:id理論
【ID Introductionの最新記事】