2006/06/01

手抜きでインテリジェントデザインを語る渡辺久義先生

統一協会の下部組織のひとつ勝共連合の雑誌『世界思想』連載の渡辺久義先生の「人間原理の探求」だが、ここのところ、調べものをサボって書いているような...

反進化論者が編集者をするイタリアの学術誌の載った論文の瑣末な表現で1回分

2005年10月号の「科学研究の枠組みとしてのID理論」では、統一協会信者のDr. Jonathan WellsのPeer-reviewed Paper である

Jonathan Wells, “Do Centrioles Generate a Polar Ejection Force? Rivista di Biologia/Biology Forum 98 (2005): 37-62.[Discovery Instituteにあるコピー]

をネタに1回分の原稿を始末している。これについては

インテリジェントデザイン関連論文[2006年01月09日]

で見たとおり。そのひとつについて次のようにKumicitは書いた

Jonathan Wells, “Do Centrioles Generate a Polar Ejection Force? Rivista di Biologia/Biology Forum 98 (2005): 37-62.[Discovery Instituteにあるコピー]
イタリアの学術誌なので、三流クラスと思われる。論文自体は細胞分割関連ネタで、Abstractと本文中にさりげなく、"Design"という単語をまぎれこませたもの。

Instead of viewing centrioles through the spectacles of molecular reductionism and neo-Darwinism, this hypothesis assumes that they are holistically designed to be turbines.

What if centrioles really are tiny turbines? This is much easier to conceive if we adopt a holistic rather than reductionistic approach, and if we regard centrioles as designed structures rather than accidental by-products of neo-Darwinian evolution (Wells[2004]).


下線はKumicitによる。また、citeしている[Wells 2004]はインテリジェントデザイン関連サイトにある記事。
読めばわかるが、インテリジェントデザイナーが存在すると主張しているわけではなく、デザインされたと仮定した上での仮説という表現をしているだけ。別にその一言がなくても、この論文は成立する。


そして、なんとこのRivista di Biologia/Biology Forum ってのは、反進化論学者Giuseppe Sermontiが編集者をしている{Andrea Bottaro 2005]。

そして渡辺久義先生は、
こうした論文の中でも特に注目されるのが、ごく最近、イタリアに古くからあるRivista di Biologia / Biology Forumという権威ある生物学術誌に掲載されたジョナサン・ウェルズ(Jonathan Wells)――Icons of Evolutionの著者――の "Do Centrioles Generate a Polar Ejection Force?" という論文ではないかと思う。
....
これは細胞分裂のメカニズムについての、従って癌の解明につながる新しい仮説であるが、ネオ・ダーウィニズムの還元主義的観点からは出てこない仮説であると本人が明言している。
と書いている。

反進化論学者Giuseppe Sermontiが編集者をしていることを隠蔽し、さらに論文の流れに無関係に紛れ込ませただけの"rather than accidental by-products of neo-Darwinian"という表現だけ拾っている。それだけで、連載1回分をもたせてしまうのは怠慢しすぎ。

まあ、統一協会信者Dr. Jonathan Wellsを持ち上げておくのはスポンサーへの配慮だろうが。


定番ネタとSermontiと構造主義生物学で済ませる渡辺久義先生

2006年3月号の「哲学を避けられぬ現代科学者」では、定番ネタはカンブリア爆発である。で、何故かあわせて、
50%の眼などない

また五〇パーセントの眼とか、五〇パーセントのコウモリの翼といったものが、頭でも考えにくく現実にも存在しないとしたら、潜在性(あるいはデザイン)として最初からあったものが、完全な形で顕現するという考え方が自然なのではなかろうか。

である。ただし、

アンドリュー・パーカー: 眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く[Amazon]

を意識しての言及ではないはず。知っていたら、対抗する議論を書かないのはただの自爆だ。

一応、カンブリア爆発はDiscovery InstituteのCenter for Science and Culture のセンター長であるDr. Stephen Meyerの持ちネタである[Meyer 2004, 2005]。しかし、これは反進化論の定番ネタで、インテリジェントデザインも使っているだけ。

眼のない世界では、明暗が識別できるだけの眼点1個でも、有利になりそうだが。


創造論を知らない

渡辺久義先生は2005年11月号の「「論争で浮かび上がる学界の体質」では、見事に創造論(Creationism)についての無知ぶりを発揮している。
 2.IDはクリエーショにズムである。
 これはcreationismという言葉のもつ、アメリカ特有のニュアンスを知らなければ理解できない。単に(機械的)進化論に対する(能動的)創造論ということではない。これはたとえば人類の歴史が6千年であるとか、地球の歴史が1万年であるといった、聖書から出てくる算定などをそのまま信ずる立場を指していう。要するに、科学の発達していなかった古い時代の、宗教対科学論争の蒸し返しだと言いたいわけである。ダーウィニストがIDを軽蔑して切り捨てるのにこの語がほとんど必ず使われ、ID派もこの呼称を必死に退けようとするところを見ると、creationism という語がほとんどracism(人種差別主義)のような語感をもつのかとさえ思える。もちろんこれは典型的な「言いがかり」である。


これは無知すぎ。あるいは嘘つきすぎ

  • 創造科学(Scientific Creationism)が理科の授業から追い出されたのは1987年である。どうもご存じないようだ。それとも御自分の年齢がわからなくなって、20年前が「古い時代」に思えたのか
  • そして、今もなお、Answers in Genesisなどが"若い地球の創造論"を掲げている。そういった状況はまったくご存じないようだ。
  • 創造科学の父Dr. Henry Morrisは、インテリジェントデザインが何も新しいことを言っていないと言っている[Morris 2005]。還元不可能な複雑さの説明がHenry Morrisと仲間たちの"Scientific Creationism"[1974, 1985]に載っている。Dembskiの複雑な指定された情報と判断する確率の基準がHenry Morrisの本に載っている。せめて創造科学の教科書的な本である"Scientific Creationism"くらい読んでから、「インテリジェントデザインは創造科学ではない」と主張すべきだろう。手を抜きすぎ。
  • デザイン(Design)されたものが、突如出現する(Abrupt Appearance)なら、その間には"Creation"があるはず。創造科学を理科の授業で教えるのが違憲になったときの創造科学側の言い換えが"Abrupt Appearance"だったこと。そのときの言い換えを踏襲しているだけなのだが、それもご存じないようだ


関連エントリ:
創造科学をパクるインテリジェントデザイン[2006年03月06日]
Common Descentな創造科学とインテリジェントデザイン[2006年03月23日]

posted by Kumicit at 2006/06/01 07:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | Hisayoshi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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