To begin, motivated cognition refers to the unconscious tendency of individuals to fit their processing of information to conclusions that suit some end or goal. Consider a classic example. In the 1950s, psychologists asked experimental subjects, students from two Ivy League colleges, to watch a film that featured a set of controversial officiating calls made during a football game between teams from their respective schools. The students from each school were more likely to see the referees’ calls as correct when it favored their school than when it favored their rival. The researchers concluded that the emotional stake the students had in affirming their loyalty to their respective institutions shaped what they saw on the tape.推論を始める前に、認識の段階で既に我々は、ねじ曲がっていることが心理学研究で示されているという。
"動機づけられた認識"とは、ある終結点あるいは到達点に合致した結論に情報処理をフィットさせようとする個人の無意識の傾向のことを指す。古典的な例を挙げよう。1950年代に、心理学者たちはIvy Leagueの大学の学生たちから募集した被験者たちに、彼らが在学する大学が行ったフットボールの試合で審判が問題になった場面の動画を見せた。各大学の学生は自分の大学に有利な判定を、対戦相手に有利な判定よりも、判定が正しいとみる傾向があった。研究者たちは、学生たちが自分が在学する大学への忠誠心を持つという感情的関係によって、動画に何を見たかが形作られると結論した。
[Dan Kahan: What is motivated reasoning how does it work - Dan Kahan Answers (2011/05/05) on Chris Mooney's Intersection]
ただ、それは我々が愚かであるが故の結果ではない。
To be sure, motivated cognition can make us stupid, but it is not a consequence of stupidity. Social psychologists and behavioral economists distinguish between two forms of reasoning: “System 1,” which is rapid, intuitive, emotional, and prone to bias, and “System 2,” which is more deliberate, more reflective, more dispassionate, and (it is said) more accurate. A long line of research in social psychology, however, shows that “motivated cognition” spans the divide−that is, that needs and goals can unconsciously steer not only rapid “gut” reactions, but also even more systematic forms of analysis that are thought to be examples of “System 2.” ..."動機づけられた認識"は、より慎重な思考へも影響しているという。
"動機づけられた認識"によって我々はアフォになることはあるが、"動機づけられた認識"は我々の愚かさの帰結ではない。社会心理学者や行動経済学者は次の2つの推論を区別している。システム1は、迅速で直感的で感情的でバイアスのかかったものであり、システム2は、より慎重で、より思索的で、より先入観のない、より正確な推論である。社会心理学長きにわたる研究で、しかし、"動機づけられた認識"が、より広範囲に働いていることが示されてきた。すなわち、必要性と到達点が無意識に迅速な感情的な反応を制御するだけでなく、システム2の例と考えられるよりシステマティックな分析にも影響している。
人間は、どうにもこうにも考えを変えることがないらしい。
しかし、一方で、一気に考えを変えてしまうことがあることも心理学研究で明らかになってきている。
==>トンデモは連鎖するのは"自然"な成り行きかも (2009/05/19)
もっとも、トンデモ側に考えを変えて、トンデモ連鎖を続ける場合もあるけどね。
関連エントリ
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「物理世界についての直観と心理学的直観」に反した科学への抵抗が、「情報それ自体の正否を確認できずに、情報ソースの信頼性に依存して判断する」ことにより、信頼する宗教および政治的権威によって強化されることが、米国における創造論支持の多さの要因 - 進化論に抵抗のある生徒たちに対処する理科教育(1)
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理解できない力で制御不可能になったという感情を、パターン認識が埋め合わせていること。パターン認識は、生命はランダムだという感覚を均衡させ、何が起きているか理解し、その事態に自分が影響を及ぼせるという感覚を回復させる。株式市場の崩壊を巨大な陰謀論で説明する方が、金融システムが自分の理解を超えていると考えるよりも安心できる。陰謀論を信じれば事件の原因と動機が定まり、単なる偶発時と考えるよりも合理的だと思えるようになり、乱れて予測のつかない現実をコントロールのもとにおくことができる。- トンデモは連鎖するのは"自然"な成り行きかも
科学と宗教は歴史を通して繰り返し衝突してきた。その理由の一つは、科学と宗教が同一の現象について対立する説明を提示してきたことによる。我々はこの対立が自動的に起きることを示す証拠を提示する。証拠は、一方が認められた価値を増すと、他方の評価自動的に下がる- Daniel Nettle (山岡万里子 訳): Happiness - The Science behind your Smile (目からウロコの幸福学)]
ちまたに出まわる幸福の処方箋は、なにも書物にかぎりません。ありとあらゆる療法(セラピー)、ハーブ製品、スピリチュアル技法の数々。くわえて、宣伝広告のたぐいが描く、新商品を幸せそうに使う幸せそうな人々----。ほとんどはその効果が実証されていない、もしくは検証不可能であるにもかかわらず、これらの商品はおそろしくよく売れています。... こういったセラピーや技法をいとも簡単に信じてしまうのは、完璧な幸せを手に入れる方法がどこかにあるにちがいないと思っているからです。(pp.164-165)
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