2006/06/24

遠い世界からのトラバ

今日は2006年6月17日に遠い世界からのトラバ「JRF の私見:宗教と動機付け: イメージによる進化」で言葉と踊るJRF氏を見てみる。

行き掛かりで言葉と踊る人々は多い。というより、それが普通かもしれない:

  1. エンティティ(物体・現象・法則など)を呼ぶには名前が必要だ
  2. その名前は既存の言葉の組み合わせで作る
  3. 組み合わせに使った言葉には別の意味がある
  4. その別の意味が、誤解を招く

自分の知っている意味によって、名前から意味を知ってしまう。よくあることだ。

さて、JRF氏はどこまで言葉と踊っているだろうか。


"変化を伴う系統"と"進化"は?

まずは、基本定番「進化とは、進歩の階梯を上っていくようなも」を踏んでいるだろうか。

この定番はそもそも"Evolution(進化)"という言葉に依存する。Darwin: "Origin of Species"ではもともと"Descent with Modification"(変化を伴う系統)が使われ、後に"Evolution"(進化)も使われるようになった。
18世紀後半から19世紀初頭において「進化」という言葉は今日われわれの知っている意味とは違った意味を持っていたことである。それは常に胚の発生(evolution)の意味に使われていた。すなわち、発生学の文脈の中でもっぱら用いられていた。この言葉は力学的天文学の理論、たとえば宇宙の静止モデルを長い年月をかけて現在の天空の星位が出現するのを予測する他のモデルにおきかえたラプラスの理論のようなものにも用いられた。奇妙なことにダーウィン自身は滅多にこの言葉を用いなかった。

J.H.ブルック他:"創造と進化"[Amazon, p.9]
"進化"には、"進歩"あるいは"階梯を昇る"といった意味合いはない。
英語でevolutionとつづり,このごろでは化学進化などのことばでもおなじみの単語である.動詞はevolveだが,この語はもともとラテン語の evolvereに由来したもので,e-はoutとか,否定の意味を表し,またvolvereは「巻き込む,包む」の意味をもっている.つまり「包みをほどく」というのが原意で,現代英語でunfoldという語がちょうどこのフィーリングのものであろう.

http://www.kagakudojin.co.jp/gogen/gogen4/index.html


JRF氏は明示的にはこの定番を踏んでいない。


字義通りの利己的遺伝子?

続いて、わりとあるのが"利己的"遺伝子というメタファーを字義通り解釈すること。
ドーキンスの「利己的遺伝子」という概念における「利己的」という語は、文字どおりとってもらおうというものではない。遺伝子が利己的にふるまうことができないのは当然のことだ。利己的というのは道徳的な特性であり、それはおそらく人間だけが所有するものだろう。ドーキンスもこのことは誰よりもよく知っている。彼が言いたいことは、アナロジーによるものだ。遺伝子はそれが利己的であるかのように、遺伝子は自分の利益だけを気にしているかのようにふるまっている(もちろん数学的な意味で)ということである。実は、もちろん、遺伝子が何かするわけではない。遺伝子は単なる無力なDNAによる小片で、その唯一の機能的能力は、自らの複製を作るということだけである。しかし、ダーウィン的自然選択の過程は、遺伝子が次の世代の自分を複製できる効率が能動的な選択に見えるように、遺伝子に作用する。ドーキンスは、我々が行動(あるいは他の何でも)の進化について問うときには、遺伝子の側から見なければならないということを指摘しているだけである。この論点は訓示的なもので、進化論研究においては、与えられた遺伝子の次の世代に現れる複製の数という観点から説明されなければならないということを意識させるものだ。
 こうした用語のいずれも、それを文字どおりに解釈するとナンセンスになる(さらには出されている主張と矛盾する)ことになる。

Robin Dumber:「科学がきらわれる理由 (1997)」(
訳本
1995) の「p213 鏡の国の科学 メタファーの問題」
この超有名な誤解もしているように見える。

それらしいJRF氏の記述がある:

生物の本質は、遺伝子でありあとは属性または環境要因に過ぎないのだろうか?または、もっと過激に、生物とは遺伝子の入れ物に過ぎないのだろうか?



