[Chris Mooney: "The Science of Why We Don't Believe Science" (2011/04/18) on Mother Jones]
我々が科学を信じない理由についての科学 (1/4)
「信念の人の考えを変えるのは困難だ。彼に意見が合わないと言ったら、彼はそっぽを向くだろう。彼に事実や数字を見せれば、そのソースを疑問視するだろう。論理に訴えれば、彼は論点を理解しないだろう」 そう、Stanford Universityの有名な心理学者Leon Festingerは書いた。これは、米国人の一部が、我々の知っている地球温暖化や人類が原因であることなどを否定する、気候変動否定論について言っていると思うかもしれない。しかし、これは、それよりずっと昔の1950年代のことで、Festingerは心理学の有名なケーススタディについて書いている。
Festingerと共同研究者たちはシカゴの小さなカルト"Seekers"に潜入した。Seekersはイエス・キリストの霊体を含む複数のエイリアンと交信していると信じていた。このカルトは、ダイアネティクス愛好者であり、星間メッセージを自動筆記で書いているDorothy Martinに率いられていた。
彼女を通して、エイリアンたちは地球が壊滅する正確な日付 1954年12月21日を伝えていた。Martinの信者の一部は、大陸が分裂し米国の大半が新たな海に飲み込まれるとき、空飛ぶ円盤に救出してもらうことを期待して、仕事を辞めて、資産を売り払った。信者たちは、宇宙船内では危険だということで、ブラジャーやズボンのファスナーなどの金属を取り外した。
Festingerと研究チームは予言がはずれるときをカルトとともに迎えた。まず、"boys upstairs"(エイリアンはそう呼ばれた)は姿を現さず、Seekerたちを救出しなかった。そして、12月21日が何事もなく到来した。Festingerはまさにそのときを待っていた。感情的に深く信じていたものが、完膚なきまでに論破されたとき、人々はどう反応するのか?
まず、カルトは説明を求めて努力した。しかし、その後、合理化が起きた。新たなメッセージが到着し、最後の瞬間に彼らが予言を免れたことを知らされた。Festingerは地球外生命の新たな宣告を次ように要約した。「小さな集団が、一晩座って、あまりにも光を放っていたので、神が世界を破壊から救ったのだ」 予言を信じたいという意欲が予言から地球を救ったのだと。
その日から、かつては報道機関に対してシャイで、布教活動に無関心だったSeekerたちは方向転換し始めた。「緊急性を感じることは極めて大きい」とFestingerは書いている。彼らが信じていたことがすべて破綻したことで、彼らは自らの信念を強めていった。
否定論の年代記において、Seekerたちほど極端な例は多くない。彼らは職を失い、報道機関は彼らを嘲笑し、多感な若者たちが彼らに近づかないようにする活動もあった。しかし、Martinの宇宙カルトは人間の自己幻惑スペクトルの極端にいるが、そのまわりに多くが存在している。Festingerの研究以降、心理学と神経科学で多くの発見がなされ、我々が予め持っている信念が、新事実よりも、はるかに強力に、我々の考えをゆがめ、最も冷静かつ論理的な結論すらゆがめることが示されてきた。この、いわゆる「動機づけられた推論」を行う傾向の存在は、証拠があまりにも明確でありながら、極端に偏った意見を持つ集団が存在する理由を説明するのに役立つ。たとえば、気候変動やワクチンや"death panels"や大統領の出生地や宗教など。期待している人々は、事実の周りに飛び回っている事実に納得しているようである。
「動機づけられた推論」の理論は現代神経科学の重要な洞察の上に成り立っている。推論は感情日見ている(研究者たちはこれを「影響」と呼んでいる)。人々や物事や考えについての正負の感情が不可分に起きてくるのは、我々の意識的思考よりも、はるかに速く、脳波デバイスで検出可能なミリ秒単位であり、我々が意識をするよりも早い。それは驚くべきことではない。我々は環境中の刺激に対して迅速に反応することを進化は求めている。それは、University of Michiganの政治科学者Arthur Lupiaが説明する「基本的な人間の生存スキル(basic human survival skill)」である。我々は脅かしてくる情報を遠ざけ、親しみを感じる情報を近づける。我々は「戦うか逃げるのかの反応(fight-or-flight reflexes)」を捕食者に対してだけではなく、データそのものに対しても適用する。
我々は感情によって駆動されるだけではない。もちろん、意図的に推論を行う。しかし、推論はあとからやってきて、ゆっくり対応し、感情のないところで推論は行われない。むしろ、迅速に起こった感情は、大きく気になっている事柄について特にバイアスのかかった思考の方向性をセットする。
たとえば、創造主を信じている人が、深く挑戦するような科学的発見、我々の進化的起源を確認するような新たな人類の発見を聞いたとしよう。Stony Brook Universityの政治科学者Charles Taberが次に起きることを説明する。「新発見に対する無意識のネガティブな反応が起きて、そして、記憶のタイプをガイドして、意識上で関連性が形成される。「以前の信念と合致する考えを取り出しす。その考えが、自分が聞いたことについての議論と反論の構築を誘導する」とTaberは言う。
言い換えるなら、我々が自分が推論していると思っているが、実際には合理化しているのかもしれない。あるいはUniversity of Virginiaの心理学者Jonathan Haidtは次のようなアナロジーを提唱している。「我々は自分は科学者だと考えているが、実際には弁護士であるのだ」 我々の「推論」は、予め定めれた到達点、すなわち我々が勝利する「ケース」に至る手段であり、バイアスを通した推量である。それらには「確証バイアス」があって、自分の信念を強化する証拠や論に重きを置き、「反証バイアス」があって、自分と相性の悪い見方や論をデバンクあるいは論破しようと不釣り合いなまでにエネルギーを使う。
専門用語が多く出てきたが、我々はこれらのメカニズムを対人関係で知っている。たとえば、自分の配偶者が浮気をしていたとか、自分の子供がいじめっこであるとかを信じたくないとしよう。それを感情的に受け入れがたいなら、誰が見ても明らかな事実をそうではないと説明するために、相当な努力をすることになる。しかし、それは我々が世界を正確に認識しようという動機を持つことがないことを意味するわけではない。我々はそうする。あるいは、我々は決して心を変えることがないわけではない。我々は心を変える。これは、正確さ以外に重要な到達点、たとえば自分のセンスを確認し守ろうとすることなどがある。そして、事実が我々の信念を変えろと告げていても、我々はしばしば、それに強く抵抗する。
Obama大統領の出生地問題については、Colbert Report 2011/04/27を参照のこと。
- Chris Mooneyの「我々が科学を信じない理由についての科学」(1/4)
- Chris Mooneyの「我々が科学を信じない理由についての科学」(2/4)
- Chris Mooneyの「我々が科学を信じない理由についての科学」(3/4)
- Chris Mooneyの「我々が科学を信じない理由についての科学」(4/4)