2006/02/24

追加創造を否定する者たち

神様を全能と考える割には、創造は最初の6日間限定だと主張する"若い地球の創造論"。これに対して、インテリジェントデザインは事実上、追加創造を教義としている。

創造6日以後は保存則の世界

創造6日間は何でもありだが、それ以降は物理法則が有効になるという創造科学。Ken Hamが主宰する"若い地球の創造論"サイトAnswers in Genesis (AiG)には明確にそれを述べている記事がある。Creaion Magazine 1990年12月号に掲載されたJohn C Whitcombによる記事「Methods of the Creator(創造主の方法)」によれば:
And thus the fact that God is not creating things today should not be interpreted as God’s weakness or God’s inability to do what Genesis 1 tells us He did at the beginning, because the Bible itself assures us in Genesis 2:1-3 that creation, as a distinct method of God in reference to this world, was finished.

From that kind of work God rested, and from that moment to this we live in a world that is being preserved, not recreated—not added to, but simply preserved according to the well-known first law of thermodynamics. This law tells us that the total amount of mass-energy in the universe remains constant through the conservation of mass-energy, a law that God Himself formed and upholds by the Word of His power. What a wonderful God, who not only has done all these things, but has condescended for our learning to reveal them in His Word.

そして、今日、神が創造をしていないという事実を、神の弱さあるいは神が創世記に記された始まりに行ったこと能力を失ったと解釈すべきではない。何故なら、聖書が、神の卓越した方法によるこの世界の創造は終わったと記した創世記2章1-3節において、そのことを保証しているからだ。

そのような仕事を終えて、神は休息した。そのときから今まで、我々は保存され、再創造や追加創造されない世界に住んでいる。よく知られた熱力学第一法則による単純に保存された世界に。この法則によれば、宇宙の質量とエネルギーの総量は、神自身が創造した法則であり、神の力の言葉によって支持される質量=エネルギー保存則に従って、一定に保存される。神は素晴らしい。神はあらゆることを為しただけでなく、我々の学びにあわせて神の言葉にある神の為したことを明らかにしてゆく。

創造6日間が終わった後は、創造のやり直しも、追加もないと述べている。



何かを恐れているかのごとく

ここからは根拠はない話。

創造6日間の後は、神様は創造行為をしないとAiGは言う。だからこそ、ノアの洪水といえども物理法則にしたがって自動発動されたものだと無理にでも考える洪水地質学("若い地球の創造論"の一分野)というものがある。これは、明らかに聖書創世記と矛盾する。創世記6章をどう見ても、創造6日間に仕込んでおいた洪水マシンの自動発動ではありえない:
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」 [創世記6章5〜7節]


そこまでしても、創造6日間以降に創造行為がないと主張するのはなぜか?それは、かつての創造科学が科学を偽装したときの習慣なのか?

"古い地球の創造論"の中でも現存する変種である"進歩的創造論"は追加創造にその本質を見出しているのに。「小進化は自然法則、大進化は神様」という"進歩的創造論"は、大進化ごとに神様の直接介入を想定する。直接介入とは創造行為に他ならない。そのことはインテリジェントデザインでも変わらない。

情報あるいはCSI( Complex and Specified Infomarion)の注入などといったところで、それは机上の空論である。遺伝情報は宙に浮いて存在できない。情報の載せるメディアなくしては。それはDNAだけでは不足。DNAが無より出現しても、ただの結晶に過ぎない。なにもできない。少なくとも受精卵の形をとらないとCSIは存在できない。

ヒトとサルの間に境界線を引く。すなわち、"Uncommon Descent"を放棄することのない"進歩的創造論"やインテリジェントデザインでは、ヒトもまた創造されなければならない。その創造の形は受精卵でもだめ。ヒトの受精卵は胎盤でしか生きてはいけないからだ。乳児でもだめ。親なしではいけていけないのがヒトの乳児だから。従って、出現形態は"成人"でしかありえない。それも、創造された時代において必要なスキルを完全にマスターした状態で。生存競争を戦わなければならにのに、悠長にスキルをマスターしている時間などあるはずもない。

従って、"古い地球の創造論"の変種たちたる"進歩的創造論"やインテリジェントデザインでは、あらわに言及されることがなくとも、完全に教育された状態の成人の出現が不可避。それはまさしく創造。

であるにもかかわらず、"若い地球の創造論"では、創造行為を創造6日間限定にし、それ以降は絶対に起きないと主張する。起きると......

その創造は、今この瞬間に起きないことを誰も保証できなくなる。類人猿とヒトの間に共通祖先が存在しないなら、ヒトと共通祖先をともにしない、新たなる万物の霊長の突如の出現を否定する根拠はどこにもない。追加創造の意味するところは、ヒトが"最終目標"ではなく、ヒトはひとつの試行の結果に過ぎないということだ。

進化を否定できても、追加創造を認める限り、状況は何も変わらない。ヒトが至高の存在ではなく、試行の過程でしかないかもしれないという"疑義"は消えない。

進化論的には「より進化した存在」とか「至高の存在」といった「価値」とか「目的」とかは取り扱い対象外。知ったことではない。しかし、創造論にとってはそれこそが最重要(だからこそ、科学ではなく宗教なのだが)。"若い地球の創造論"が追加創造を否定するのは、この現在の地球の状態が変わることがないと信じたいためかもしれない。

ではインテリジェントデザインは追加創造を受け入れられるのか

はるかなる過去にCSI(Complex Specified Information=複雑な指定された情報)の注入があったと主張するのがインテリジェントデザイン。カンブリア爆発はその例だと主張している(Meyer 2005)。さらに、Discovery InstituteのCasey Luskinは主張している(Luskin 2004)。

ならば、彼らは現在、この瞬間にCSIが自然界に注入されることもあると考えているのだろうか。それについて参考になるのは、Dembski自らのブログUncommon Descent(非共通祖先)の2005年9月25日付けのエントリ「Why Scientists Should NOT Dismiss Intelligent Design(何故、科学者はインテリジェントデザインを退けてはいけないか)」である。Dembskiはナイロンを食べるバクテリアの登場は進化ではないと主張した。と同時にCSIの注入だとは一切言わなかった。その可能性にすら触れなかった。

それはただ、進化を否定することにのみDembskiの関心があったというだけかもしれない。しかし、もしかすると、Dembskiは追加創造を拒否しているのかもしれない。


posted by Kumicit at 2006/02/24 09:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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