2006/03/03

創造行為の3つめのステップ

自らを科学と言いたいなら、インテリジェントデザイン支持者たちは、デザインの存否だけを語るべきだ。しかし、彼らは常にヒトとサルの境界が絶対的だと言いたがる。


創造行為(Creation)の3つのステップ

創造行為(Creation)の3つのステップ:

  1. Design: 何かを創るためには、まずデザインが必要だ
  2. Creation: デザインを実体化させなければ、自然界には存在しえない
  3. Abrupt Appearance: 実体化されたものは突如、自然界に出現する


1987年のEdwards v Aguillard裁判[wiki]で、創造科学(Creation science)を理科の授業で教えるのは違憲と判断されたとき、創造科学の中心的組織であったInstitute for Creation ResearchのWendell R. Birdは"Theory of abrupt appearance"[icr shop]を唱えた。第2ステップ"Creation"がだめなら、第3ステップだけ言ってしまえというのがInstitute for Creation Researchの対策だったようだ。もちろん、これは功を奏せず、消え去った。

一方、Dr. Phillip JohnsonやDr. William A. Dembskiなどのインテリジェントデザイン運動は第1ステップだけを言うことにした。第2ステップ"Creation"が宗教であるという連邦裁判所の判断が確定しているために第1ステップだけを選択したわけだ。Dr. Phillip Johnsonがインテリジェントデザインを始めた段階では、第3ステップには触れないことになっていた。

第3ステップ"Abrupt Appearance"には"鶏と卵"という問題が横たわる。回避しようとすば、"Appearance of Age"(年齢の外見=ヒトは成人として、生きていくための知識をすべて持った状態で、創造された。)を避けられなくなる。受精卵や乳児だけが自然界に出現しても、生き延びられないからだ

逆に"Appearance of Age"という"気持ち悪さ"から逃れようとすると、漸進的な"突然変異への介入"が必要になってしまう。いかにも進化したかのように、母胎内の受精卵に介入し続けて、親子関係が成立する範囲内での変化にとどめつつ、複数世代をかけて変化させる。それなら、"Appearance of Age"がなくてもよい。

しかし、それは"Uncommon Descent"という原則を崩してしまう。サルとヒトの間の中間形態の存在が前提になってしまい、見た目にはCommon Descentに見えてしまうからだ。そもそもが、「中間形態など存在しない」というのが、進化論が成立しないと主張する根拠のひとつ。それを自分で崩すわけにはいかない。

結局、デザインの存否だけに議論を限定する以外に、合衆国憲法を回避しつつ、荒唐無稽さを避けることはできない。

超自然は科学の取り扱い対象外であるので、

  • 第1ステップのデザイナーの属性やデザイン方法
  • 第2ステップの創造方法
に触れなくても問題がない。というより触れたら宗教。

Abrupt Appearanceの遠景と近景

インテリジェントデザインの本山たるDiscovery InstituteのCasey Luskin[
2004
]は"Abrupt Appearance"の遠景を語る:
Intelligent agents can rapidly infuse large amounts of genetic information into the biosphere, reflected in the fossil record as the abrupt appearance of novel fossil forms without similar precursors. These designed "basic types" may undergo limited genetic change, diversifying into similar species belonging to the same basic type clade. Paleoanthropological studies reveal that early hominids appear suddenly, without clear direct fossil ancestors, and distinct from previous hominoids.

インテリジェントエージェントは大量の遺伝情報を生物圏に素早く注入できる。そして新しい化石が外見が類似した先行種なしに突然出現する。これらのデザインされた"基本型"は限定的に遺伝的に変化し、同じ基本分岐群に属する類似した種へと分化するかもしれない。古人類学の研究で明白な直接の化石の残っている祖先なしに、それまでの種とは全く異なる初期の人類が突如出現したことが明らかになった。


遠景としての"Abrupt Appearance"は、抽象的な「遺伝情報を生物圏に注入」と表現される。そしてちぎれた系統樹のイメージが、突如さを象徴する。

しかし、それを近景として見るなら、そう、どこまで近寄っても、やはり「突如」は「突如」なのだ。中間形態がないと豪語してしまっては、親子関係が成立する程度の差異というわけにはいかない。ヒトの大人として生きていくに十分な訓練と学習を終えた状態の成人の集団が無より出現する。それ以外の方法はない。

というより、Casey Luskinは言いたいのだろう。ヒトは神によって創造されたのだと。それこそが"Uncommon Descent"(異なる系統樹)を掲げるインテリジェントデザインの主張。Casey Luskinにとっては麗しいことだろう、


しかし、聖書を無視してしまえば、遠景でも近景でも"Abrupt Appearance"は気持ちの悪い未来を推論させてくれる。うるわしさの欠片もない未来を。

  • ヒトの"Abrupt Appearance"が最後だと考える根拠はない。インテリジェントデザインが遠景で見る過去には複数回の"Abrupt Appearance"がある。ならば、次もあるだろう。
  • 次もまた、"突如"として生きていくに十分な訓練と学習を終えた状態の成体の集団が無より出現するだろう。

中間形態がないと豪語したことは、そのまま自らの未来にふりかかってくる。何の前触れもない突如の出現。すなわち、それが明日であったとしても、不思議ではない。


その気持ち悪さと荒唐無稽さを避けたいなら、第3ステップ"Abrupt Appearance"など論じてはいけない。しかし、Casey Luskinは論じる。サルとヒトの境界は絶対的だと。Casey Luskinの頭には人類を過去の遺物とするような新たなる存在の出現など微塵もないのだろう。だから、うるわしき遠景としての"Abrupt Appearance"を語れる。

人類こそが最終形態だと信じられる者のみに与えられた特権だろう。
posted by Kumicit at 2006/03/03 01:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID: General | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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