順に並べると....
- [Camil Flammarion: L'inconnu= The unknown, 1900, p.236]
An idea, an impression, a mental commotion, while entirely internal, can produce in another direction physiological effects more or less intense, and is even capable of causing death. Examples are not wanting of persons dying suddenly in consequence of emotion. The power which imagination is capable of exercising over life itself has long been established. The experiment performed in the last century in England on a man condemned to death, who was made the subject of a study of this kind by medical men, is well known. The subject of the experiment was fastened securely to a table with strong straps, his eyes were bandaged, and he was then told that he was to be bled from the neck until every drop of his blood had been drained. After this an insignificant puncture was made in his skin with the point of a needle, and a siphon arranged near his head in such a manner as to allow a continuous stream of water to flow over his neck and fall with a slight sound into a basin placed on the floor. At the end of six minutes the condemned man, believing that he had lost at least seven or eight quarts of blood, died of terror.
ひとつの考え、ひとつの印象、そしてひとつの精神的動揺が、内的ではあっても、別の方向の生理現象を大なり小なり引き起こし、ときには死に至らしめることもある。感情の帰結として突然死した人々の例には事欠かない。生命さえも奪ってしまう想像の力の存在は確立された事実である。前世紀に英国で、医師たちによる、この種の研究の被験者となった死刑囚に対して行われた実験はよく知られている。実験の被験者は丈夫なベルトで台に縛り付けられ、包帯で目隠しされて、血液を首から最後の一滴まで流出させると告げられた。そのあと、男の皮膚に針が刺され、目立たない音を立てられた。そして、男の首をつたって水が流れ、床に落ちて目立った音を立てるように、サイフォンが配置された。6分後に、少なくとも7〜8クォートの血液を失ったと信じた死刑囚は、恐怖で死亡した。 - [Camille Flammarion: "Línconnu" quoted in Blog União Fraterna Bezerra de Menezes]
Une idée, tout intérieure, une impression, une commotion mentale peut, à l’inverse, produire des effets physiologiques plus ou moins intenses, et même amener la mort. Il ne manque pas d’exemples de personnes mortes subitement à la suite d’une émotion. La preuve est donnée depuis longtemps des effets de la puissance de l’imagination sur la vie elle-même. Personne n’a oublié l’expérience faite à Copenhague en 1750 sur un condamné, livré à des médecins pour une étude de ce genre, et qui fut observé jusqu’à la mort inclusivement. Ce malheureux avait été solidement attaché à une table avec de fortes courroies ; on lui avait bandé les yeux ; puis on lui avait annoncé qu’il allait être saigné au cou et qu’on laisserait couler son sang jusqu’à l’épuisement complet ; après quoi une piqûre insignifiante fut pratiquée à son épiderme avec la pointe d’une aiguille, et un siphon déposé près de sa tête, de manière à faire couler sur son cou un filet d’eau qui tombait sans interruption avec un bruit léger, dans un bassin placé à terre. Le supplicié convaincu qu’il avait dû perdre 7 à 8 litres de sang, mourut de peur.
