2006/09/08

Jonathan Well第1章へのツッコミ by bhumburg

統一教会の信者であり、インテリジェントデザインの本山たるDiscovery InstituteシニアフェローであるDr. Jonathan Wellsが2006年7月30日に"The Politically Incorrect Guide to Darwinism And Intelligent Design"[Amazon]という本を出した。

Jack KrebsによるPanda's Thumbのエントリによれば:
Just a year or so ago Wells was supposedly working on a book that would show that genetics is not in fact what drives development, but instead he has now relegated himself to defending “traditional Christianity” against the attacks of Godless science by writing a popularized rehash of creationist arguments and claims.

ちょうど1年ほど前、Wellsは、遺伝学が生物の発展を駆動できないことを示す本に取り組んでいたと思われる。しかし、それの代わりに、Wellsは今や創造論者の論と主張の一般人向け焼き直しを書くことによって、"神なき科学"の攻撃から"伝統的なキリスト教"を防衛することを彼自身にゆだねた。

もはやインテリジェントデザイン理論などどうでもよくて、進化論を破壊するという自らの原点に立ち返ったようだ。

もちろん、Dr. Jonathan Wellsだけがインテリジェントデザイン理論を投げ捨てたわけではない。Dr. William DembskiもAnn Coulterの本"Godless"の進化論関連の章のアドバイザとなり、創造論者たちがゴミ箱に捨てて久しい論を書かせている(昨日のエントリ)。

このような状況のもと、進化論ブログPanda's Thumbの執筆者たちは、Jonathan Wellsの新刊本について全章のレビューを実施中である。今日は既にポストされたエントリ群から、第1章を紹介しよう」

http://www.pandasthumb.org/archives/2006/08/the_politically_1.html
The Politically Incorrect Guide to Darwinism and Intelligent Design Review:
Why Should Words Have Meanings? (Chapter 1)
何故、言葉は意味を持たねばならないか?
bhumburg 2006年8月26日

By titling his first chapter “Wars and Rumors”, Jonathan Wells invokes a snippet of scripture in which Jesus describes the end times

最初の章に"Wars and Rumors"(戦争とうわさ)というタイトルをつけることで、Jonathan Wellsは、イエスが終末の時を語る聖書の一節を引き合いにだす。
And ye shall hear of wars and rumours of wars: see that ye be not troubled: for all [these things] must come to pass, but the end is not yet.
(Matt 24:6)

戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
[マタイによる福音書 / 24章 6節]


少なくともWellsと創造論者たちにとって、インテリジェントデザインと科学の戦いは、まさに文化戦争である。それ故に、Wellsはこのようなドラマティックな引用をし、一般的な軍事用語を使う。Wellは命題を進めるために、"ダーウィニズム"が伝統的キリスト教に挑戦しているという考えを伝えなければならない。生徒たちにそれを学ばせることで、生徒たちを無神論や退廃やリベラリズムに没頭させて、文化戦争に負けさせるものだ。

ここで、Wellsが進化論と戦おうとしていないことに注目しよう。事実、彼は

どんな分別のあるキリスト教徒でも警戒する類のもののように聞こえるコンテキストで、彼が"ダーウィニズム"と戦っているのだということを明確にしようと骨を折っている。残念ながら、Wellsは進化論と対立するものとしてのダーウィニズムが何も意味するものか、正確には明らかにしていない。この章と第15章"Darwinism’s War on Traditional Christianity"において、"ダーウィニズムへの言及が多くある。創造論者の言葉にも意味があると仮定して、それらの呪文を並べて、文法的につながるように言葉を調整してみよう。おそらく、意味の一貫性がある。そして、これはこの"汚いダーウィニズム"というものが何なのかを理解する大いなる助けになるだろう。


“[There] is a fundamental conflict here [but] it is not between religion and science, or even between Christianity and evolution, but between traditional Christianity and Darwinism. Although the latter may allow for the existence of a deity, [that deity would not be] the God of traditional Christianity” (p. 173). Darwinism differs from evolution because it explains “the origin of not just one or a few species, but all species after the first -- in short, all the diversity of life on Earth” (p. 3). Wells does not disagree with evolution itself or even its attendant conclusions of descent with modification or even perhaps common descent; his objection is that scientists haven’t found any direction to evolution (pp. 2,3,5). It is this failure to perceive direction in evolution that defines Darwinism, which might be considered unguided or undirected evolution (p. 6). This distinction between evolution and “Darwinism” is quite important because at some point after Darwin published his work, “Darwinism declared war on traditional Christianity” (p. 170).

