2006/11/02

もののついでなインテリジェントデザインの"目的論"

17世紀あたりに成立した機械論哲学では、自然法則で書けるものが機械仕掛けの宇宙で、書けなかったら神の奇跡:
機械論哲学の基本的主張は、自然現象は機械的な原理に従っていて、その規則性が自然の法則、望ましくは数学公式の形で表現される、というものである。(p.133)

メルセンヌの首尾一貫した立場は、自然の秩序に示される神の力能と、いかようにも作用しうる神の絶対的な力能という、長き歴史にわたって形成された重要な区別に依存していた。機械論哲学がメルセンヌや後のボイルに訴えたのは、神がこの世界に作用を及ぼすときの通常のやり方を完璧に表現するものと考えられたからである。自然法則とは、秩序の根本原因でる神の意思が表現されたものであるが、神を拘束するものではない、神は望むならば別のやり方でも行動することができるのだから。機械論哲学は奇跡の起こる可能性を排除したのではなく、真の奇跡を認識する手段をはっきりさせた。自然法則のことばで説明しえない出来事、それこそが奇跡なのである、と。(p.142)

[J.H. ブルック:科学と宗教]
その機械論からの流れにあるのが、自然科学であり、その原則は方法論的自然主義:
対照的に、方法論的自然主義は、超自然が科学的研究法で使えないという限定的な見方である。多くの科学哲学者は科学的研究の基本的な要件は、経験的に検証可能でなければならず、実効的に自然界の研究と説明に限定するものだと考えている。このタイプの自然主義は、定義において自然界で検証不可能である超自然の存否について何も言わない。存否に言及しないのは実用の問題なので、方法論的自然主義と存在論的超自然主義は両立しうる。たとえば、自然科学者は科学的な仕事において方法論的自然主義に従うが、神(存在論的超自然主義)を信じているかも知れない。あるいは無神論者(存在論的自然主義)かもしれない。

[原文: wiki:Metaphysical naturalism, 和訳:忘却からの帰還:方法論的自然主義 on wiki]
経験的に検証可能なもののみを扱い、自然法則で記述していく。検証不可能かつ反証不可能な超越的神様については存否を含めて対象外。


これに対するインテリジェントデザインの反対論とは、Alvin Plantinga先生の語る:
Many other constraints on science have been proposed. Jacques Monod, the author of Chance and Necessity, says that science precludes any form of teleology. Other proposed constraints are that science can’t involve moral judgments — or value judgments, more generally — and that the aim of science is explanation, whether or not this is in the service of truth.

科学について多くの制約が提唱されてきた。"Chance and Necessity"の著者であるJacques Monodは、科学はいかなる形式の目的論も排除すると言っている。科学は倫理判断や価値判断や、もっと一般的に、科学の目的は、それが真であるか否かに関わらず説明であると主張する者もいる。
...
Observing methodological naturalism thus hamstrings science by precluding science from reaching what would be an enormously important truth about the world. It might be that, just as a result of this constraint, even the best science in the long run will wind up with false conclusions.

注意深い方法論的な自然主義は、このように、科学が世界についての非常に重要な事実に達するのを妨げて、科学を骨抜きする。この制約のために、長きにわたる最良の科学さえもが、間違った結論に至ってしまうかもしれない。

[Alvin Plantinga: Whether ID is Science isn't Semantics, Science & Theology News, March 7, 2006]
おおよそ、この主張が、wiki:Metaphysical naturalismにも反映されており:
自然主義の批判者は、超自然的な行動の可能性が科学の現在の実践と理論によって必要以上に無視されると主張する。現在では、インテリジェントデザイン支持者(自然界の特定の特徴がインテリジェンスの結果として最も説明されると考える人々)は、現実の自然主義的な概念が科学をするために必要でないと主張する。一般的な批判は、自然界が有神論または超自然の干渉から独立した不可侵の法則の閉鎖系であると主張することが、科学が誤った結論に至らせ、有神論や超自然を含むと主張する研究を不適切に除外するということである。

[原文: wiki:Metaphysical naturalism, 和訳:忘却からの帰還:方法論的自然主義 on wiki]
わりと合意を得ているインテリジェントデザイン側の意見のようである。

すなわち、「検証不可能かつ反証不可能」で「自然法則の外側」だが「科学にしろ」という主張。機械論の起源からすれば、ありえない主張に見える。

ただし、Alvin Plantinga先生ほどまじめに考えている人々ばかりではなく、インテリジェントデザイン応援団なHarris&Calvertコンビだと:
Evolution is undergirded by a philosophy called naturalism. Naturalism is the doctrine that the laws of cause and effect (as in chemistry and physics) are adequate to account for all phenomena, and that design or teleological conceptions of nature are invalid. The last phrase means that the design hypothesis is invalid a priori, as a matter of principlenot as a deduction from evidence. It requires a belief that we just “occur” as natural phenomena and that we are not designed or created for any purpose. By eliminating design, the philosophy of naturalism effectively eliminates supernatural explanations for any event occurring in nature. Indeed, the very function of naturalism is to eliminate the possibility of supernatural intervention from all scientific explanations.

