[Edzard Ernst: "Pascal’s Wager and alternative medicine" (2012/04/26) on BMJ Blog]有害でない代替医療であっても、それを試す時間と銭がかかる。たとえ、時間も銭もかからないとしても、なお、代替治療師たちが通常医療を忌避させようとするという害がある。
代替医療についてパスカルの賭け
パスカル (1623-1662)は、神の存在を証明も否定もできないので、神の存在に賭けるのが最善だと論じた。間違っていたとしても、失うものはほとんどない。正しければ、すべてを手にできる。
同じ論理を代替利用に適用する消費者・患者が多くいるようだ。だいたいこんな感じで論じられる:「代替医療が効くかどうか確信が持てないので、試すのが一番だ。効かなかったとしても、失うものはほとんどない。効けば、得るものは大きい。」
このような思考は一般的であるとともに、表面的には「安全な賭け」のように見えている。すなわち、少し詳細に分析してみれば、それは雲散霧消する。時運の癌を治療するのに、あらゆる手を尽くしたいという癌患者について論じているとしよう。代替医療を試さない理由があるだろうか?
患者が、この問いに肯定的に答えると、「どの代替医療が良いのか」という次の問題が出てくる。何百もの代替癌「治療法」が存在する。どの方法も他の方法と同様に実証されておらず、患者はどれを試せばよいか悩むことになる。すべて同時に、あるいは順番に試していくのが「安全な賭け」になるだろう。しかし、それは現実的な選択肢ではない。とにもかくにも、それは手頃なものではない。
この論のもう一つの問題点は、神の存在と違って、我々は治療法と癌への効果について調べることができるという事実に関連したものである。そのために臨床試験がデザインされている。当該の「治療法」を実証する研究がないなら、おそらく、その治療法の主張を試す価値はない。代替癌治療法は理由の代替である。それらは尤もらしくなく、効果が害を上回る可能性は限りなくゼロに近い。
多くの治療法は決してリスクがないわけではない。したがって、効かなくても「失うものはほとんどない」と仮定するのは誤りである。直接的な害は、たとえば、ある種の代替医療と処方薬の相互作用で起きる。しかし、間接的な害の可能性はもっと重要である。誤った希望あるいは金銭の剥奪から、合理的思考を弱らせることまで広くある。
しかし、もっとも大きな危険性は、代替医療が有効な治療法の代わりに使われることだ。大半の患者は、通常医療をやめる意図を持って、代替医療に近づくことはない。しかし、代替医療師たちは生命を救う通常医療を止めるように患者に説得するかもしれず、熱狂的な治療師たちは患者に、生命を救う通常医療を止めさせようとする。
パスカルの賭けは最初に提示されたときから反論されてきた。確実な議論の積み重ねから、我々は、確率理論などの分野で大きく進歩した。医療の分野にパスカル賭けを適用するなら、何も得るものはなく、巨大な害が起きるかもしれない。
常に、人にとって時間も銭も有限な資源で、人はそれを何に配分するかという決断を続けているはずだが...