「ここに基本的な対立があるが、それは宗教と科学の対立でもなければ、キリスト教徒と進化論の対立でもない。あるのは伝統的キリスト教とダーウィニズムの対立だ。後者がかにの存在を許容するが、それは伝統的キリスト教の神ではない。」(p173) ダーウィニズムと進化論が異なっているのは、「ひとつか、少しの種の起源ではなく、すべての種、端的に言って、地球の生物の多様性」を説明しているからだ。(p.3) Wellsは進化論そのものには同意し、"変化を伴う系統"に付随する結論にも同意し、おそらく"共通祖先"にも同意する、彼の異論は、進化に対する方向性(direction)を科学者が発見していないということだ。(pp. 2,3,5) 進化の方向性を理解しないという失敗こそが、指導されない(unguided)あるいは方向性のない(undirected)進化と考えられるであろうダーウィニズムを定義する。(p.6) この進化論とダーウィニズムの区別がとても重要なのは、ダーウィンが著作を出版した後のある時点で、「ダーウィニズムが伝統的キリスト教に宣戦布告した」からだ。(p. 170)

But Wells also writes, “[Intelligent] design is compatible with some aspects of Darwinian evolution” (p. 8). Note that he did not write “evolution” but “Darwinian evolution”, presumably “Darwinism”. According to the stated definition on page six, Darwinism requires a component of undirectedness or unguidedness -- the idea that any apparent design must be illusory -- to distinguish itself from mere evolution. So intelligent design, a philosophical perspective that makes evolution compatible with “Traditional Christianity” by imputing design and direction to its inputs or outcomes, is compatible with perspectives of evolution that declared war on “Traditional Christianity” and considers any perceived design in the outcomes of evolution illusory.

しかし、Wellはこうも書いている。「インテリジェントデザインはある点でダーウィンの進化論と両立する。」(p. 8) 注意すべきは彼が"進化論"ではなく、"ダーウィンの進化論"と書いており、これはおそらく"ダーウィニズム"を指していることだ。6ページに書かれた定義によれば、ダーウィニズムは無方向あるいは無指導という構成要素を持っているはずで、これは見かけのデザインが幻影であるはずだという考えであって、それこそが進化論と区別される点である。入力あるいは結果をデザインと方向性のせいのすることによって、進化論と伝統的キリスト教を両立させる、インテリジェントデザインという哲学的見方は、伝統的キリスト教に宣戦布告し、進化の結果である、いかなる認められたデザインも幻影だと考える進化論の見方と両立する。

Confused yet?
まだ混乱している?

Wellが彼の本の執筆に費やした時間にもかかわらず、ダーウィニズムのより効果的な定義は、「進化論について、私のような創造論者が異議を唱えるすべての点」であろうという方が、読者には印象的だろう。この定義は、Wellが提唱したものとは違うが、少なくとも前後関係では意味を持つ。

簡単に言って、Wellsの長たらしい話の大きな誤りのひとつが、用語の全面的な混乱だ。"ダーウィニズム"や"伝統的キリスト教"のような言葉は、特定の文に対してWellsが意味したいと思う意味を持っているようなのだ。多くの例で、言葉はWells自らが書いた定義とも、Wellsの本の他のページでの用法とも、無関係に使われている。この用語の混乱の原因は幾つか考えられる。第1は、Wellsは意図的に混乱している。私がいつも論じていることだが、創造論者は論じるときに聴衆を混乱させようとする。第2は、謝辞を読めば、執筆を準備するにあたって、Wellsがいかに多くの著作を使ったかが読み取れること。Wellsの編集能力が不十分で、本の表題の各部を構成する用語に柔軟な意味合いを持たせてしまったかおしれない。混乱の意図とともに、異なる著者たちのキーとなる用語の理解の相違もあったと、私は疑っている。

Wellsはインテリジェンデザインの定義には多くの時間を費やしていない。これは創造論者の戦略と合っている。ペンシルバニア中部の連邦判事Judge John E. Jones IIIが注記したように:

ID’s backers have sought to avoid the scientific scrutiny which we have now determined that it cannot withstand by advocating that the controversy, but not ID itself, should be taught in science class.

