ふたつの百匹目の猿
始まりは1979年のLyall Watsonの"Lifetide"の一節だった:
. . . One has to gather the rest of the story from personal anecdotes and bits of folklore among primate researchers, because most of them are still not quite sure what happened. And those who do suspect the truth are reluctant to publish it for fear of ridicule. So I am forced to improvise the details, but as near as I can tell, this is what seems to have happened.ここで、Lyall Watsonは2つの捏造ネタを提示した。
In the autumn of that year an unspecified number of monkeys on Koshima were washing sweet potatoes in the sea. . . . Let us say, for argument's sake, that the number was ninety-nine and that at eleven o'clock on a Tuesday morning, one further convert was added to the fold in the usual way. But the addition of the hundredth monkey apparently carried the number across some sort of threshold, pushing it through a kind of critical mass, because by that evening almost everyone was doing it. Not only that, but the habit seems to have jumped natural barriers and to have appeared spontaneously, like glycerine crystals in sealed laboratory jars, in colonies on other islands and on the mainland in a troop at Takasakiyama.
...残りの話は個人的な逸話や霊長類研究者の間に伝わる伝承の断片から推すしかない。というのも、研究者たちでさえおおむね本当に何が起こったのか定かではないのだ。真偽のほどを決しかねた人びとも物笑いになるのを恐れて事実の発表を控えている。したがって私としてはやむなく、詳細を即興で創作することにしたわけだが、わかる範囲で言えば次のようなことが起こったらしい。
その年の秋までには幸島のサルのうち数は不明だが何匹か、あるいは何十匹かが海でサツマイモを洗うようになっていた。... 話を進める都合上便宜的に、サツマイモを洗うようになっていたサルの数は九九匹だったとし、時は火曜日の午前11時であったとしよう、いつものように仲間にもう一匹の改宗者が加わった。だが、100匹目のサルの新たな参入により、数が明らかに何らかの閾値を超え、一種の臨界質量を通過したらしい。というのも、その日の夕方になるとコロニーのほぼ全員が同じことをするようになっていたのだ。そればかりかこの習性は自然障壁さえも飛び越して、実験室にあった密閉容器の中のグリセリン結晶のように、他の島じまのコロニーや本州[mainland=本土]の高崎山にいた群の間にも自然発生するようになった。
[Lyall Watson: "Lifetide", 1979 (Amazon)]
[木幡和枝 訳: 生命潮流, 1981 (Amazon)]
- HMP-A:「00匹目のサルの新たな参入により、数が明らかに何らかの閾値を超え、...その日の夕方になるとコロニーのほぼ全員が同じことをするようになっていたのだ。」
- HMP-B:「自然障壁さえも飛び越して、他の島じまのコロニーや本土の高崎山にいた群の間にも自然発生するようになった」
HMP-Aは原論文によって撃墜された
この捏造ネタを撃墜したのは、Ron Amundsonだった。
==>Ron Amundson: The Hundredth Monkey Phenomenon, 1985[和訳]
Ron AmundsonはLyall Watsonが論拠として提示した文献に「百匹目の猿」がいないことを示した。その文献とは:
==>Kawai, Masao: On the newly-acquired pre-cultural behavior of the natural troop of Japanese monkeys on Koshima Islet. Primates, 6, 1-30, 1985. [Springer]
その要旨は:
- 幸島のニホンザル全員を1949年(20匹)から1962年(59匹)まで観察し、新しい行動の習得と伝播、その原因と意味を研究
- 新しい行動とは、サツマイモ洗い・麦洗い・海水浴・なんかくれポーズ。