突然変異?

ここまでなら、特に面白みのある話ではない。が、ここからが変な世界へと入っていく。次の記述は普通はかけない:
「突然変異」という言葉がある。冗談じゃない。変異はもともと一般的なもので、我々が思っている以上に、我々には差異があるのではないだろうか?


これは初見のパターンだ。突然変異(Mutation)の辞書的な定義はwikiだと:
In biology, mutations are changes to the genetic material (usually DNA or RNA).

生物学では、"mutations"は遺伝物質(ふつうDNAかRNA)に対する変化である。
"変化する"という動的なニュアンスを表すために"突然"という言葉を補った訳語というところだろうか。日本語版wikiでも
突然変異(とつぜんへんい)は生物学の用語で、遺伝情報に永久的な変化が生じることを意味する。物理的には遺伝物質 (DNA や RNA) の塩基配列の変化である。単に変異とも言う。
となっており、"突然"はなくてもよいという記載になっている。

"突然"の意味「物事が急に思いもかけず行われるさま」(大辞林)をどう歪ませても、JRF氏のような記述にはつながらない。


自然淘汰と適者生存

自然淘汰と適者生存については、普通に字義通りに読んで、インプリケーションを展開するJRF氏:
これまで教育を受けた一人の実感として、「自然淘汰」にはどんなことも自己責任で不本意な結果を受け容れねばならないという印象が、「適者生存」には共調の入る余地がなく、それが「突然変異」とあいまって、勝者は必然であるとの印象を受ける。


自然淘汰はNatural Selectionに対するちょっと古っぽい訳語である。そのまま自然選択と訳されることも多い。

で、このNatural Selection(自然選択・自然淘汰)[wiki]の別表現がSurvival of the fittest(適者生存)である。wikiによれば:
Survival of the fittest is a phrase which is a shorthand for a concept relating to competition for survival or predominance. Originally applied by Herbert Spencer in his Principles of Biology of 1864, Spencer drew parallels to his ideas of economics with Charles Darwin's theories of evolution by what Darwin termed natural selection.

The phrase is a metaphor, not a scientific description; and it is not generally used by biologists, who almost exclusively prefer to use the phrase "natural selection".

適者生存は、生存競争あるいは優勢競争に関する簡略な表現である。もともと、1864年の"Principles of Biology"においてHerbert Spencerによって使われ、Charles Darwinが進化論において自然淘汰という用語で呼んだものと、経済学における彼の考えとの類似を引き出した。

この表現は、比喩であり、科学的な記述ではない。生物学者はこの表現を一般的に使うことはなく、自然淘汰という表現を使う。

実際、Gutenberg Projectにある2つの版の"種の起源"を見てみると....

Charles Darwin: "Origin of Species"[Project Gutenberg EBook]では、"Survival of fittest"(適者生存)は使われていない。ちなみに、この版では"Evolution"ではなく、"Descent with Modification"が使われている。

Charles Darwin: "Origin of Species, 6th Edition" [Project Gutenberg Etext]では:


I have called this principle, by which each slight variation, if useful, is preserved, by the term natural selection, in order to mark its relation to man's power of selection. But the expression often used by Mr. Herbert Spencer, of the Survival of the Fittest, is more accurate, and is sometimes equally convenient.

