[Chris Mooney: "The Republican Brain on the Republican Brain" (2012/04/20) on Truthout (op-ed)]
共和党脳についての共和党脳
私は新刊本「The Republican Brain (共和党脳)」で、どうして保守は科学についてのみならず、たとえばオバマ大統領がイスラム教徒か否かといった事実について誤るのかを理解したいなら、(利益団体の影響や保守哲学などの)政治の表面だけ見ていてもわからないと論じた。そして、さらに、左翼と右翼を分かつ根深い心理学的特徴を見なければならないと。
このとき、保守主義、特に現在の米国の保守主義を伴う傾向のある、いくつかの心理学的特徴があることに気付くだろうと、私は論じた。この傾向とは、科学者やリベラルという「リアリティを基礎とするコミュニティ」のメンバーの、微妙で不確実性を含んだ思考スタイルと自然に対立するというものである。これらの特徴には、世界を黒か白かで見て、不確実性に不寛容で、しかし経験への開放性の欠如(という性格特性)を持ち、閉鎖性を必要とするという、権威主義が含まれる。
そこまではいい。しかし、私は「共和党脳」という本、そしてこれらの論について難問があることをわかっている。これらの特徴が本当に政治的保守主義を描写しているのなら、この本「共和党脳」に示されている内容に対して、政治的保守はどのように反応するだろうか? 出版社はさらに republicanbrain.comで、この本が「共和党支持者が拒絶し否定する、説得力ある科学的発見の長々しいリストを加えている」と約束している。それは本当だろうか?
さて、この「共和党脳」が発売されて数週間がたち、答えが見えてきた。それは、「保守主義の研究の成長について保守がさらに学びたいと思う」という理論には良くないものだ。
事実はこうだった。本の発売前から、保守は読まずに、私が「保守は異常だ」と言っていると攻撃してきた。私はそんなことはしていない。「イデオロギーの心理学」と呼ばれるものについての科学的研究すべては、多くの形質について我々は広く分布しており、それらのうち幾つかの形質は我々をリベラルに向かわせ、別の形質はその逆の効果を持っている。しかし、分布の範囲は自然で正常なものだ。おそらくは、人間のオペレーティングシステムの標準機能だろう。
本が出版されて、この現象はAmazon.comで続いた。★ひとつのレビューはどれひとつとして、問題となっている話題について知らないことを示していた。さいわい、リベラルもそこで活動していて、私を擁護してくれていた。
そして、次はMSNBCのS,E, Cuppだ。「保守あるいは共和党支持者が科学を攻撃する」という考え対する彼女の反応は、まず「腹立たしい」というものであり、そして科学への攻撃だった。特に彼女はRick Santorumの「気候研究はニセ科学に基づいている」という誤った主張をそのまま繰り返した。
さらには、逆張り気候ブログのJudith Curryだ。彼女は「共和党脳」を読んでいないことを認めた上で、「防御性は保守の脳にハードワイヤードされている」と私が主張していると述べた。そんなことは私は論じていない。
実際に「共和党脳」を読んで、合理的な批判をしてきた保守がひとりいた。しかし、その批判は「共和党脳」の指摘を証明するたぐいのものだった。彼の名はKenneth Silber, 穏健というより、RINO(名ばかりの共和党支持者)であり、Daily BeastのDavid Frum's book clubのために「共和党脳」をレビューしていた。そう、保守の背教者David Frum. 私は「共和党脳」でFrumを称賛した。FrumもSilberも、現在の共和党で卓越しているたぐいのSantorumスタイルの心理学的保守の代表ではない。だからこそ、わかると思うが、Silberが批判の前に本を読むことは、まったく予測できた。
実際、保守および共和党支持者が本を読まずに攻撃することは、あらゆる理由で予測できた。それはまさしく「共和党脳」で書いた2003年の出来事に基づいている。そこで、私は、「政治的イデオロギーの心理学的実証についての大規模かつ重要な研究」を、National Reviewが「保守はクレージー」という研究だとして攻撃したことを描写した。しかし、もちろん研究は「保守がクレージー」だと主張しておらず、そのようなたぐいのことも主張していない。
実際、私が「共和党脳」執筆のためにインタビューした研究者たちはすべて「保守の心理はまったく正常であり、多くの利点がある(そしてもちろん欠点もある)」と強調していた。保守な批判者たちは、実際には問題とした研究について読んでいないか、何らかの理由で、そのようなニュアンスを取り上げることができないようだった。
この例はまったくのアイロニーだ。問題となった研究が「リベラルと比べて保守はニュアンスの欠落と曖昧さへの非寛容」に関するものだった。これについて喜んで引用したいのは、当然のことながら、何も示さずにニュアンスについて書こうとしたアン・コールターの記述である:Whenever you have backed a liberal into a corner - if he doesn't start crying - he says, "It's a complicated issue." Loving America is too simple an emotion. To be nuanced you have to hate it a little. Conservatives may not grasp "nuance," but we're pretty good at grasping treason.