インテリジェントデザイン支持者は、我々が今や決定した科学的な詳細な調査を耐え切れなくて、理科の授業でインテリジェントデザイン自体ではなく、論争を教えるべきだと主張することで、これを避けようとした。

(Kitzmiller v. Dover Area School District)


Wells does not actually define “intelligent design” and thus does not lock “intelligent design” down into a form that could actually be scrutinized. Instead he chooses to list to list a few things “worth noting” about “intelligent design”. Throughout chapters one and fifteen, Wells defends ID creationism as the sort of thing that “traditional Christians” should support. But in this section, presumably in an effort to accommodate the obvious imperfections in biological structures or the lack of justice or beneficence in competing organisms, Wells writes, “ID does not claim that the design must be optimal; something may be designed, even if it is flawed. When automobile manufacturers recall defective vehicles, they are showing that those vehicles were badly designed, not that they were undesigned” (p. 8). We here at the Thumb support Wells’s freedom to believe in a God or gods of his choosing, but we aren’t so sure that the consideration of God as incompetent is a feature of “Traditional Christian” beliefs. This is yet another example of words meaning whatever Wells wants them to mean.

Wellsは実は"インテリジェントデザイン"を定義せず、従って、"インテリジェントデザイン"を実際に詳細に調べられるような形に固定しない。その代わりに彼は"インテリジェントデザイン"について"注目すべき"幾つかの点をリストすることを選んだ。1章から15章までを通して、Wellsはインテリジェントデザイン創造論を、"伝統的キリスト教"を支持するものとして擁護している。しかし、この節では、おそらく生物学的構造にある明らかな欠陥や、生存競争する生物における正義と慈善の欠如について、Wellsは「インテリジェントデザインはデザインが最適でなければならないとは主張しない。あるものは、それが出来損ないであっても、デザインされたかもしれない。自動車メーカーが欠陥車をリコールするとき、それらが設計(デザイン)不良だと示されても、設計(デザイン)されていないとは示されない。」(p. 8) Wellsがどんな神あるいは神々を信仰しようとかまわないが、神を役立たずだと考えることが"伝統的キリスト教"信仰の特徴なはずはない。これは、Wellsが意味したいことを意味するという用例のひとつである。

ほとんどの場合、"インテリジェントデザイン"の本当の意味は明らかにされないままだ。これは創造論者の戦略にあてはまるので、これも意図的だと思われる:

One consistency among the Dover School Board members’ testimony, which was marked by selective memories and outright lies under oath, as will be discussed in more detail below, is that they did not think they needed to be knowledgeable about ID because it was not being taught to the students.

Dover学区教育委員たちの証言で一致したことは、証言が都合のいい記憶や宣誓のもとで明白な虚偽によって特徴づけられているが、以下で詳細に論じるが、彼らはインテリジェントデザインについて知っている必要はないと考えていた。それはインテリジェントデザインが生徒たちに教えられることになっていなかったからだ。

(Kitzmiller v. Dover Area School District)


実際、創造論者の人気のある話のポイントは、ダーウィニズムが間違っていることを知るために、ダーウィニズムの代替理論を持っている必要性がないということだ。たとえば、Jeremy PaxmanによるAnn Coulterのインタビューの2:00あたりの“I can be a restaurant critic without opening up a restaurant”(レストランを開業しなくても、連ストラン批評家になれる)。

ダーウィンは、彼が生物で注目していた進化が、同様に人間に影響を及ぼし、さらに人間には彼が研究していたカブトムシのような系統発生の歴史があったと考えた。これがWellsのダーウィンに対する最大の異議であることは、ためになる。Wellsはダーウィンの次の一節を引用した:
There seems to be no more design in the variability of organic beings, and in the action of natural selection, than in the course which the winds blow. [Although] I cannot look at the universe as the result of blind chance, yet I can see no evidence of beneficent design, or indeed design of any kind, in the details.