個々の少しの変化が、もし有益であれば保存されるというこの原則を、人間の力による選択との関係で、自然淘汰(選択)という用語で呼んだ。しかし、Herbert Spencerによって、しばしば使われる適者生存という表現が、より正確で、ときには手頃である。

(CHAPTER III. STRUGGLE FOR EXISTENCE.)
同じく、"Evolution"という単語も使われるようになる。

ちなみに「淘汰」とは「水で洗ってより分けること。転じて、不必要なもの、不適当なものを除き去ること」(大辞泉による)であり、"Negative Selection"的なニュアンスの言葉。


さて、名前に使われた言葉の意味から展開されるイメージをめぐって、JRF氏は踊り始める。それを妨げるつもりは全くないが、他人には何の意味もないものだ。

たとえ、今では適切とは言えない名前であっても、それを変更することはない。というのが習慣だからだ。恒星の終焉への過程に付けられた新星(Nova)・超新星(Supernova)という真逆の名前。あるいは、はじめはアルファベット順に並べたつもりが、結果としてぐちゃぐちゃになってしまった恒星系列(O B A F G K M, R N, S)。幾らでもある。整理しなおさないのは、名称変更すると過去の文献やデータが読めなくなってしまうからだ。それは混乱の元でしかない。


Guided by God

米国恒例の進化論世論調査における選択肢"Guided by God"はちょっとあいまい:

"Which of the following statements comes closest to your views on the origin and development of human beings?
(1) Human beings have developed over millions of years from less advanced forms of life, but God guided this process.
(2) Human beings have developed over millions of years from less advanced forms of life, but God had no part in this process.
(3) God created human beings pretty much in their present form at one time within the last 10,000 years or so." Options rotated 1-3, 3-1

人類の起源と発展についてのあなたの見方について、どれが一番近いですか?
(1) 人類は数百万年以上の時間をかけて、進歩していない形態の生物から発展してきており、その過程を神がガイドしてきた。
(2) 人類は数百万年以上の時間をかけて、進歩していない形態の生物から発展してきており、その過程に神は何もしていない
(3) 神は1万年以内の過去に人間を現在の形で創造した

とあるのだが、(1)は進化論サイドにたつ有神論的進化論のようでもあり、"guided", "directed"とかを連呼するインテリジェントデザインのようでもある。たとえばChristian Postの2005年7月19日付の記事「Catholics Accept Evolution Guided by God」によれば、ワシントン大司教であるTheodore Edgar McCarrick枢機卿は

McCarrick said this concept of "theistic evolution" – agreeing with Darwin's evolutionary theory, given that one accepts God’s guidance in the process -- was the view of the late Pope John Paul II.

McCarrikは、ダーウィンの進化論と相反しない、進化の過程に神のガイダンスがあったという有神論的進化論が、教皇ヨハネパウロII世の見方であった、と言った。
と有神論的進化論(神の直接介入はない立場)のようでもある。あえて、選択肢をあいまいにして、米国全体が創造論信者だという印象を与えないようにしているのかもしれない。

つまりは、"Guided by God"の意味の幅広すぎるので、世論調査には適していても、テクニカルな議論には向かない。
インテリジェントデザイン支持者たちも、"guided, directed, purposeful"の具体的定義を述べることはない。いつも、あいまいどころか、定義なしのままだ。明確にするために、intervention(神の介入)があったか、なかったかを明示すべきところ。



"環境"

Peter Little: Genetic Destinies [邦訳題名は"遺伝子と運命"]の主張はつまるところ、「遺伝子決定論(genetic determinism)はない!!」である。JRF氏はこれを読んで、"遺伝子本質論"を批判する:
『遺伝子と運命』の主張とは違うが、遺伝子以外はすべて「環境」であるという主張は、「本質」はそれ以外の「属性」からなるべきだとする西洋哲学の特殊な変形で、「遺伝子」を崇拝する特殊な学派の意見にすぎないのではないかという批判ができる。


ここではJRF氏は、"本質論"という言葉ではなく、"環境"という言葉と踊っているようだ。なかなか、お目にかかれないパターンだ。JRF氏は「環境は副次的役割の存在」という神学の上にいるようだ。



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ということで、進化論にまつわるよくある誤解ではなく、ちょっと違うところで言葉と踊るJRF氏。それはそれでよいのだが、問題がひとつだけある。それは、言葉との踊りが、全然、笑いにつながっていないことだ。



posted by Kumicit at 2006/06/24 12:29 | Comment(0) | TrackBack(1) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Weblog: JRF の私見:宗教と動機付け
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