ただし、2011/03/11 15:38までに4地点が津波で喪失し、18地点が停電などによりネットワーク不通(おそらく機器も停止)で脱落して、残ったのは自家発電機のある福島県原子力センター敷地内の大野(福島第一原発の西南西6km)のみ。とはいえ、自家発電機が燃料切れになったのが2011/03/16 16:44だったため、3/15-16の大規模な放射性物質放出を2分値で捕捉できている。
2011/03/11〜2011/03/14 21:00までは、とても線量は小さく、1号機のベントによるプリュームが通過した南相馬市(北24km)よりも小さい。(したがって、北方向への流れはモニタできない)
その後は、800μSv/hを超えていき、100μSv/hくらいに落ち着く。
同じく原子炉から西南西にある原発正門付近と比べると、一桁以上違っている(さらに近い事務本館北は、正門付近の一桁上)。距離をとることの重要性がわかる。
この大野の値は、おそらく停電によると思われるネットワーク不通により、福島県ではリアルタイムで見ることができなかった。自家発電で電源が確保できてもに、一方的に垂れ流すFM放送などのデータ伝送手段がないので、記録のみに。「原発が単独でコケル」ことに備えていたが「大災害のついでに原発もコケル」ことには備えてなかったというところ。