進化は自然主義と呼ばれる哲学に基盤としています。自然主義とは、(化学や物理における)因果律と効果がすべての現象について適切に考慮されていて、デザインや自然についての目的論的な概念は無効であるという主義です。最後のフレーズは、証拠に基づく演繹の結果ではなく、原理的にデザイン仮説は先験的に無効だということを意味します。人間は自然現象として"発生した"ものであり、何らかの目的を以ってデザインされたり創造されたりしたものではないと信じろと言っているのです。デザインを除外すれば、自然主義の哲学は、いかなる自然現象の説明についても効果的に超自然的な説明を排除できます。実際、まさにこの自然主義の機能によって、あらゆる科学的説明から超自然の介入の可能性を排除しています。

[William S. Harris and John H. Calvert: Intelligent Design: The Scientific Alternative to Evolution]
「超自然の介入」があったことを「科学に入れろ」くらいの主張になっている、

ここで、注目すべきは、Alvin Planting先生と、Harris&Calvertコンビにせよ、目的論(Teleology)という言葉を、超自然とほぼ同義で使っていること。すなわち、アリストテレスの目的因のような話をするつもりはなさそう。

この傾向は、インテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiにも見られる:
"There's only one way evolutionary biology can defeat intelligent design, and that is by in fact solving the problem that it claimed all along to have solved but in fact never did - to account for the emergence of multipart, tightly integrated complex biological systems (many of which display irreducible and minimal complexity) apart from teleology or design."

進化生物学がインテリジェントデザインを論破する方法はひつだけある。それは事実、解決されたと主張されるが、決して実現したことがないこと。すなわち、目的論やデザインなしに、還元不可能な最小限の複雑さを持つ、複数の部品が緊密に統合された複雑な生物器官の出現を説明することである。

[Travis K. McSherley: A Review of The Design Revolution by William Dembski, Townhall.com, October 30, 2004]
いつもの"God of the gaps"論な文章だが、ここでDembskiは、デザインを認めない限り還元不可能な複雑さの説明はできないと言っている。目的論はもののついで。

別のドキュメントでも、Dembskiは"目的論"を"神様の仕業"程度の意味合いで使っている:
In line with the Parable of the Cube let us recall Thomas Huxley's simian typists. Thomas Huxley was Charles Darwin's apologist. Darwin's theory of speciation by natural selection sought at all costs to avoid teleology. The appeal of Darwinism was never, That's the way God did it. The appeal was always, That's the way nature did it without God. Thus one looked to chance, not intelligence, to render Darwinism plausible. Huxley's simians were to provide one such plausibility argument.

"the Parable of the Cube"のラインでThomas Huxleyのサルのタイピストを思い返そう。Thomas HuxleyはCharles Darwinの擁護者であった。自然淘汰による種形成のDarwinの理論は、徹底して目的論を避けようとした。Darwinは神がそれを為したとは決して言わない。自然は神なしにそれを為したと言う。そこで、ダーウィニズムをもともらしくするために、インテリジェンスではなく偶然に目を向けた。Huxleyのサルは次のようなもっともらしい論を提示する。

[William A. Dembski: Converting Matter into Mind, Perspectives on Science and the Christian Faith 42, no. 4, October 1, 1990]
インテリジェントデザイン運動側でも、アリストテレス的な目的論を持ち出す気はなく、超自然の別名として"目的論"という言葉を使っているようだ。

Discovery InstituteのTechonology&Democracy ProjectのGeorge Gilderも:
Based as it is on ideas, a computer is intrinsically an object of intelligent design. Every silicon chip holds as many as 700 layers of implanted chemicals in patterns defined with nanometer precision and then is integrated with scores of other chips by an elaborately patterned architecture of wires and switches all governed by layers of software programming written by human beings. Equally planned and programmed are all the computers running the models of evolution and “artificial life” that are central to neo-Darwinian research. Everywhere on the apparatus and in the “genetic algorithms” appear the scientist’s fingerprints: the “fitness functions” and “target sequences.” These algorithms prove what they aim to refute: the need for intelligence and teleology (targets) in any creative process.

[George Gilder: Evolution and Me, National Review, July 17, 2006]
人工生命を、インテリジェンスや目的論の説明を論破しようとするものと批判している。ここでも、もののついでな"目的論"であって、主目標は「インテリジェンス」である。

そもそも、「神によるデザイン」とアリストテレス的な目的因とは、直につながるものではないことみあり、"もののついで"の慣用表現で使っているだけのようだ。

posted by Kumicit at 2006/11/02 09:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | DiscoveryInstitute | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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