2006/06/25

再びメタファーの問題 

メタファーもアナロジーは、あくまでも、ひとつのことをわかりやすく言うための手段にすぎない。メタファーもアナロジーもそれだけのものであり、理論の一部を構成することはない。しかし、それらを理論の一部だと思い込めば、誤解を生む。


Dawkinsのメタファー "METHINKS IT IS LIKE A WEASEL"

Richard Dawkinsが繰り出すメタファーもまた誤解を生み出した。利己的遺伝子はその典型であろう。字義通り解釈すれば、まったくの誤解にしか至らない。利己的遺伝子以外にもDawkinsのメタファーは理解よりも誤解を生み出しているようだ。そのひとつはDawkinsが"Blind Watchmaker"(盲目の時計職人)で使った累積選択の効率を語るメタファーである"Weasel Program"(wiki)である。

あくまでも、説明に便利なものだが、それ以上のものではないことは、Dawkinsがちゃんと書いている:
Although the monkey/Shakespeare model is useful for explaining the distinction between single-step selection and cumulative selection, it is misleading in important ways. One of these is that, in each generation of selective 'breeding', the mutant 'progeny' phrases were judged according to the criterion of resemblance to a distant ideal target, the phrase METHINKS IT IS LIKE A WEASEL. Life isn't like that. Evolution has no long-term goal. There is no long-distance target, no final perfection to serve as a criterion for selection, although human vanity cherishes the absurd notion that our species is the final goal of evolution. In real life, the criterion for selection is always short-term, either simple survival or, more generally, reproductive success.

サル・シェークスピアモデルは、単一ステップの選択と累積選択の区別を説明するには便利だが、重要な点で誤解を招く。そのひとつは、各世代の選択的"増殖"と変異体の"後継"フレーズの判断を、彼方の理想ターゲットたる"METHINKS IT IS LIKE A WEASEL"との類似度を基準としていることだ。生物はそのようなものではない。進化は長期的なゴールを持たない。人間はうぬぼれから、我々の種が進化の最終到達点だという愚かな概念を心にいだいているが、長期的なターゲットや、選択の基準として機能する究極の完成形もない。現実の生物においては、選択の基準はつねに短期的で、単に生き残るか、あるいは一般的には、繁殖に成功するかである。

Richard Dawkins: The Blind Watchmaker, (Penguin Science, p.50)
それだけのこと。

しかし、これに踊る者たちがいる。たとえば、インテリジェントデザイン理論家にして、Debmski用語CSIがわかっていないDr. Stephen Meyerは:
Thus, although this second neo-Darwinian scenario has the advantage of starting with functional genes and proteins, it also has a lethal disadvantage: any process of random mutation or rearrangement in the genome will almost inevitably generate nonfunctional intermediate sequences before any fundamentally new functional gene and protein would arise (see figure 21). Such sequences would thus confer no survival advantage on their host organisms.

従って、このようなネオダーウィニズムの第2のシナリオは、機能する遺伝子とタンパク質からスタートするという長所があるが、最終的な短所がある。すなわち、ゲノム内のランダムな突然変異と並べ替えのいかなる過程でも、基本的に新しい機能する遺伝子とタンパク質が出現する前に、機能を持たない中間シーケンスが必然的に生み出される。そのようなシーケンスは、それをホストする生物に生存の優位性を与えない。


Zone of Function --- Methinks it is like a weasel.

Methings it is wilike B wecsel.

The Abyss niane aitohat; weaziojhl ofemq.
↑ ↑
↑ Time and tiee wait for mo mao.
↑ ↑
Zone of Function --- Time and tide wait for no man.

Figure 21

http://www.discovery.org/scripts/viewDB/filesDB-download.php?id=29

メタファー相手にまじめに議論をして、進化はないと言うのがインテリジェントデザイン理論というわけ。インテリジェントデザインはもともと理論の一部にアナロジーを含むので、その習慣で世の中を推し量っているようだが、それは間違い。理論の一部にアナロジーを含むのはインテリジェントデザインくらいなもの。

インテリジェントデザインのDr. Michael Beheは鞭毛とネズミ捕りのアナロジーを使ったおかげで、鞭毛が分解されると実例を失い、ネズミ捕りが分解されると理論がこけるという、おばかな状態に自ら陥ってしまった。そして、鞭毛分解(Matzke 2003)とネズミ捕り分解(McDonald 2002 )の両方から攻撃されてしまう。

それでも、インテリジェントデザインを大学に広めるIDEA CENTERのFAQにはアナロジーは有効だと言う:
Arguments by analogy can be valid if there is sufficient similarity between the case in the analogy and the actual case. Intelligent design theory postulates that we can detect design by finding the product of design -- specified complexity. We try to detect intelligently sent signals from space through the "Search for Extra-Terrestrial Intelligence" (SETI) program by looking for specified complexity in the signals.

アナロジーの例と実際の例に十分な類似性があるなら、アナロジーによる議論は有効でありうる。インテリジェントデザイン理論は、デザインの生産物すなわち"指定された複雑さ"を見つけることでデザインを検出できると主張する。信号に"指定された複雑さ"を探す"地球外知性探索"(SETI)プログラムによって知性が送信した信号を宇宙から検出しようとする。

http://www.ideacenter.org/contentmgr/showdetails.php/id/1151


アナロジーとメタファーで構成された世界に住んでいるが故に、Dr. William Dembskiは"No Free Lunch"(Amazon)で、遺伝的アルゴリズム対するNFL定理を、進化に適用できると根拠なく主張する。


ということで、理論の一部にアナロジーやメタファーがあるのは論外としても、わかりやすさのためにアナロジーやメタファーを使うのも考えものというところ。

posted by Kumicit at 2006/06/25 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID: General | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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