ひとつの考え、ひとつの印象、そしてひとつの精神的動揺が、内的ではあっても、別の方向の生理現象を大なり小なり引き起こし、ときには死に至らしめることもある。感情の帰結として突然死した人々の例には事欠かない。生命さえも奪ってしまう想像の力の存在は証明された事実である。1750年にコペンハーゲンで行われた、この種の研究のために医師たちのもとに送られ、死ぬまで観察された死刑囚に対する実験は誰も忘れていないだろう。実験の被験者は丈夫なベルトで台に縛り付けられ、目隠しされて、血液を首から最後の一滴まで流出させると告げられた。そのあと、男の皮膚に針が刺され、目立たない音を立てられた。そして、男の首をつたって水が流れ、床に落ちて目立った音を立てるように、パイプが配置された。6分後に、少なくとも7〜8リットルの血液を失ったと信じた死刑囚は、恐怖で死亡した。 - [フラマリオン 著 ; 大沼十太郎 訳: "未知の世界へ" 東京 : アルス, 大正13 (1924), P.277]
觀念、印象、精神錯亂は全く内的であるが、而も他の方面に對して、多少激烈なる心理的結果を與へ、時には死さへも惹起せしむる事がある。感情の結果、急に死んだ人の例が澤山ある。妄想の力が生命にも影響を與へ得るものだと云ふ事は、久しい前から確かめられて居た。茲に、先世紀、英國で死刑囚に行った有名な實験がある。醫者は此死刑囚をテーブルに緊かり縛り付け、目隠しをした。そして彼に向かって、首から乾く迄血を出すと告げた。それから、針の先で、分かるか分からない程に皮膚を刺した。傍らには如何にも彼の首から血が出て居る様な音を聴かしめる様に、皿の中に水の滴りを落として置いた。暫くして六分の後、其の宣告された者は、最早少なくとも六、七升の血を失つたと思ひ詰めて驚いて死んで了つた。
- [谷口雅春: "生命の實相 : 生長の家聖典" 住吉村 (兵庫県) : 生長の家出版部, 昭和7 (1932), P.233]
或る時死刑囚を實験に供しました。先づ其の男に目隠しをしました身體を厳重に椅子に縛りつけ、さて『これから汝の頸部から一滴ずつ血液を滴らして徐々に汝の全身の血を搾り取つて了ふぞ』と宣告しました。斯く云う宣告をして 恐怖の暗示を與えた後、實験者は囚人の頸部に針の先端をもつて微細な傷をつけ、恰も局所から血が滴つてゐるかのやうに、彼の頸部に水を傳はらせて、床の上に一滴づつ音を立てて落ちるような仕掛をしておいたのであります。六分間程経過して、『サァおまえは全身の血液の三分の二を失つて了つた』と暗示しますと死刑囚はそれを信じて恐怖の余り絶命して了つたのであります。(フラマリオン:"未知の世界")
- [谷口雅春: "生命の實相 : 頭注版. 第2巻 (實相篇 下)" 東京 : 日本教文社, 1962.6, P.20]
ある時 死刑囚を実験につかいました。まず其の男に目隠しをしまして、身体を厳重に椅子に縛りつけ、さて『これからなんじの頸部から一滴ずつ血液をしたたらしてじょじょになんじの全身の血を搾り取ってしまうぞ』と宣告しました。こういう宣告をして 恐怖の暗示を与えた後、実験者は囚人の頸部に針の先をもって微細な傷をつけ、あたかも局所から血がしたたっているかのように、彼の頸部に水を伝わらせて、床の上に一滴ずつ音を立てて落ちるようなしかけをしておいたのであります。六分間ほど経過して、『サァおまえは全身の血液の三分の二を失ってしまった』と暗示しますと死刑囚はそれを信じて恐怖のあまり絶命してしまったのであります。(フラマリオン:"未知の世界")
- [広告屋のネタ帳 1998. 07.25 いつも通り第9号]
アメリカの電機メーカーで作業中にある作業員が冷凍室に閉じこめられてしまった。同僚に助けを呼んでも、誰にも聞いてもらえず一晩閉じこめられ、翌日同僚が気づいたときには、彼は凍死していた。しかし、驚いたことにその冷凍室には電源が入っていなかったのである。彼は冷凍室に閉じこめられ、凍死してしまうという自己暗示によって実際に死んでしまったのである。
すると、アメリカ人というのは実験をしたくなっちゃって、囚人を使って実験を行った。死刑囚に対して、人間は血がどのくらいなくなったら死ぬのかを実験したいということをいって、死刑囚の血を抜くふりをした。あくまでふりで実際には血はほとんど抜いていない。死刑囚の見えないところでバケツに水をぽたぽたと垂らし、医師が「そろそろ危ない状態に陥ります」なんてことを言う。すると、死刑囚はしばらくして本当に死んでしまったというのだ。 - [笠巻勝利: "眼からウロコが落ちる本"(1999/09) (PHP文庫), pp.46-47]
1883年、オランダにおいてブアメードという国事犯を使って一つの実験が行なわれた。表面上、一人の人間からどれだけ血液をとったら人間は死ぬものかというものである。医師団はブアメードをベッドの上にしばりつけておいて、その周りで話し合いをする。「三分の一の血液を失ったら人間は死ぬでしょう」という結論に達した。医師団は、「これから実験をはじめます」といって、ブアメードの足の親ユビにメスを入れた。用意してある容器に血液がポタポタとしたたり落ちはじめた。数時間が過ぎた。医師団は「どれぐらいになりましたか?」「まもなく三分の一になります」と会話する。それを聞いたブアメードは静かに息を引きとったという。実は、医師団は心理実験をしていたのであった。ブアメードの足にメスを入れるといって痛みだけを与えたのである。ブアメードはメスで切られるといわれれば、それこそ、ちょっとした痛さでも、メスで足を切られたと思うだろう。容器に用意しておいた水滴をたらしていたのであった
