This is first of all a deeply ironic claim, given that the ID advocates either are unable to or refuse to identify any candidate for a designer. Therefore the ID 'explanation' for - well - everything is: 'an unknown intelligent designer did it using unknown methods for unspecified reasons at an unknown time'.「未知のインテリジェントデザイナーが、未知の方法を使って、特定できない理由で、未知の時刻に行った」なら、なんでも説明できる...というOdd Digitのツッコミ。「科学で説明できないことは神様のせいなのさ」な"God of the gaps"論であるインテリジェントデザインでは、科学の範疇で言えることはこんなもの。
これはそもそも、デザイナー候補の同定が不可能もしくは拒否するインテリジェントデザイン支持者には、深くアイロニーな主張である。従って、インテリジェントデザインによる説明は、「未知のインテリジェントデザイナーが、未知の方法を使って、特定できない理由で、未知の時刻に行った」というものになる。
The above doesn't even reach the lofty heights of a 'just-so story' because there is absolutely no detail whatsoever. At least Kipling supplied some detail with his stories, even if it was entirely fanciful!
これは"Just-So Story"の粋にも達していない。何故なら、何も詳細を語っていないからだ。少なくともKiplingは、まったくの空想だが、少しは詳細を語っている。
なお、Rudyard Kipling:"Just-So Story for Little Children"[wiki]は日本でも出版されたが、現在は品切れ。こんなものだったらしい...
キップリングは、リテラリイ・フェアリー・テイルズの分野には、一般に『なぜなぜ物語』(1901)で知られる作品をのこした。これは、昔話にある一つの型、たとえばコマドリの胸はなぜ赤いといったたぐいの話を、幼ないわが子に物語る形式の本で、『ぞうのはなはなぜ長い』や『ラクダにはなぜこぶが二つある』など、今でも愛読されている。なぜに対する新鮮な着想と、子どもの興味をよく知っている流れるような名文とで、この種のものの白眉である。バリやミルンにくらべて、わが国であまりよまれないのは、いささかおしゃべりに感じられる文体や、精密なさし絵が古めかしく思われるためだろうか。
http://www.hico.jp/ronnbunn/jinguu/douwahenosyoutai/114-129.htm
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