かつて創造科学が違憲判決を受けたとき、言い換えで逃れようとした
1987年6月19日に米国連邦最高裁はEdwards v. Aguillard裁判に対して、創造科学を教えるのは違憲だとの判決を出した(wiki)。これにより、Henry Morrisが主唱する創造科学(Scientific Creationism)は理科の授業から追い出された。
これに対応しようとしたHenry Morris率いるInstitute for Creation ResearchのWendell R. Bird は「The Origin of Species Revisited: The theories ofr evolution and abrupt appearance」(ICR shop)を1987年12月に出版した。"創造"がだめなら、"突如出現"だけならいいだろうというもの。これなら創造主の存在に触れる必要もない。従って、特定宗教にも依存しない....。なんて冗談が通るわけもなく、そのまま立ち消えて、かわってDr. Phillip Johnsonが主唱するインテリジェントデザインに道をゆずることになった。
"Abrupt Appearance"以外に、Origins Resource Associationのように「Creation as Initial Complexity Model(最初から複雑モデルとしての創造)」といった言葉も作られたが、流行しなかった。
参考文献: Eugenie C. Scott:"Evolution vs. Creationism", 2004 (Amazon)
インテリジェントデザインも同じ道をゆくのか
2005年12月20日の連邦地方裁判所によKitzmiller v. Dover Area School District裁判でのインテリジェントデザインを理科の授業で教えるのは政教分離の原則に違反するという判決(wiki news)によって、"Intelligent Design"というフレーズそのものが違憲の香りがただようものになった。インテリジェントデザイン運動も、かつての創造科学のように言い換えに走るのだろうか。
フリーランスライターのEd Braytonは、自らのブログDispatches form the culture warsの2006年2月15日付のエントリ「ID's Latest Trojan Horse Strategy」で:
In one place they may advocate that schools "teach the controversy" over evolution; in another they may advocate that schools teach "the arguments for and against evolution" or "the scientific evidence for and against evolution"; in a third, they may want schools to encourage "critical analysis" or "critical evaluation" of evolution; in a fourth, they may be pushing the idea of teaching "all scientific views about evolution." All of these phrases mean essentially the same thing - they want the basic arguments that they make against evolution (which is the form that all of their arguments take) taught as valid, they just don't want them labelled "intelligent design" so as to avoid the scrutiny of the courts.と書いている。
あるところでは、彼らは学校は進化論に対する"異論を教えろ"と主張するかもしれない。またあるところでは、学校は"進化論に支持および反対する議論"あるいは"進化論を支持および反する証拠"を教えろと主張するかもしれない。あるいは、進化論に対する"批判的分析"あるいは"批判的評価"を学校は推奨すべきだという言うかもしれない。または、"進化論についてのあらゆる見方"を教えるとい考えを要求するかもしれない。これらの言葉たちはすべて同じことを意味する。すなわち、彼らは、反進化論を教えることを有効にできる基本的な議論を求めている。彼らは裁判所の詮索をさけるためにインテリジェントデザインというラベルがつくのを望まないだけだ。
実際、ユタ州でインテリジェントデザインの授業ができるように奮闘するChris Buttars州上院議員の法案も「生徒たちは生命の起源についての理論や人類の現在の状態について批判的に分析し、対立する"科学的"視点で考え、"科学的"理論が正しいとすべての科学者が同意しているわけではないことを学ぶ」ことを求めている(関連エントリ)ものだ。明示的にはインテリジェントデザインを教えることを要求する条文になっていない。
インテリジェントデザインの主唱者であるDr. Phillip Johnsonも2006年2月17日の講演で、インテリジェントデザイン仮説は発展途上であり、授業で教えるに十分には完成していないと発言している(関連エントリ)。
言い換えを始めるだろうというEd Braytonの意見も、ありそうに思える。