生物の多様性と自然淘汰の働きには、風の吹くコース以上に、デザインはないようだ。私には宇宙を盲目の偶然の結果とは見れないが、それでもなお、私には慈善に満ちたデザインの証拠や、実際にそのようなデザインを、詳細には見て取れない。


読者は、ダーウィンがもともとは牧師になろうとしていて、短いとはいえ聖職者になる勉強をしていたことに思い至り、悲しみを上記のダーウィンの言葉のせいにする。ダーウィンは、彼が発見した進化に、デザインの証拠が不十分であることを嘆いた。すべての科学者と同じく、お気に入りの仮説を捨てる勇気をもって、ダーウィンは自らが気に入ったものがそうではないと認めざるをえなかった: 彼が観察し、科学の道具で計測した世界にはデザインの証拠はなかった。そして、カブトムシとランに起きたことは、同様に人間や我々の祖先の種にも起きたのだと。

The idea that man is an animal must be offensive to Wells, who appears not to tolerate any view of our specie’s emergence other than an immaculate conception. What was Darwin’s fault according to Wells? “He set out to explain the origin of not just one or a few species, but all the species after the first.” What a scoundrel that Darwin was! One can almost hear Wells saying to himself, “Had Darwin simply stopped at beetles or orchids, that would have been one thing. But to suggest that even humans share a deep kinship with all the living things on the planet or that man is an animal as well? That’s just beyond the pale.”

人間が動物であるという考えはWellsにとって不快であるはずだ。彼が、汚れなき概念以外の我々の種の出現についての見方に寛容だとは考えられない。Wellsによればダーウィンの誤りとは何だったのだろうか? 「ひとつか、少しの種の起源ではなく、すべての種についてを説明を試みた」ことだ。ダーウィンはなんと悪党なことか。Wellsが自らにこう言い聞かせていることがわかるだろう。「ダーウィンがカブトムシやランでとどまっていれば、それはひとつのことだっただろう。しかし、人間が惑星上のすべての生物と深い親類関係を共有しているとか、人間が動物と同じだと示唆したこと。それこそが、常軌を逸している」と。

たぶん、Wellsは創世記第1章ではなく、伝道の書(コヘレトの言葉)3章を読むべきだろう。

Tune in tomorrow, when PZ Myers deals a mortal blow to Jonathan Wells’s thoughts on embryos and development. (How may mortal blows can one hack take?) Those who visit Pharyngula know that PZ has already posted this portion of the review over there and the Thumb is poised to simply re-air his essay. Now you know what life is like on the West Coast.

明日は、PZ MyersがJonathan Wellsの胚と発展についての考えに対して、致命的一撃を加える。(どれくらい致命的一撃を受けるのだろうか?) Pharyngulaを見ていれば、このレビューの一部は既にポストされている、Panda's Thumbはこれの再掲であると知っているだろう。今や、読者はウェストコーストで、生命がどのようなものか知っている。




参考までに:
コヘレトの言葉3章

何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時/保つ時、放つ時
裂く時、縫う時/黙する時、語る時
愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
わたしは知った/人間にとって最も幸福なのは/喜び楽しんで一生を送ることだ、と
人だれもが飲み食いし/その労苦によって満足するのは/神の賜物だ、と。
わたしは知った/すべて神の業は永遠に不変であり/付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
今あることは既にあったこと/これからあることも既にあったこと。追いやられたものを、神は尋ね求められる。
太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。
わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。
人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。
人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、
すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。
人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう。
人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだとわたしは悟った。それが人間にふさわしい分である。死後どうなるのかを、誰が見せてくれよう。

(日本聖書協会訳)

posted by Kumicit at 2006/09/08 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | Skeptic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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