2010/04/28

「神は無から宇宙を創造するとともに、創造した宇宙に介入する」というインテリジェントデザイン支持者

インテリジェントデザイン支持者Jay Richardsが「神の創造行為は、無から宇宙を創造したことだけでなく、創造した宇宙への介入も創造行為なのだ」と論じて、インテリジェントデザイン"理論"を擁護した。
As we saw in the previous piece, it’s true that Thomas considers creation ex nihilo to be the pre-eminent meaning of the word "create." And it distinguishes God’s creative power from the kind of "creation" of which human beings are capable. As he puts it: "To create [in the unique sense attributable to God] is, properly speaking, to cause or produce the being of things." (ST I:45:6). In other words, God doesn’t just take a pre-existing substratum and fashion it, as does the Demiurge in Plato’s Timaeus. God calls the universe into existence without using pre-existing space, matter, time, or anything else. So when he creates the universe from nothing, God’s creative act does not involve changing one thing into another,3 as Tkacz notes.

But as we’ve already seen, for Thomas (and Christianity for that matter), this isn’t the only thing God does. It’s not God’s only mode of action. As part of his initial creative activity, in particular, God also "fashions" the things he has created (though God doesn’t need hands and fingers to do this of course). Or, to put it differently, he uses his transcendent power to change natural entities, even to change them into something else entirely.
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The real question, in any case, is not whether God has to "fix up" or "adjust" natural things (as Tkacz says). Nor is it whether God "intervenes," ... The real question is whether, according to Thomas and the Catholic tradition, God acts only in the way Tkacz dictates. As we’ve seen, the answer to that question is a resounding no. God creates the world from nothing and continually upholds it, to be sure, but he also acts directly within it for his purposes. To affirm the latter is not to deny the forme

我々が以前に見た引用部分のように、Saint Thomas Aquinasが「創造」という単語の意味として、「無からの創造」を考えたことは正しい。そして、それこそが神の創造の力と、人間が持っている創造の能力と分かつものだと考えていたことも。Thomasは「神独自の属性として創造することとは、適切にいえば、物を存在せしめることである」と書いている。言いかえれば、プラトンのティマイオスにおけるデミウルゴスのように既存のもの何かを作るようなことを神はしない。神は既存の時間と空間と物質を使わずに、宇宙を存在せしめた。したがって、Tkaczは指摘するように、神が宇宙を無から創造したとき、神の創造の力は、あるものを別のものに転換することを含まない。

しかし、我々がThomasについて既に見てきたように、これだけが神の行うことではない。これだけが神の行動モードではない。神の最初の創造行動で、特に神は自身が創造した物から、別のものを作っている。もちろん、そのための神のは自ら手や指を使う必要はない。言いかえれば、神はその超越的な力で、自然界の存在をまったく別の存在に変えている。

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いずれによ真の問題は、神が自然の存在を、修理したり調整したりする必要があるか否かではない(Tkaczが言うように)。神が介入したか否かでもない。真の問題は、Thomasおよびカトリックの伝統によれば、神はTkaczが言う方法のみよって行動するか否かである。我々が見てきたように、その問題に対する回答は、まったく全然ノーだ。確かに神は無から世界を創造し、その世界を維持し続けているが、しかし神は目的のために世界に直接介入している。前者を確信することは、後者の否定を意味しない。

[Response to Michael Tkacz's Critique of ID (2010/04/26)]
インテリジェントデザイン"理論"の主たる主張が、「神の介入はあった」であることを強く主張しているJay Richardsの記述である。神学の主張としては別に間違ってもいないし、このような主張することも別になんら問題ではない。

ただし、それはインテリジェントデザイン"理論"が神学だと言っているに等しいが。


posted by Kumicit at 2010/04/28 02:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID: General | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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