2006/07/09

進化論はトートロジー by DIのシニアフェローGilder

インテリジェントデザインの本山たるDiscovery InstituteのシニアフェローであるGeorge Gilderが、National Review(2006/07/17)に「Evolution and Me」という記事を書いた。これのコピーがDiscovery Instituteのページにある。突っ込むべき点が多すぎる記事なのだが、今日はパラグラフ1個分だけ。


George Gilder: Evolution and Me, National Review, July 17, 2006
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These evolutionary sex wars were mostly unresolvable because, at its root, Darwinian theory is tautological. What survives is fit; what is fit survives. While such tautologies ensure the consistency of any arguments based on them, they could contribute little to an analysis of what patterns of behavior and what ideals and aspirations were conducive to a good and productive society. Almost by definition, Darwinism is a materialist theory that banishes aspirations and ideals from the picture. As an all-purpose tool of reductionism that said that whatever survives is, in some way, normative, Darwinism could inspire almost any modern movement, from the eugenic furies of Nazism to the feminist crusades of Margaret Sanger and Planned Parenthood.

これら進化論的性戦争がほとんど解決不能なのは何故かと言えば、その根っこで、ダーウィン理論がトートロジー的だからである。生存したものが適者である。適応したものが生存する。このようなトートロジーは、それに基づくいかなる論にも一貫性を保証するので、どのような行動パターン及びどんな理想と抱負が良き社会や生産的な社会に貢献するのかについて、何の成果もあがられなかった。ほとんど定義の上で、ダーウィニズムは構図から抱負と理想を払いのける唯物論的理論である。生き残ったものが何らかの意味で規範的であるという還元主義の万能ツールとして、ナチズムの優生学的激情からMargaret SangerとPlanned Parenthoodのフェミニスト改革運動まで、ダーウィン説はほとんどどんな現代の運動でも示唆できた。
...

わずかこれだけの長さで、テンプレ羅列とは、見事である。

  • 進化論はトートロジー
  • 進化論は社会のあり方について貢献しない
  • 進化論は唯物論
  • 進化論はナチズム・進化論はフェミニズム




定番「進化論は唯物論」について

機械論たる科学の枠内では、唯物論=形而上学的自然主義=「超越的な神は存在しないこと」を証明できない。従って、超越的な神は、その存否を含めて取り扱い対象外である。

反進化論サイドからは進化論のみ唯物論だと批判するが、気象学が唯物論だという主張はない。

==>忘却からの帰還: 進化論は唯物論だが、気象学は唯物論ではない by Casey Luskin


定番「進化論はナチズム・進化論はフェミニズム」について

進化論を自説の補強に利用としたのは左から右まで、そして宗教まで何でもありだった。別に左向き専用ではない:

  • 自由放任の資本主義
  • 社会主義
  • マルクス
  • Paleyの設計説
  • 神学的自由主義
  • 19世紀キリスト教神学

==>忘却からの帰還: ダーウィニズムさえ利用した宗教 メモ
==>忘却からの帰還: The Wedge Documentの出だしに絡んで..

というか、そもそも進化論・進化生物学は、機械論であって、善悪判断基準や価値基準を決める術を持たない。従って、社会がかくあるべきだとか、かくなる社会が正しいのだということはありえない。



定番「自然淘汰はトートロジー」については

Natural Selection(自然選択・自然淘汰)[wiki]の別表現がSurvival of the fittest(適者生存)である:
Survival of the fittest is a phrase which is a shorthand for a concept relating to competition for survival or predominance. Originally applied by Herbert Spencer in his Principles of Biology of 1864, Spencer drew parallels to his ideas of economics with Charles Darwin's theories of evolution by what Darwin termed natural selection.

The phrase is a metaphor, not a scientific description; and it is not generally used by biologists, who almost exclusively prefer to use the phrase "natural selection".

適者生存は、生存競争あるいは優勢競争に関する簡略な表現である。もともと、1864年の"Principles of Biology"においてHerbert Spencerによって使われ、Charles Darwinが進化論において自然淘汰という用語で呼んだものと、経済学における彼の考えとの類似を引き出した。

この表現は、比喩であり、科学的な記述ではない。生物学者はこの表現を一般的に使うことはなく、自然淘汰という表現を使う。


Charles Darwin: "Origin of Species"[Project Gutenberg EBook]では、"Survival of fittest"(適者生存)は使われていない。そして、Charles Darwin: "Origin of Species, 6th Edition" [Project Gutenberg Etext]では:
I have called this principle, by which each slight variation, if useful, is preserved, by the term natural selection, in order to mark its relation to man's power of selection. But the expression often used by Mr. Herbert Spencer, of the Survival of the Fittest, is more accurate, and is sometimes equally convenient.

個々の少しの変化が、もし有益であれば保存されるというこの原則を、人間の力による選択との関係で、自然淘汰(選択)という用語で呼んだ。しかし、Herbert Spencerによって、しばしば使われる適者生存という表現が、より正確で、ときには手頃である。

(CHAPTER III. STRUGGLE FOR EXISTENCE.)



「自然淘汰はトートロジー」は、"若い地球の創造論"の最もアクティブなサイトであるKen Ham主宰のAnswers in Genesis(AiG)のページにある「Arguments we think creationists should NOT use(創造論者が使ってはいけない論)」に「疑わしいので、使わないほうがいい」にリストアップされている:
Natural selection as tautology
Natural selection is in one sense a tautology (i.e., Who are the fittest? Those who survive/leave the most offspring. Who survive/leave the most offspring? The fittest.). But a lot of this is semantic word-play, and depends on how the matter is defined, and for what purpose the definition is raised. There are many areas of life in which circularity and truth go hand in hand (e.g. What is electric charge? That quality of matter on which an electric field acts. What is an electric field? A region in space that exerts a force on electric charge. But no one would claim that the theory of electricity is thereby invalid and can’t explain how motors work.) --- it is only that circularity cannot be used as independent proof of something. To harp on the issue of tautology can become misleading, if the impression is given that something tautological therefore doesn’t happen. Of course the environment can ‘select’, just as human breeders select.
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トートロジーとしての自然淘汰
自然淘汰はある意味ではトートロジーである(すなわち、誰が最も適応しているか?生き延びた/子孫を多く残したものである。 誰が生き延び/子孫を多く残すのか?最も適応したものだ。)しかし、これの多くは、意味論的な言葉のやりとりであって、問題がどのように定められるか、そして、定義が何の目的で上がるか次第である。循環論法と真実が手をつなぐようになる多くの分野が世の中にはある(例えば、電荷とは何か?電界が働く物質の性質。電界とは何か?電荷に対して働く空間領域。しかし、誰も、電磁気学が無効で、モーターがなぜ動くか説明できないとは主張しない。)-- 循環論法を何かの独立した証明として使ってはいけないというだけのことである。何かがトートロジーであれば、それは起こらないという印象を与えるなら、トートロジーの問題はミスリーディングである。もちろん、人間のブリーダーが選択するように、環境も選択できる
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どっちかというと、AiGの説明がわかりやすいかもしれない。いずれにせよ、Ken Hamの放った弾に勝手にあたっているインテリジェントデザインのGeorge Gilderである。
タグ:id理論 DI
posted by Kumicit at 2006/07/09 02:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | DiscoveryInstitute | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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