環境放射線モニタリングの実施にあたり、SPEEDI計算結果を参考にはしていたが、今回の事故直後に原子力発電所からの放出源情報が何ら得られていない状況において単位量放出や様々な仮定(全量放出の場合等を含む)に基づいて行われたSPEEDIの計算は、どのような仮定を設定するのが適当なのか判断する材料がない中での仮定に基づく計算であり、その結果は現実をシミュレーションしたものとは言い難いものであるとの当時の文部科学省関係者の認識は、当時の状況の中では適当であったと考えられる。「言い難いものである」との「当時の文部科学省関係者の認識」は「当時の状況の中では適当であった」と「考えられる」という、とても持って回った表現である。
[東日本大震災からの復旧・復興に関する文部科学省の取組についての検証結果のまとめ(第二次報告書)(2012/07/26) on MEXT (強調追加)]
風については、気象庁観測値に基づく普通のリージョナルモデルによって「現実をシミュレーションしたもの」だから「現実をシミュレーションしたものではない」と言い切るのは不適切というところかな。一方、放射線量を予測するという意味では「単位量放出」は現実ではないはないわけで、「言い難いものである」というのも間違いではない。
「事故直後に原子力発電所からの放出源情報が何ら得られていない状況」については、東京電力による1F敷地内観測値という代用品があった。とはいえ、それを放出量に変換する係数がわかっているわけではなので、「どのような仮定を設定するのが適当なのか判断する材料がない」というのも間違いではない。
ただ、「単量放出」であっても、1F敷地内観測値が高くなった時の、定性的な判断材料としては有効。(もっとも、東京電力による観測値公表が2011//15-16では時間間隔があきすぎていて、手遅れ気味だったが)

で、文部科学省は、とても"弱い表現"で、積極的に非公開にする理由はないといった意味のことを述べている。
計算結果を検証した結果、実際に住民の方々が避難した時点における単位量放出のSPEEDI計算結果は、現実の放出源情報がない中では、現実をシミュレーションしたものとは言い難く、しかも時々刻々変化する情報であることから、どの程度の信頼感をもって住民の方々に提供できたかについては疑問があるが、住民の方々に情報を提供する意味がなかったのかについては、否定することまではできないと考えられる。単位量放出のSPEEDI単体では情報価値を持たなが、1F敷地内観測値との組み合わせれば、有意味な情報は原理的には提供可能。
[東日本大震災からの復旧・復興に関する文部科学省の取組についての検証結果のまとめ(第二次報告書)(2012/07/26) on MEXT(強調追加)]
でもプレスリリース間隔が一定しない1F敷地内観測値との組み合わせ」だと、「どの程度の信頼感をもって住民の方々に提供できたかについては疑問がある」かもしれない。しかし「意味がなかった」わけではないので、「否定することまではできないと考えられる」という表現になっている。
で、ここで文部科学省の作文に余計なひと言がある。それは「時々刻々変化する情報であることから」という一文。台風情報や集中豪雨情報など気象庁系の情報は「時々刻々変化する情報」であるが、それは「信頼感をもって提供できたか疑問」なことを意味しない。どうも、ここは「疑問」に持っていこうとして言い過ぎたようだ。
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