- 1958年までは、サツマイモ洗いは年1〜4匹の年少の猿が習得したが、成人した猿11匹のうち習得したのは2匹(いずれも母猿で、サツマイモ洗いをする子猿をまねたものと考えられる)。
- 1959年からは、サツマイモ洗いをする猿たちが成人し、子供を生むようになった。それ以後は、母から子へとサツマイモ洗いが伝わるようになった(つまり、サツマイモ洗いは新技術ではなく、普通の行動になった)。
1962年に幸島に生存していたニホンザルの系図が示されている。下線はサツマイモ洗いを習得したニホンザル。
1958年までの各年にサツマイモ洗いを習得した猿の名前と年齢が示されている。毎年1〜4匹がサツマイモ洗いを習得している。
1960年までに幸島に生まれたニホンザルの名前・性別・習得した行動のリストが示されている。ここで、 SPW: サツマイモを洗う WW: 麦を洗う B: 海水浴(Δは泳ぐ) GM: なんかくれポーズまた、 ++, +:習得度、±:不完全な習得、0:習得していない、△:泳ぐ、*:孤立オス、S:スナッチ
このTable2を見ると:
-1948 (M) Kaminari-, Akakin-, Mobo-, Hiyoshimaru-, Hanakake-
(F) Utsubo-, Nori-, Eba+, Nami+
1949 (F) Natsu-
1950 (M) Gosuke-
1951 (M) Kon+, Ita+, Semushi+
(F) Sango+, Aome+, Harajiro+
1952 (M) Uni+, Naki-
(F) Imo+
1953 (M) Nomi+
1954 (M) Jugo+, Ei+
1955 (F) Nogi+, Sasa+
1956 (M) Tsuru+, Nabe-
(F) Enoki+, Zabon+, Hama+
1957 (M) Ika+, Saba+
(F) Ego+, Nashi-, Nofuji+
1958 (M) Ebi+, Hamo+
(F) Tusge+
1959 (M) Namako+, Eso+
(F) Zai+, Ine+, Sakura+
1960 (M) Same+, Eboshi+, Namazu-, Nobori+
(F) Hasu+, Tsuga+
そして、習得過程[Table.1]
1953: Imo, Semushi, Eba
1954: Uni
1955: Ei, Nomi, Kon
1956: Sasa, Jugo, Sango, Aome
1957: Hama, Enoki, Harajiro, Nami
1958: Zabon, Nogi
これを整理すると、1958年時点の未習得は
[a] Kaminari, Akakin, Mono, Hiyoshimaru, Hanakake, Utusbo,
Nori, Natsu, Gosuke (大人)
[b] Naki, Nabe, Nashi, Ita, Tsuru (若猿)
[c] Ika, Saba, Ego, Nofuji, Ebi, Hamo, Tsuge (1957,1958年生まれ)
これが1962年になると
[a] の大人集団はやっぱり未習得
[b] の若猿のうちNaki, Nabe, Nashiは未習得, Ita, Tsuruは習得
[c] の新人たちは、Namazu以外は全員習得
[d] 1961, 1962年生まれが未習得
ということで
・大人(NamiとEba以外)はそのまま未習得
・若猿のうちNaki, Nabe, Nashi, Namazuは未習得
・前年と当年生まれは未習得
という状況が続いているわけだ。
ここで、Fig.1の系図をみれば
・Namiの子供のうち
Naki, Nabe, Nashi, Namazuは未習得
Ita, Jugo, Namakoは習得済み
ということで、若猿で未習得なのはNamiの子供たちの半分である。このNamiは、イモ洗いを習得した大人2匹のうちの1匹である。
習得過程はきっちり記録されている。創作で補う必要などない。そして、そのどこにも、一気に習得が進んだなどという記録はない。しかも、若猿でも未修得もいる有り様。Lyall Watsonが創作したようなエピソードが入る余地はない。
HMP-Bのニセ科学
MP-B:「自然障壁さえも飛び越して、他の島じまのコロニーや本土の高崎山にいた群の間にも自然発生するようになった」について、Ron Amundsonは次のように指摘した:
Watson assumes that Imo was the only monkey capable of recognizing the usefulness of washing potatoes. In his words, Imo was "a monkey genius" and potato washing is "comparable almost to the invention of the wheel." Monkeys on other islands were too dumb for this sort of innovation. But keep in mind that these monkeys didn't even have potatoes to wash before 1952 or 1953, when provisioning began. Monkeys in at least five locations had learned potato washing by 1962. This suggests to me that these monkeys are clever creatures. It suggests to Watson that one monkey was clever and that the paranormal took care of the rest.そもそも、幸島にせよ、高崎山にせよサツマイモによる餌付けが1950年代初頭に始まったもの。であるなら、同じ頃にイモ洗いが始まったとしても不思議ではないという指摘。ニセ科学はそれを拒否して、"Imo"という名の若いメスザル以外に、イモ洗いを思いつかないという証明されざる前提を置くのだと。
