このCATO InstituteのAndrew J. Coulsonが、CATO Institute公式ブログの2007年1月25日付けのエントリ「Why “You Evolved, Dammit!” Is Bad Ed. Policy」で、米国の学校では進化論と創造論のどっちを親の希望する方を教えればいいと主張した。これまでもCATO Instituteは同様の主張を行っている:
==>2005年1月21日 Neal McCluskeyの記事
==>2005年7月11日 David Boazの記事
==>2005年11月18日 Andrew J. Coulsonの記事(FoxNews)
今回の記事でAndrew J. Coulsonは創造論を教えることを禁じるの正しくない理由を4つ挙げた。
Illiberal:(反自由)と主張して:
It is illiberal because it makes the government the sole arbiter of absolute truth, and this is wholly at odds with a founding principle of our nation: freedom of thought and belief. If we accept the principle that government is in possession of absolute truth, and that this truth is derived from the application of scientific methods to natural observations, then where would we draw the line? Why would we stop at mandating evolution? Why, in particular, would we allow parents to pass along any religious views at all to their children?
それが政府を絶対的真理の唯一最高の権威とするので、自由を侵す。これは米国建国の原則たる思想・信条の自由にまったく反する。政府が絶対的真理の所有者であるという原則と、この真理が科学的手法を自然観察に適用したものだということを受け入れるなら、どこで我々は歯止めをかけるのか? 進化論教育義務付けでとどまると何故言えるか? 特に、子供たちに宗教的に見方が押し付けられるのを両親が看過してもよいのか?
Undemocratic:(非民主的である)と主張して:
This policy is also incompatible with democracy. Those who insist that the teaching of evolution should be mandated generally claim to be supporters of the democratic process. But the majority of Americans do not subscribe to our view of human origins.そして、効率学校で創造論を教えることについての世論調査結果(賛成 58% 反対 38% 不明 7%: 2006/7/6-19 N=996)を例としてあげた。
この方針は、民主主義と相容れない。進化論教育を義務付けるべきだと主張する人々は、自らを民主的プロセスの支持者だと主張する。しかし、大多数の米国人は人間の起源の見方について進化論に同意しない。
Divisive:(対立をもたらす)と主張して:
It is indisputable that mandating a minority view on human origins in the official government schools has been hugely divisive from the beginning. Advocates of such mandates contend that comity and consensus are fostered by the need to battle over what will be taught in public schools. But the Scopes “monkey trial” is now 80 years in the past and we are still arguing over the same question ? and with just as much alacrity. As Neal McCluskey’s paper shows, the notion that our battles on the subject have promoted comity and consensus is patently contradicted by the facts.
公立学校で人間の起源について少数意見を義務付けることは、最初から大きな対立をはらんでいたことは明白だ。そのような義務付けの支持者たちは、友誼とコンセンサスが促進されると主張する。Scopes "monkey trial"から80年になるが、我々はまだ同じ問題をめぐって、同じような調子で議論を続けている。 Neal McCluskeyが論文で示したように、この問題に関する我々の戦いが、友誼とコンセンサスを促進したという考えは、明らかに事実に反する。
Ineffective:(効果がない)と主張して:
It. Doesn’t. Work. Proponents of mandating the teaching of evolution as the sole explanation of human origins assume that doing so ensures that view is learned. That belief is also contradicted by the facts. After well over half a century during which natural evolution has been the sole official explanation for human origins in the nation’s public schools, the American public’s beliefs on the subject break down as follows.そして、進化・創造についての世論調査結果(God Guided 36%, God had no part 13%, God Created 46%, Unsure 5%: N=1002 2006/5/8-11)に過去20年変化がないことを挙げた。
まったく効果がない。進化論を人間の起源の唯一説明として教育することを義務付けることを指示する人々は、その見方がちゃんと学ばれるものと仮定する。しかし、それは事実に反する。米国の公立学校で進化だけが人間の起源の公式説明として教育されて半世紀以上が経過している。しかし、米国人は次のように考えている。
Andrew J. Coulsonの4つの主張のうち、重いのは、自由と民主という原則に反するというIlliberalとUndemocraticだろう。
これに対して言うべきことは簡単...というわけにはいかないだろう:
- 科学における思いつきと理論の隔絶した差
科学は一時的真理であって、観測事実によって理論は修正あるいは破棄される。
==>忘却からの帰還:一時的真理と帰納とをつらつらとQ:科学もまた教義ではないのか? 科学はその理論に固執し、他の代替理論あるいは正しい見方の可能性を受け入れない。そして、理論が間違っている可能性を認めない。
A:科学は、論理と証拠に基づく他の理論よりも、よりよく現実の観測事実を説明する時のみ、その理論を一時的真理とみなす。論理と証拠に基づく新たな理論がよりよく現実の観測事実を説明するか、現在の理論に反する証拠が見つかるまでは、理論を修正したり、別な誰かが提唱する別の理論を受け入れる理由はない。言葉だけあるいは信仰だけでは、誰の提唱した理論も科学は受け入れない。証拠と論理だけが、理論を認めることを正当化できる。
http://humanists.net/avijit/article/aparthib/science_vs_dogma.htm
だからこそ、長きにわたって、修正され続け、生き残ってきた理論は、信頼度が高い。少数の観測事実にあわせた思いつきとは比較にならない。創造論と進化論は同等に扱えるものではない。6000光年より彼方の星が見える理由について、創造論者自身が納得できるようなモデルがないという状態では、学校教科書に載せるには程遠い。 - もはや普通の人々に手の出せなくなった科学
==>忘却からの帰還:数学は科学を素人の手の及ばないところに持っていく生物学の中でも、まだ素人に手が出せる領域は、生態学や動物行動学のような行動にかかわる分野である。しかしこれさえも1970年代には数理化されるようになった。1970年代半ばまでは、動物の行動について、世間の人々が誰でも納得できるような一般向けの記事を書くことは、まだ可能だった。... 生物学者が集団遺伝学や経済学で用いられる数理的道具を行動の研究に使えないかと試すようになった1970年代に、事態は密かに、しかし劇的に変化した。[ロビン・ダンバー (松浦俊輔 訳) 「科学がきらわれる理由」pp.205-206, 1997]
==>忘却からの帰還:IDは米国人の無知につけこむ by Lord J-Bar残念ながら、米国の大半の市民は科学についてちゃんとした理解がない。特に仮説や理論が反証可能でなければならないという点について、科学的方法をほぼ誤解している。さらに、理論は何かを証明するものではなく、証拠によって支持されるものだ。ほとんどの人々はこれを逆だと思っている。人々は科学は何かの存在を証明し、科学的真理が絶対確実な法則になるのだと思っている。
[Lord J-Bar: Intelligent Design Is Actually Quite Clever]
民意によって理論の正しさを決定できない。特に、理科の教科書内容とすべき、科学界のコンセンサスの範囲の基礎を選び出すには、かなり全般な理解が必要。 - 科学は宗教ではない
==>忘却からの帰還:方法論的自然主義 on wiki方法論的自然主義は、超自然が科学的研究法で使えないという限定的な見方である。多くの科学哲学者は科学的研究の基本的な要件は、経験的に検証可能でなければならず、実効的に自然界の研究と説明に限定するものだと考えている。このタイプの自然主義は、定義において自然界で検証不可能である超自然の存否について何も言わない。存否に言及しないのは実用の問題なので、方法論的自然主義と存在論的超自然主義は両立しうる。たとえば、自然科学者は科学的な仕事において方法論的自然主義に従うが、神(存在論的超自然主義)を信じているかも知れない。あるいは無神論者(存在論的自然主義)かもしれない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Philosophical_naturalism
方法論的自然主義を原則とする科学は、キリスト教の神のような超越的な神に言及できない。価値・意義・目的も語らない。従って、思想・信条の自由を以って、創造論教育を主張することは適切ではない。
CATO Instituteの主張は、忘却からの帰還でも扱ったネタの例で言えば、Lyall Watsonの捏造である「百匹目の猿現象」[ie. 百匹目の猿の撃墜]や「グリセリンの結晶化」[ie. シェルドレイクに合体するグリセリン]が理科の授業で教えられる学校を保護者が選択できてもよいとか、教科書に載せるべきか民意にゆだねるべきだとかいう主張に相当するだろう。
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