- [長谷川淳史: "腰痛は<怒り>である", 2000]
ヨーロッパのある国にブアメードという名の死刑囚がいました。彼はある医師から、「人間の全血液量は体重の10パーセントが定説になっているが、それを証明する実験をしたいので協力してほしい」と持ちかけられます。申し出を受け入れた彼は目隠しをされ、ベットに横たわり、血液を抜き取るため足の全指先を小さく切開されました。足元には容器が用意され、血液が滴り落ちる音が実験室内に響き渡ります。やがて、実験開始から5時間、総出血量が体重の10パーセントを越えた、と医師が大喜びしたとき、哀れこの死刑囚はすでに死亡していました。
"ブアメードの血"(1999)の直前に、「アメリカでの実験」というネタ(1998)がついで見つかった。これの出所は不明。ただし、"生命の実相"は生長の家の聖典であり、定期的に版を変えて出版されているため、いつかの時点のものを参照している可能性はある。
ところがこの実験、実は血液など抜き取っていなかったのです。彼にはただの水滴の音を聞かせ、体内の血液が失われていると思い込ませただけだったのです。彼は暗示をかけられ、その事により命をおとしたのです。
で、さらに調べてみると、このFlammarion系列か分岐したのかどうかわからないが、Archives of Neurology and Psychiatryという学術誌に、同様のネタをインドでの実験として記載している記事があるらしいことがわかった。Emotions as the Cause of Rapid and Sudden Death. Dr. N. S. Yawger.
想定出血ポイントが首ではなく四肢先端になっているが、それ以外はFlammarionの記述と違っていないので、インドの医療定期刊行物は存在せず、Flammarionのネタをそれっぽく語っただけという疑いもある。
Years ago, a medical periodical in India published an article entitled 'Killed by the Imagination'. In substance it stated: A celebrated physician, author of a work on the effects of the imagination, was permitted to try an astonishing experiment on a criminal who had been condemned to death. The prisoner, an assassin of distinguished rank, was advised that, in order that his family might be spared the further disgrace of a public hanging, permission had been obtained to bleed him to death within the prison walls. After being told 'Your dissolution will be gradual and free from pain', he willingly acquiesced to the plan. Full preparations having been made, he was blindfolded, led to a room and strapped onto a table near each corner of which was a vessel containing water, so contrived that it could drip gently into basins. The skin overlying the blood vessels of the four extremeties was then scratched, and the contents of the vessels were released. Hearing the flow of water, the prisoner believed that his blood was escaping; by degrees he became weaker and weaker, which, seemingly, was confirmed by the conversation of the physicians carried on in lower and lower tones. Finally, the silence was absolute except for the sound of the dripping water, and that too died out gradually. 'Although possessed of a strong constitution (the prisoner) fainted and died, without the loss of a drop of blood.'" (Yawger, 1936, p. 875) (See also the 'famous experiment in Montpellier' (Liek, 1933, p. 81).)