リベラルをコーナーに追い詰めて、リベラルが泣き出さないなら、リベラルは「これは複雑な問題だ」と言う。米国を愛することは非常に単純な感情だ。ニュアンスするには、ちょっと嫌いになればいい。保守はニュアンスはわからないかもしれないが、反逆を把握することは非常に得意だ。
ある意味、これはまったく笑える。しかしまた、これは深刻な問題を提起している。好むと好まざるとにかかわらず、「政治的左翼を選択する者と右翼に傾く者の間の深い心理の違い、そして心理的反応の違い」を科学はますます明らかにしてきている。ここで問題がある。政治的スペクトルの片側だけが、この知識を探求し、受け入れるのか? もう片方は、それが攻撃ではないのに、自動的に攻撃だと解釈するのか? 我々の次の政治的科学の戦いは、政治の科学についての戦いになるのだろうか? それはまさしく、科学が政治について明らかにしていることの反映そのものではないか。
ここで悲しいことは、新たな研究はより寛容と理解を推進し、我々の二極分化を再統一するのを助けることができるものだが、それには、研究が何を意味し、何を意味していないかについて、理解し話さなければならない。
明確な点がひとつある。共和党支持者と保守が何を言おうとも、我々はこの鐘を止められない。科学の発展を止められない。止めようとすべきでもない。それが、いつものように、好むと好まざるとにかかわらず、科学を前進させ、新たな知識を作り出す。
「The Republican Brain (共和党脳)」は、増大する我々の知識に少しだけ貢献しようというものである。「共和党脳」は政治心理学者Everett Youngが計画し、144名の学部生が実行した、新たな心理学実験に迫る。我々は「保守の論理はリベラルより防御的であり、自らの信念を強化するものだ」という考えを検証しようとした。少なくとも、地球温暖化や原子力のような政治的話題については、この考えを穏健に支持する証拠を見出した(政治と無関係な話題にはこの影響は見出されない)。
しかし、それは我々の大きな発見ではないことが判明した。最大の発見はどこからともなく出てきて、我々に直面した。
これが我々のデータが示した結果だ。この研究に参加した保守はリベラルよりも、我々のエッセイを読むのに少しの時間しか使わなかった。被験者たちに気付かれないように、我々はタイマーをセットし、ミリ秒単位で我々が読むようにコンピュータ画面に提示したエッセイを読むのに被験者たちが費やした時間を計測した。そのエッセイが被験者の信条を支持するものであるか、反対するものであるかには関係がなかった。政治的話題と政治と無関係な話題の間にも違いは見られなかった。被験者が経済的保守、社会的保守、権威主義などのどれであるかにも関係がなかった。あらゆる保守が、我々のエッセイを読むのに時間を使わなかった。
良きリベラルであり、科学的不確実性とニュアンスの必要性を理解するには、この発見が引き続き行われる研究で再現することが必要であることに注意しなければならない。我々は、たった一度だけ、ひとつの大学のひとつの学部生集団でこれを発見しただけなのだ。だから、注意深くならなければならない。
それでも私は「共和党脳」が発売され、保守が読まずに攻撃するという結果について考えずにはいられない。
【Othersの最新記事】
保守的であることの利点とは何か知りたいが、ここでは書かれていないようで残念。
http://transact.seesaa.net/article/261410785.html
しかし、過去四半世紀くらいの米国共和党支持者・保守がこの傾向を示すようになっている。戦闘モードとでも言うべきもの。
自然の中で敵と対峙した時、逡巡は死を招く。敵が実は敵でないかもしれない、目前の敵ではなく横にいる敵を倒さないといけない、敵を倒すと余計に時代が悪くなる、といったことを考えると、迷いが生じ、敵との闘いに敗れ、死を招く。
人は、そのような逡巡を抑制するようにできているようで、目前の敵以外には気にならなくなったり、目前の敵を倒せば問題が全解決するような気がしたりする。疑いが生じても、合理化してしまう。
戦闘モードとして、とても適応的で、生存には有利そうな形質だ。しかし、それが現代社会の複雑な問題に直面したときには、うまくいかなくなる。「悪しき結果は、悪しき意図から生まれる」という陰謀論思考あるいは目的論選好となって、カウターナレッジにはまっていく。