Watsonは、Imoがサツマイモを洗うことが有用だと気づくことができた唯一の猿だったと考えます。彼の言葉によればImoは「猿の天才」であり、サツマイモ洗いは「車輪の発明にも匹敵する」ものであり、「他の島の猿はそのような発明をするには愚かすぎる」だと考えます。しかし、餌付けが始まった1952年および1953年以前にこれらの猿たちはサツマイモを食べたことはなかったことを思い返さないといけません。少なくとも5か所の猿は1962年までにサツマイモ洗いを学んでいました。これから私は、これらの猿たちが賢い生き物ではないかと考えます。しかし、Watsonにとっては1匹の猿だけが賢く、他の猿は超常現象によってサツマイモ洗いを獲得したことの証しでした。
実際、幸島の中でも"サル真似"ではなく、個別学習によりイモ洗いの習得が進んだ可能性が指摘されている。そもそもニホンザルは"サル真似"が不得意らしい:
渡辺 邦夫・冠地 富士男・山口 直嗣(京都大学霊長類研究所幸島観察所):幸島のニホンザル, みやざきの自然 12号 '96-2
観察学習かそれとも局部的強調か
幸島のサルによる文化的行動が、“見よう見まね”で伝播してきたものであるということが強調されたことは前に述べた。「サル真似」という言葉が示すように、我々にとってサルが見よう見まねで他の個体の行動をおぼえていくということのほうが、より理解し易かったのであろう。だが1970年頃になって、見よう見まねで新しい行動を獲得する例がほとんどないことが明らかになってきた。確かによく行動をみていると、ムギやイモを洗って食っている個体の近くには、たくさんのサルがいる。だがその行動を見ていて、急に思いついたかのように同じ行動を始める個体はまるで見当たらない。同じ親子兄弟であっても、洗い方はみな違っていてバラバラである。さらに見よう見まねということだけでいうと、ずっと高等な類人猿でもそうやたらとあるものではないことが分かってきた。だからこれまで文化的行動とされたことの大半は、ある特定の条件の下で、個別に学習されるのに適した刺激が継続して与えられたことによるのではないかと言われるようになった。
幸島ではこの点に興味をもった動物心理学者の樋口義治君(現愛知大学)が、オペラント条件付けといわれる方法を用いて詳しく調べている。要するに箱の一面にパネルをしつらえて、そのパネルを押すと大豆が出るようにしておく。箱は1個しかなく、まわりでは多数の個体が見ているから、それを1頭1頭全部チェックできる。そうやってそれぞれの個体が、どうやってこの新しい課題を学習していくのか、それを長期間かけて調べてみたのである。彼の結論を要約すると、大体以下の通りである。新しい行動を、観察することによってのみ獲得したと判断される個体は少なかった。だがサルたちは他のサルのやることに大変興味を持つ(局部的強調)。しかし興昧をもって他のサルがする行動を見ただけでは、なかなか同じ行動をするまでには至らない。むしろ興味を持って箱をたたいてみたりかじってみたりしながら、いろいろな試行錯誤を繰り返して、個別に学習していくのである。ただ34頭のサルがこのパネル押しを学習した中で、3頭は観察学習だったものと判定されている。だから観察学習が全く否定されたというわけではない。
また、イモ洗い行動そのものも、それほど特異な行動ではないらしい。高崎山自然動物園によれば:
こちらで芋洗いについても調べましたが、Lyall Watsonが言うような「車輪の発明にも匹敵する」ものではないようだ。
該当する書物や、文書が見つかりませんでした。
そこで、以前芋洗いについて調べた係員に聞きましたところ、芋洗いについてはずいぶん昔から確認されており、1962年当時にいた職員から伝え聞いた話では62年以前から高崎山では芋洗いの行動がされていたと思われるということでした。
高崎山では芋洗いについてそれほど特異な行動とは捉えられなかったのではないかと思われます。芋洗いという行動自体は猿が物を持つと手を使って擦るという行動を行うことから、その一連の行動のなかで水中で芋を手で擦るという行動につながったのではないかと考えられております。
現在でも高崎山では芋洗いの行動が行われておりますが、すべての猿がするわけではなく、ごく一部の猿が行うようです。必ず洗って食べるというほどでもありませんので、高崎山では今でもそれほど話題にはなっておりません。
Lyall Watsonは百匹目のゴキブリだったかも...と言って逃亡した
以上のようなRon Amundsonの攻撃に対して、Lyall Watsonはあっさり逃亡した:
- 百匹目の猿はメタファーだった。
- 参考文献はただの道具であって、論拠ではなかった。
