3月12日 ベントまでの漏洩
[(2)放射性物質の空気中への放出の推定について @ 解析に基づく推定]この記述は周辺地域モニタリング結果に見えている。地点はばらばらなので、浪江町内とその他に分けた。また、あわせて福島県発表の南相馬市の値をプロットした。
地震後、放射性物質の放出が顕在化したのは、3 月 12 日明け方に福島第一原子力発電所敷地内のモニタリングポスト MP-6 付近でのモニタリングカーによる測定で空間線量率が上昇した時のものである。この時、1 号機では格納容器圧力が異常上昇したうえで若干の圧力低下が見られたことから、格納容器からの漏えいが発生し、大気中に放出があったものと推定できる。解析では、既に燃料の溶融が始まっているとの結果となっている。その後の同地点でのモニタリング測定で 12 日昼までの間に線量率が上昇しているが、その間、1 号機ではベント操作を続けていたものの、D/W圧力は 14 時頃まで有意には低下していない。原子炉内では溶融した燃料から S/C に希ガス等の非凝縮性ガスが放出され、環境中に漏えいが続いていたとも考えられる。
[Y 放射性物質の環境への放出 in 原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書−東京電力福島原子力発電所の事故について− (2011/06) by 原子力災害対策本部]
これを見ると、福島第一原発1号機の弁操作を行い始めた9:15よりも前の3/12 8:50〜9:00に浪江町内で15μSv/hをピークとする線量が観測されている。明け方のMP-6付近の線量上昇が浪江に到達したとみられる。
3月12日 ベント成功(14:30)と線量では見えない1号機水素爆発(14:36)
東京電力は、12 日 14 時 30 分に D/W 圧力が低下し、ベントが成功したと判断している。この時点において、原子炉容器等での沈着や S/C での吸収がなされなかったヨウ素等も含めた放射性物質が大気中へ放出され、プルームの影響で MP-4 付近での測定で約 1mSv/h が観測されたものと考えられる。また、福島県が夕方から開始した南相馬市合同庁舎での測定で20μSv/h が観測されており、このプルームが弱い北風で一旦南に流れたのち、強い南風に風向が変わったため、拡散しながら北に流れた影響と考えられる。このベントによる放出は東電のMP-4がとらえていてる。
そして、南相馬でも観測されている。
ここで注目すべきは、福島第一原発のMP-4, MP-8, 正門付近のどれもが水素爆発直後に明瞭な線量変化を観測していないこと。MP-8と正門付近は10μSv/h以下を推移し、MP-4はベントによる放出と風で運び去られることによる減衰をとらえている。
これは特に奇異ではない。建屋上部だけ吹き飛ばしても、そこに溜まっている放射性物質を拡散させるだけ。格納容器や圧力容器を破壊したわけでもないので、線量増加が観測されないのが自然。
3月13日 3号機ベント
13 日 8 時から 9 時にかけて、MP-1,4,6 付近で有意に線量率が上昇している。3 号機で原子炉水位が低下し燃料が露出した後でのベント操作をしており、その影響と考えられる。なお、この時期は弱い西風から南風に変わっていく気象条件であったため、このプルームが拡散して北上したものと推定される。南相馬市での測定では、およそ 1μSv/h 程度の線量率上昇になっている。なお、3 号機からの放出は D/W 圧力が複数回にわたって低下しており、それに対応して MP-1,4,6 付近で有意に線量率が上昇していることが確認できる。これも東電のMP-1とMP-4と正門付近が捕捉している。
この放出および3月12日の放出の影響は、福島第一原発から北西方向に及んでいることが、経産相保安院6/2公開値にも見えている。
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3月14日 原因不明の線量増大と、線量では見えない3号機デトネーション
14 日午前中にも複数の線量率の上昇が確認されているが、各プラントでの放出に関係すると思われる事象の情報は得られていない。そのため、線量率上昇の原因は定かではないが、13 日までに放出された放射性物質により、それぞれの測定箇所でのバックグラウンドが上昇しており、沈着した放射性物質が再浮遊して空間線量率が上昇した可能性も考えられる。
福島第一原子力発電所モニタリング追加・修正データ(3月11日〜21日) (2011/05/28) で、3/14 11:01の3号機デトネーション前後を見てみた。この日は、正門付近とMP3のデータがあり、さらに5/28にはMP4のデータが追加公開されている。