数年前、インドの医療定期刊行物に「想像力による殺人」と題する記事が掲載された。その記事には次のように書かれていた: 想像力の効果についての研究の執筆者である著名な医師が、死刑判決を受けた犯罪者を対象とした驚くべき実験を許可された。高ランクの暗殺者である囚人は、彼の公開処刑によって彼の家族が屈辱を受けることを避けるために、刑務所の壁の中で出血死をする許可が与えられたと告げられた。「死は徐々にやってきて、痛みは感じないだろう」と告げられると、彼は喜んで計画に従った。完全な準備がなされ、彼は目隠しをされ、部屋に連れてこられ、台の上に固定された。台の四隅には水の入った容器があり、ゆっくりと水が床へと滴るようになっていた。四肢の先端の血管を覆う皮膚が傷つけられ、容器の水がリリースされた。水の流れる音を聞いて、囚人は自分の血が流れ出ていると信じた。医師たちの会話の声が次第に低くなるのを聞いて、彼は自分が弱っていくのを確認できた。そして最後には、水の滴る音以外は静寂となり、彼は徐々に死亡した。「囚人は健康体だったが、一滴の血液も失うことなく、気絶して死亡した。」
[PHILADELPHIA NEUROLOGICAL SOCIETY: Stated Meeting, Nov. 22, 1935. F. C. Grant, M.D., President, in the Chair, Arch Neurol Psychiatry. 1936;36(4):869-890. (1999K) (via Gary Bruno Schmid)]
ただし、これは論文ではなく、会合(研究発表)の記録であり、参考文献の記載もないので、これ以上の追跡は無理。
[2012/05/05 追記]
このネタが1930年3月に幾つかの米国の新聞に登場していた。[Arthur Brisbane: "THIS WEEK" Appleton review Vol. 1, no. 11 (March 28, 1930), also on Cass City Chronicle (March 27, 1930), and Rochester Evening Journal - Mar 18, 1930]
What people think decides what they are. Prosperity is to a considerable extent a matter of psychology.
Once a man was fastened in a chair, his feet put in warm water, and as a practical joke he was shown a razor of which the blunt end was drawn across the soles of his bare feet. He was told, "You will bleed to death painlessly in this warm water." He didn't lose a drop of blood, but he died.
Don't let prosperity die in that fashion, killed by imagination.
人は自分で考えることで、自分を規定してしまう。幸運は相当程度に心理学の問題である。
ある男が椅子に縛り付けられ、足を温水の中につけられて、それらしいジョークのために彼は剃刀を見せられ、彼の裸足の裏全体をなぞられた。彼は「おまえは、痛みもなく、この温水の中に出血して死ぬだろう」と告げられた。彼は一滴の血を失うことなく死亡した。
想像で死ぬという形で、幸運を死なせてはならない。
2012/05/10追記
これより少し前の1926年に「数年前にフランスの医師」が行った実験として、現Tampa Bay Times(当時St. Petersburg Times)が紹介している。
一方、1922年のThe Toledo News-Beeの記事では、英国の医科大学で起きたことになっていた。
数年前、著名なフランスの医師が、死刑判決を受けた囚人に対して、想像の効果を検証する実験を許可された。男は目隠しをされ、台に縛り付けられ、動脈を開き、死ぬまで出血させると告げられた、彼の頭の近くには水を入れたボウルが置かれ、管を通して水が流れ出て、床の洗面器に落ちるようになっていた。準備が整うと、医師は囚人の首を針で少し傷つけた。コックが開けられて、水がポタポタポタと落ちていった。5分が経過し、コックが閉じられた。男は台の上から降ろされた。男は死んでいた。
[St. Petersburg Times - Feb 21, 1926 (Currently Tampa Bay Times)]
英国の医科大学で、患者が話したり動いたりできず、感覚もなくなるように麻酔薬を投与された。眼には包帯が巻かれた。外科医は尖ったツララで、彼の心臓近くの皮膚をなぞった。そして、動脈を切断したと叫んだ。暖かい水が彼の横を滴り落ちた。患者は、出血死すると信じて、手術台の上で死亡した。想像が彼を殺した。
[The Toledo News-Bee - Oct 25, 1922 "All in the mind" by Toledoan]【Othersの最新記事】