2006/11/17

悪いデザインは神の手を離れた後のもの by Dembski

バカなデザインもあるよという批判に対するインテリジェントデザイン理論家William Dembskiの反論には次のようなものがある:William A. Dembski: "Is Intelligent Design A Form of Natural Theology?", 2001/03

The other constraint for excluding design from science is dysteleology. Dysteleology refers to inferior design -- typically design that is either evil or incompetent. Dysteleology rules out design from the natural sciences on account of the inferior design that nature is said to exhibit. Dysteleology might present a problem if all design in nature were wicked or incompetent. But that's not the case. To be sure, there are microbes that look designed to do a number on the mammalian nervous system and biological structures that look cobbled together by a long trial-and-error evolutionary process. But there are also biological examples of nano-engineering that surpass anything human engineers have concocted or entertain hopes of concocting. Dysteleology is primarily a theological problem. To exclude design from biology simply because not all examples of biological design live up to our expectations of what a designer should or should not have done is an evasion. The problem of design in biology is real and pervasive, and needs to be addressed head on and not sidestepped because our presuppositions about design happen to rule out imperfect design. Nature is a mixed bag. It is not William Paley's happy world of everything in delicate harmony and balance. It is not the widely caricatured Darwinian world of nature red in tooth and claw. Nature contains evil design, jerry-built design, and exquisite design. Science needs to come to terms with design as such and not dismiss it in the name of dysteleology.

科学からデザインを除外するもうひとつの制約条件は無目的論である。無目的論は劣ったデザイン、特に邪悪あるいは役に立たないデザインに言及する。無目的論は、自然界にあると言われる劣ったデザインを以って、自然科学からデザインを除外する。自然界にあるすべてのデザインが邪悪か役立たずであれば、無目的論は問題になる。しかし、実際はそうではない。確かに、哺乳類の神経系と絡むようにデザインされたようにみえる病原菌や長い試行錯誤の進化過程によって不細工に修繕されたように見える生物構造がある。しかし、人間の技術者が創り出したいかなるものをも凌ぐ、あるいは作り出す望みを持たせるナノ=エンジニアリングの生物学の例もある。無目的論は、主に神学上の問題である。何をデザイナーがすべきで、何をすべきでなかったかについての我々の期待に、すべての生物デザインが沿っているわけではないという理由だけで、生物学からデザインを除外するのは、言い逃れに過ぎない。生物学におけるデザインの問題は実際にあり、普遍的であり、直面する必要があり、我々のデザインについての前提が不完全なデザインを除外するという理由で、回避すべきではない。自然は寄せ集めである。微妙な調和と均衡にすべてがあるWilliam Paleyの幸福な世界ではない。戯画化された、弱肉強食のダーウィン的自然界でもない。自然化には、邪悪なデザインや安普請のデザインや見事なデザインがある。科学はこのようなデザインを受け入れ、無目的論の名において除外すべきでない。
長々しい言い草だが、変なデザインもデザインであるというのがDembskiの主張。もちろん、もともとの批判が、科学からデザインを排除するためではなく、偽装された創造論たるインテリジェントデザインが何ら神の賛美につながらないことを指摘するためのもの。「神様は馬鹿なのさ」と言ってみたところで、別に科学として論じられるわけではない。「自然法則でも偶然でも説明できないものはデザイン」という"God of the gaps"論として実装されているために、もともと反証不可能な論になっていて科学の範疇外にあるだけ。

そこでやめればいいのに、余計な言葉を使うのがDembskiのバカなのところ。ここではdysteleology(無目的論)という言葉を持ち出す。そもそも、自然法則で機械仕掛けの宇宙を記述する機械論には目的という概念は取り扱えない。そこがわかっていないので、無目的論という批判用語を繰り出してしまうのがDembskiで、自らの主張が科学の範疇外にあると言っているようなもの。

で、別の場所で、Dembskiは、バカなデザインについて、神の論を述べている[William A. Dembski: "Intelligent Design is not Optimal Design", 2000/02]:
This is a fallen world. The good that God initially intended is no longer fully in evidence. Much has been perverted.

これは堕ちた世界だ。神が初期に意図した良きものは、もはやまったく目に付くことがない。すべては歪められた。
良いデザインは神の手によるもので、悪いデザインは進化?のせいらしい。

posted by Kumicit at 2006/11/17 00:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dembski | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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