預言が成就したことにするために、氏族名を地名だと解釈する例がある。
マタイによる福音書 / 2章 5-6節
彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』
"But thou, Bethlehem Ephratah, though thou be little among the thousands of Judah, yet out of thee shall he come forth unto me that is to be ruler in Israel; whose goings forth have been from of old, from everlasting."
The gospel of Matthew (2:5-6) claims that Jesus' birth in Bethlehem fulfils this prophecy. ... "Bethlehem Ephratah" in Micah 5:2 refers not to a town, but to a clan: the clan of Bethlehem, who was the son of Caleb's second wife, Ephrathah (1 Chr.2:18, 2:50-52, 4:4).
マタイによる福音書はベツレヘムでのイエスの誕生を預言の成就だと主張している。ミカ書の「エフラタのベツレヘム」は街の名ではなく、氏族の名である。すなわち、カレブの2番目の妻エフラタの子ベツレヘムの氏族のことを指している。ミカ書 / 5章 1節
エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる
歴代誌上 / 2章 50-51節
これらもカレブの子孫である。エフラタの長男フルの子は、キルヤト・エアリムの父ショバル、ベツレヘムの父サルマ、ベト・ガデルの父ハレフ。
歴代誌上 / 4章4節
ペヌエルはゲドルの父、エゼルはフシャの父である。彼らはベツレヘムの父、エフラタの長男フルの子である。
[Prophecies, Promises, and Misquotes in the Bible on Skeptics Annotated Bible]
もちろん、名前が違っていても気にしない。
The prophecy given in Is.7:14 referred not to a virgin but to a young woman, living at the time of the prophecy. And Jesus, of course, was called Jesus -- and is not called Emmanuel in any verse in the New Testament. 1:23さらに、無関係な2つの描写をつないで、ひとつの預言があったかのように見せかけた例もある。
イザヤ書7章14節の預言は"処女"についてのものではなく、預言の時代に生きていた"おとめ"についてである。そして、もちろんイエスはイエスと呼ばれていて、インマヌエルとは呼ばれていない。イザヤ書 / 7章 14節
それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。マタイによる福音書 / 1章 22-25節[Prophecies, Promises, and Misquotes in the Bible on Skeptics Annotated Bible]
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
Matthew claims that the flight of Jesus' family to Egypt is a fulfillment of Hosea 11:1. But Hosea 11:1 is not a prophecy at all, as is clear when the entire verse is quoted ("When Israel was a child, then I loved him, and called my son out of Egypt."). It is a reference to the Hebrew exodus from Egypt and has nothing to do with Jesus. Matthew tries to hide this fact by quoting only the last part of the verse. 2:15さらには出典不明の預言を挙げることさえある。
マタイは、イエスの家族がエジプトに言ったことはホセア書11章1節の預言の成就だと主張する。マタイによる福音書 / 2章 15節しかし、ホセア書11章1節は全体を見れば預言ではない。
ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。ホセア書 / 11章 1節これはエジプトからの脱出の話であり、イエスとは何の関係もない。この事実を隠蔽するために、ホセア書11章1節の後半だけを引用している。
まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。
Matthew quotes Jeremiah 31:15, claiming that it was a prophecy of King Herod's alleged slaughter of the children in and around Bethlehem after the birth of Jesus. But this verse refers to the Babylonian captivity, as is clear by reading the next two verses (16 and 17), and, thus, has nothing to do with Herod's massacre. 2:17-18
マタイはエレミア書31章15節を引用して、これはヘロデ王がベツレヘムおよび周辺地域でイエス誕生後の子供達を殺戮したことの預言だと主張する。しかし、つづきのエレミア書31章16-17節を読めば、バビロン捕囚のことを言っているのは明らかであり、ヘロデ王の大虐殺とは何の関係もない。マタイによる福音書 / 2章 16-18節
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」エレミヤ書 / 31章 15節[Prophecies, Promises, and Misquotes in the Bible on Skeptics Annotated Bible]
主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。
エレミヤ書 / 31章 16-17節
主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。
"He shall be called a Nazarene." Matthew claims this was a fulfillment of prophecy, yet such a prophecy is not found anywhere in the Old Testament. 2:23出典が明示されていても、出典が間違っていることもある。
マタイは「彼はナザレの人と呼ばれる」は預言成就だと主張するが、そのような預言は旧約聖書には存在しない。マタイによる福音書 / 2章 23節Jesus claims that his suffering and death were a fulfillment of prophecy. But there is no such prophecy in the Old Testament. 24:44, 46
ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
ルカによる福音書で、イエスは自分の苦しみと死が預言の成就だと主張しているが、そのような預言は旧約聖書には存在しない。ルカによる福音書 / 24章 44-47節[Prophecies, Promises, and Misquotes in the Bible on Skeptics Annotated Bible]
イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」
そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。
This is not a quote from Jeremiah, but a misquote of Zechariah (11:12-13). 27:9同様の出典間違いは他にもある。マタイによる福音書 / 27章 9節これはエレミア書からの引用ではなく、ゼカリヤ書からの引用である。
こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。ゼカリヤ書 / 11章 12-13節[Prophecies, Promises, and Misquotes in the Bible on Skeptics Annotated Bible]
わたしは彼らに言った。「もし、お前たちの目に良しとするなら、わたしに賃金を支払え。そうでなければ、支払わなくてもよい。」彼らは銀三十シェケルを量り、わたしに賃金としてくれた。主はわたしに言われた。「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を。」わたしはその銀三十シェケルを取って、主の神殿で鋳物師に投げ与えた。
Mark claims that John the Baptist fulfilled the prophecy given in Malachi (3:1, 4:1, 5). But the Malachi prophecy says that God will send Elijah before "the great and dreadful day of the LORD" in which the world will be consumed by fire. Yet John the Baptist flatly denied that he was Elijah (Elias) in John 1:21 and the earth was not destroyed after John's appearance. 1:2マルコは、マラキ書の記載と合わないので、イザヤ書の預言だと書いたようだが、イザヤ書に該当箇所はもちろん存在しない。マルコによる福音書 / 1章 2節マルコは洗礼者ヨハネはマラキ書の預言の成就だと主張する。しかし、マラキ書は...
預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。マラキ書 / 3章 1節しかし、ヨハネは自分がエリヤではないと言い..
「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。
マラキ書 / 4章 1節
万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない
マラキ書 / 4章 5節
見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。ヨハネによる福音書 / 1章 21節ヨハネ登場後に地球は破壊されていない。
彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。
[Prophecies, Promises, and Misquotes in the Bible on Skeptics Annotated Bible]
Verse 33 says that during Jesus' crucifixion, the soldiers didn't break his legs because he was already dead. Verse 36 claims that this fulfilled a prophecy: "Not a bone of him shall be broken." But there is no such prophecy. It is sometimes said that the prophecy appears in Ex.12:46, Num. 9:12 and Ps.34:20. This is not correct. Exodus 12:46 and Num.9:12 are not prophecies, they are commandments. The Israelites are told not to break the bones of the Passover lamb, and this is all it is about. And Psalm 34:20 seems to refer to righteous people in general (see verse 19, where a plural is used), not to make a prophecy about a specific person. 19:33, 36ヨハネによる福音書 / 19章 33節と書かれていて、
イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。ヨハネによる福音書 / 19章 36節と主張されている。しかし、そのような預言は存在しない。出エジプト記12章46節や民数記9章12節や詩編34編20-21節が預言だと主張されるが、それらは預言ではなく命令である。出エジプト記12章46節や民数記9章12節は過越祭の羊の骨についてである。
これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。出エジプト記 / 12章 46節そして、詩編34編は良き人についての一般的記述であり、特定人物についての預言ではない。
一匹の羊は一軒の家で食べ、肉の一部でも家から持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。
民数記 / 9章 12節
翌朝まで少しも残してはならない。いけにえの骨を折ってはならない。すべては過越祭の掟に従って行わねばならない。詩編 / 34編 20-21節[Prophecies, Promises, and Misquotes in the Bible on Skeptics Annotated Bible]
主に従う人には災いが重なるが/主はそのすべてから救い出し、骨の一本も損なわれることのないように/彼を守ってくださる。
旧約聖書の記述の一部を取り出して、これは何とかのことを言っているのだという形式で預言が成就したことにしたり、存在しない預言が存在していることにしたりするという、これら新約聖書で使われたテクニックは現在に至るまで様々に使われている。
ノストラダムスの予言が適中しているという主張には良く見られるものだ。たとえば...
[ノストラダムス on SkepDic日本語版]
それに、ヒスター (Hister)という語はノストラダムスが活躍した時代にはドナウ川のある地域の通名だった。このことはノストラダムス研究家でさえ認めている。それ なのに、いったいなぜヒスターがヒトラーになってしまうのか、まったく理解不能である。