- しかし、"百匹目の猿"現象はある
http://www.findarticles.com/p/articles/mi_m1510/is_vNON4/ai_4436766
Lyall Watson responds - to criticism of the hundredth monkey theory of telepathic group mind - letter to the editor Whole Earth Review, Autumn, 1986 by Lyall Watson
I accept Amundson's analysis of the origin and evolution of the Hundredth Monkey without reservation. It is a metaphor of my own making, based -- as he rightly suggests -- on very slim evidence and a great deal of hearsay. I have never pretended otherwise.
I take issue, however, with his conclusion that, therefore, the Hundredth Monkey Phenomenon cannot exist.
百匹の猿の起源と進化についてのAmundsonの分析を何らの留保なく受け入れます。Amundsonが正しく示したように、あれはほんのわずかの証拠と多くの伝聞を基に私が創ったメタファー(比喩)です。私は偽りを述べてはいません。
しかしながら、私はしたがって、「百匹目の猿現象」が存在しえないという彼の結論には異議があります。
It might have come to be called the Hundredth Cockroach or Hairy Nosed Wombat Phenomenon if my travels had taken me in a different direction. As it happened, I was already interested in the nonlinear manner in which ideas and fashions travel through our culture, and the notion of quantum leaps in consciousness (a sort of punctuated equilibrium of the mind) was taking shape in my own mind when I arrived in Japan. It was off-the-record conversations with those familiar with the potato-washing work that led me to choose a monkey as the vehicle for my metaphor.
他の場所に旅行に出かけていたら、それは「百匹のゴキブリ現象」とか「百匹のケバナウォンバット現象」と呼ばれていたかもしれません。
たまたま、私は既に思考とファッションが私たちの文化を伝わる非線形の方法に興味を持っていました。そして、私は日本に到着したとき、心の中で意識における大躍進[quantum leaps]の概念(ある種の心の断続平衡状態)を具体化していました。イモ洗い行動を知る人々とオフレコの会話してみて、私はメタファー(比喩)を語る手段として猿を選びました。
....
I based none of my conclusions on the five sources Amundson uses to refute me. I was careful to describe the evidence for the phenomenon as strictly anecdotal and included citations in Lifetide, note to validate anything, but in accordance with my usual practice of providing tools, of giving access to useful background information.
私の結論は、Amundsonが私を論破するために用いた5つのソースに基づいていません。厳密に逸話としてあの現象についての証拠を慎重に記述しています。「生命潮流」の引用文献は、何かの論拠とするためではなく、私がいつもやるように道具、および有用な背景情報へのアクセスのためとして提示したものです。
Lyall Watsonは捏造ではなく、「メタファーを語るための手段として猿を使った」だけだと言う。これを真に受けると、幸島で"百匹目の猿"現象が起きていないことになる。
"百匹目の猿"を主張した本人が事実でないことを認めてしまったのだから、"百匹目の猿"は終わりになる.....
かと思うと、それは甘く、"百匹目の猿"は終わらなかった。
多くの語り手たちによって、多くの変種が生み出されながら、"事実"として語り継がれることになった。[次回へ続く...]
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