2012/01/15

2011/03/15 11:00の「屋内退避指示」は注意報だったのかも

2011年3月11日から16日にかけての政府の避難指示を振り返ると...事故翌日の3/12に避難指示を3km圏内から20km圏内へ拡大し、その後は3/15 11:00の屋内退避指示まで動きがない。

原子炉まわりのイベントを拾ってみると...
1号機の冷却機能喪失とベントと水素爆発で20km圏内避難が確定しているが、その後は2,3号機の冷却機能喪失や2,4号機の水素爆発が起きても、20km圏内から避難指示を拡大していない。20kmで十分だと判断していたように見える。

福島第一原発の敷地外での線量観測についても、20km圏外で一時的に線量増大を観測しても、20km圏を堅持している。
  • 2011/03/12 09:00 浪江町[北約8km]で15μSv/h
  • 2011/03/12 20:00 南相馬[北約24km]で17.8μSv/h(==>20:00 20.0μSv/h==>3/13 09:15 4.02μSv/h)

  • 2011/03/15 02:00 "いわき"[南南西約43km]で18.04μSv/h(==>04:00 23.72μSv/h==>09:00 2.59μSv/h)


東電による福島第一原発敷地内の観測値を見てみると、連続的に観測されていた「正門付近」で、2011/03/15 09:00に11.93mSv/hを記録している。

この後、11:00に政府は「避難指示」ではなく「屋内退避指示」を20〜30km圏内に出している。

イベントの流れから見て、この「屋内退避指示」は「東電の正門付近の観測値」に基づく「線量注意報」のように見える。この時点ではSPEEDIは北西方向への細長い流れを予測していないので、もわっとした同心円な注意報でも妥当と思われる。

その後、「東電の正門付近」で線量増大が観測され、SPEEDIは北西方向の細長い流れを予測するのだが、政府には2011/04/11に計画的避難区域の考え方を公表し、2011/04/22に設定するまで動きは見られない。

一方、福島県は2011/03/15午後から線量観測値の公開を開始し、30km圏外に汚染が拡大して、深夜に「なるべく屋内に居てください」と広報している。



実際のところ、2011/03/15 11:00の「屋内退避指示」が「東電の正門付近の観測値」に基づく「線量注意報」の意図を持っていたのかはわからないが、「浪江町北西部、葛尾村、南相馬市南西部」については注意報として機能したように見える。

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posted by Kumicit at 2012/01/15 16:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | Earthquake | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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