3号機の場合も、前日から断続的にベントが行われていたこともあり、MP-4では、2:20頃、7:30〜7:45頃、9:00前後にピークが見られるが、デトネーション前後には線量増加は見られない。むしろ、50分程度の間は急減し、その後はデトネーション以前のレベルにもどっている。(北から風が吹いていて、北西に位置するMP-4では線量の低い空気が流れ込んだかも)
正門付近ではデトネーション直後に線量の増加が捕捉されている。ただし、2:20頃および22:00頃のピークよりは、はるかに小さい。爆発の威力は1号機よりも大きかったが、それでも吹き飛ばした部分が建屋上部だけで、大して放射性物質を拡散させていない。
3月15日 2号機の異音と最大の漏洩
14 日 21 時、MP-6 付近で約 3mSv/h の空間線量率が測定されている。その後、一旦空間線量率が下がったものの、15 日 6 時以降再度上昇し、9時には約 12mSv/h の数値が測定されている。14 日 21 時は 2 号機では、ウェットベントにより D/W 圧力の低下がみられている。また、15 日 6 時頃には 2 号機で爆発音とともに S/C 圧力が低下していることから、2 号機からの放射性物質の放出と考えられる。ただし、4 号機の原子炉建屋の爆発も同時期に発生しており、明確な区別ができない状況である。この時期はおおよそ北風であったため、プルームは南下し、茨城県東海村の独立行政法人原子力日本原子力研究開発機構等で線量率の上昇とともに、大気中から放射性ヨウ素等が検出されている。正門付近の線量にも明瞭に3回の放出が捕捉されている。
さらに MP-6 付近において、15 日 23 時と 16 日 12 時にも空間線量率の上昇が見られており、前者は 3 号機、後者は 2 号機において D/W 圧力の低下が見られることから、それぞれ 3 号機及び 2 号機からの放出と考えられる
これらが一連の福島第一原発からの放射性物質放出の最大イベントである。3/11〜3/14の放出と比べて桁違いの物量である。飯館村や福島市など北西方向に位置する場所に放射性物質が降り積もったのも、このイベントによる...
福島県による3月15日午後の福島市〜川俣町および福島市〜二本松市東部〜川俣・田村・船引の往復路の観測値を見てみると...
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まず、2011/03/15 13:17〜15:22に福島市から南東の川俣町高屋敷を往復した観測。福島市から南東へ進むと次第に線量が大きくなっている。それとともに、復路は往路よりも値が大きくなっている、
迫りくる放射性物質を見事の捕捉している。そして、この観測車両が福島にもどってきた15:22頃から1時間後あたりから、福島市の観測点で線量が20μSv/hへと上昇。
観測車両の背後に迫る放射性物質。そしてそのまま福島市内へと流れ込んでくるのが観測されている。
一方、2011/03/15 14:33〜18:34にかけて福島市から、川俣・二本松東部・田村・船引を往復した観測では、二本松市東部に線量の高い領域を観測している。その値は往路よりも復路で減少している。おそらくプリュームが通過した後なのだろう。
これらを合わせてみると、北西方向に流れた放射性物質が福島市中心部へ流れ込みそうなに見える線量分布を、うまく捕捉できている。即座に、川俣町・福島市に警報を出すことを決断できる程度の良いデータだ。
絶対値はわからないが、放射性物質の拡散方向はわかるSPEEDIの単位量放出計算の定時予測も、次第に北西方向への拡散を予測し始めていた。
[2011/03/15 12:00定時予測 地上ヨウ素]
[2011/03/15 13:00定時予測 地上ヨウ素]
[2011/03/15 14:00定時予測 地上ヨウ素]
この予測からすると、南〜西方向も気がかりだったはず。そして、まさにその方向についても自動車によるモニタリングが行われていた。
経産省の周辺地域モニタリング結果 (2011/06/02) の東北自動車道・常磐道(3/15 14:25〜21:00)の福島西IC〜いわき四倉ICを往復した観測をみてみると、福島市の線量増加の前に、二本松・本宮・郡山で線量増加が観測されている。南方の"いわき"も注意が必要だが、南〜南西〜西方向では主として西方向に対して警報を出すべきであることが確認できる。
ただし、福島県・日本原子力研究機構の観測値やSPEEDIの定時予測に基づいて、外出制限などの警報は出されなかった。