
1地点だけに短時間のピークが8回見られる。これは散発的に放射性物質が放出されていて、たまたま風に乗って、それが通過した時に、観測値が増大していると考えられる。
風が陸側に向かって吹いているときに起きた大規模な放出は3月15日の1回だけだと思われる(福島市および飯館村の増加)。その後、大きな増加は見られない。郡山の観測点移動に伴い、郡山が福島市に近い値になっている。
風が陸側に向かって吹いているときに起きた大規模な放出は3月15日の1回だけだと思われる(福島市および飯館村の増加)。その後、大きな増加は見られない。郡山の観測点移動に伴い、郡山が福島市に近い値になっている。
これらに加えて文部科学省の公表値もあわせて、2011年4月4日12:00頃の放射線観測値をプロット(水色は1μSV/h未満)。

3月28日からの値を見ると、値の大きなところは安定して大きいため、おそらく2011年3月15日の放出の影響と見られる。ひとつの流れは、浪江町津島・葛尾村・飯館村・南相馬小高区金谷から福島市方面。その後に郡山に向けて少し南下したように見える。もうひとつは南へ流れで、広野町・いわき市久の浜。
これらは米国エネルギー省が公表した観測値ベースの推定値に見られる放射線の強い領域と同様の傾向を示している。

つづいて気象庁の(地震情報(各地の震度に関する情報))の速報値ベースで、マグニチュード1ごとにカウント。関連の有無が判断できないため東北・関東をカウントし、新潟・長野方面や新島・神津島近海・天草灘などを除外した。また、最初の地震を速報値から修正値(M=9)に修正、3/15の静岡の地震を修正値(M=6.4)に修正。
日ごとの回数をプロット。また掲載分についてエネルギーとして集計したものもプロット。ただし、地震情報(各地の震度に関する情報)は全地震を収録しているわけではない(マグニチュードは大きくても震度0だったら載らない。また、3月20日以降は気象庁が余震とみなした地震のうち、次第震度2以下は省略されている。)ので、あくまでも目安。

2011年3月28日7:24の宮城沖の地震はM6.5と、3月13日以降の最大余震。ある程度、多い時期と少ない時期が変動しつつ、次第に終息に向かっているように見える。
それから、死者&行方不明者の数の推移を見てみた(警察庁まとめ数値)。大地震では最も激甚な被害を受けた場所からの情報はすぐには出てこないことがわかっている。当初は被害規模は小さく見えるが、時間とともに全体像が見えてくると、当初とは大きく違った巨大な被害が明らかになる。今回は3月11日の地震&津波から2週間近く経過した、3月24日あたりで、ようやく犠牲者数の全容が見えているようである。

津波で家族全員どころか地域全体が消滅するという状況では、行方不明であることを知ることさえ困難になることを示している推移である。
なお、朝日新聞の報道によれば、岩手県山田町と宮城県仙台市、東松島市、山元町、南三陸町の5市町の行方不明者の数が警察庁の集計に入っていない。この5市町の死者が2726名なので、3000名規模の行方不明者がいると見られている。