- インテリジェントデザインは「生命の起源の話」だという斬新な見方(06/26)
「自然選択と突然変異による進化」を否定するインテリジェントデザインを、「生命の起源の話だ」と書く竹内薫氏。 - データ1点で「ゆらいでいる」と言う...(06/26)
米国ではゆるぎなく、創造論が半数近くの国民から支持されているが、世論調査1つだけを参照して、「進化論支持がゆらいでいる」と書く竹内薫氏。 - インテリジェントデザインは反証可能だと考えているはず...(06/25)
「Negative Argument形式で定義される」インテリジェントデザインを疑似科学ではなく、科学の「大仮説」として扱う竹内薫氏。 - 「仮説を作る」とは「サークルを作る」こと(06/24)
創造科学違憲判決対策としての"Of Pandas and People"(1989)でも、Dr. Michaerl Beheの"Darwin's Black Box"出版(1996)でもなく、UC SanDiegoに学生サークル団体"IDEA Club"ができたことを以って、インテリジェントデザイン仮説が創られたと言う竹内薫氏。
以上を見ると、竹内薫氏は「現実に存在するインテリジェントデザイン運動」からキーワードやエピソードを拾って、改変して、「架空のインテリジェントデザイン理論」を語っているように見える。
この「架空のインテリジェントデザイン理論」は、「現実に存在するインテリジェントデザイン運動」と違って、福音主義キリスト教や"若い地球の創造論"を背景に持っていない。竹内薫氏は直接的にそう記述はしていないが、次のように書くことで、「架空のインテリジェントデザイン理論」が宗教と無関係であると印象付けている。:
ところがおもしろいことに、宗教界のほうがこれをどう判断しているかというと、たとえばカトリック教会は、あまり知的設計説を歓迎していないんですよ。神様による創造説に似ているわけだから、歓迎しそうなものですが。カトリックにだけ言及しているが、全宗教にあてはまりそうな印象を受ける。うまい書き方だ。
その理由は簡単で、神の意図はそんなに簡単にわかりやすく証拠として顕れはしない、という神学的考え方があるからなんです。
[竹内薫: 99.9%は仮説(2006), p.163]
もちろん、記述内容は架空であって、現実とは異なっている。たとえば、カトリックは"若い地球の創造論"を教義とはしていない。むしろ、否定的だ。
==>Guy Consolmagno「創造論は迷信的な異教のひとつの形」
==>和田幹男:「聖書の天地創造と現代の自然科学」 on 和田幹男
また、カトリックがインテリジェントデザインを受け入れないのは、科学界メインストリームにしたがい、インテリジェントデザインを科学とみなしていないから。また、さらに、インテリジェントデザインのGod of the gaps論法(科学の隙間に神を置く=科学で解明できないことは神様のせいなのさ)を神学的に容認しないことも理由である。
==>George V. Coyne:「インテリジェントデザインは神を小さくする」
竹内薫氏の「架空のインテリジェントデザイン理論」の用途
まとめると、竹内薫氏の「架空のインテリジェントデザイン理論」とは:
生命の起源についての、宗教とは関係がない、科学の大仮説である。
そして、この「架空のインテリジェントデザイン理論」が実在すると思わせるために、「カリフォルニア大学サンディエゴ校」や「カトリック」などの実在の名称を持ち出しているようだ。
そんな架空の存在をつくりだしたのは、おそらく「現在の常識から考えると、ちょっと疑わしい仮説」である「大仮説」について、印象的に語るためだろう。一般人向けに手頃な「大仮説」がそうそうあるわけでもなく、あっても、適当なページ数で語りきれるかどうかはわからない。だとするなら、わかりやすい架空の大仮説を作ったほうがいい。ただし、「架空」だと読者に告げると説得力がなくなるので、「実在」の大仮説を装ったというところかな。
で、さらに、ストーリーを印象的にするには「大仮説は科学界メインストリームの抵抗にあう」というエピソードがほしいところ。そこで、竹内薫氏は次のようなネタを書いている:
さて、この論争のそもそもの発端は、バージニア州フェアファックスにあるジョージメイソン大学のキャロライン・くロッカー教授が。生物学の授業で知的設計説を教えて謹慎処分を受けとことになります。これは実際にあったエピソードを改変したもの。実際はMark Isaacの創造論者の主張にリストアップされたような内容を講義で話し、学生からの抗議を受けている:
クロッカー教授は、べつに知的設計説が正しいと教えようとしたわけではなく、「こういう説もあるんだよ」ということを、進化論を教えるときに一緒に教えようとしただけなんです。
[竹内薫: 99.9%は仮説(2006), p.163]
==>PZ Myers: "Heck yeah―Caroline Crocker should have been fired" (2006/02/05) on Pharyngula
==>Caroline Crocker on "Expelled Eposed" by National Center for Science Education
そして、さらに次のように書いている:
これが原因で、はたして高校や大学の授業でこの説を教えるべきかという論争にまで発展したんです。確かに、このCaroline Crockerの件があった2004年暮れから2005年にかけて論争は起きていた。ただしそれは、ペンシルバニア州Dover学区で行われていたKitzmiller et al v. Dover Area School District et al(2005)裁判である。
[竹内薫: 99.9%は仮説(2006), p.165]
1987年の Edwards v. Aguillard裁判 により公立学校の理科の授業に侵入できなくなった創造論者たち。対策として、聖書への直接言及を除去したインテリジェントデザインで再侵入をはかった。2004年末にペンシルバニア州の小さな町Doverの学区教育委員会はインテリジェントデザインを理科のカリキュラムに入れた。これに対して、ACLU(アメリカ自由人権協会)とAU(政教分離のための米国人同盟)の支援のもとで、保護者11名がDover学区を訴えた。そして、原告勝利の判決が2005年12月20日に出た。もちろん、竹内薫氏の「架空のインテリジェントデザイン理論」は宗教とは関係ないので、政教分離原則違反とみなされることもない。したがって、Dover裁判も存在しない(判決は2005年12月20日で、「99.9%は仮説」は2006年2月発売なので判決に言及することは日程上無理かもしれないが、論争の場である裁判の進行は見えていたはず)。