2007/02/25

方法論的自然主義の排除を唱えるインテリジェントデザインの父Phillip Johnson

久しぶりにインテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonの執筆物が、インテリジェントデザインの本山たるDiscovery Instituteのサイトに2007年2月19日に出現した。それが「Intelligent Design in Biology: the Current Situation and Future Prospects(生物学におけるインテリジェントデザイン:現状と展望」である。もちろん法学の退役教授であるPhillip Johnsonに生物学の議論ができるわけもなく、お話だけ:
The goal of the Intelligent Design Movement is to achieve an open philosophy of science that permits consideration of any explanations toward which the evidence may be pointing. This is different from the current restrictive philosophy that rules out of consideration the possibility that a creator may be responsible for our existence, even if the evidence is pointing in that general direction. Whether or not it is successful, the IDM has made a contribution to a better understanding of reality.

インテリジェントデザイン運動の到達点は、証拠が指し示すかもしれない、いかなる説明の考慮も許容する科学の開いた哲学の実現である。これは、たとえ証拠が指し示そうとも、我々の存在に創造主が関わっている可能性を考慮することを排除する、現在の制限的哲学とは異なる。成功したかどうかにかかわらず、インテリジェントデザイン運動は現実のより良い理解への貢献をした。
"制限的哲学"(restrictive philosophy)とは、科学の原則たる方法論的自然主義(Scientific Naturalism)を指す。これは、超自然の存否を仮定せずに自然因のみよって自然界に観測される現象を説明できるという方法論的仮定をき、経験的に検証不可能かつ反証不可能な超自然因は存否にを含めて対象外とする。

「超自然は存在しない」という張は、形而上学的自然主義(Metaphysical Naturalism)と呼ばれる。これは科学的に証明も反証も不可能であり、科学ではなく形而上学に分類される。

==>忘却からの帰還:方法論的自然主義 on wiki

超越的な神と方法論的自然主義の関係は、もともとの機械論の誕生時点から特に変わっていない。すなわち、「機械論で説明できないことが起きたら、それは超越的な神の介入すなわち奇跡」であるというもの。この主張そのものは"機械論"の外側で為される神学の主張。"機械論"の枠内で言えることは「説明できない」だけ。

これに対して、インテリジェントデザインの立場では、方法論的自然主義と形而上学的自然主義を同一視し、科学的唯物論(Scientific Materialism)と呼び、科学は超自然を否定するものと主張する。そして、科学の再定義を行って、科学から方法論的自然主義という枠を取り払えと言う。今回の記事も、あーたらこーたらと長いが、Phillip Johnsonの主張は、方法論的自然主義の排除のみ。

==>忘却からの帰還:方法論的自然主義
==>忘却からの帰還:方法論的自然主義の拒絶に転換した?インテリジェントデザイン


I am still convinced that the possible role of intelligent causes in the history or life will eventually become a subject that leading scientists will want to address in a fair-minded manner. For now, the influential scientific organizations are passionately committed to explanations that consider only material causes, so they reject out of hand any suggestion that intelligent cause may also have played some role. It seems that supporting materialism, rather than following the evidence to whatever conclusion it leads is their prime commitment.

歴史および生命におけるインテリジェントな原因の可能な役割を、指導的な科学者たちが公正な方法での主題としたくなると今も確信している。現在は、影響力ある科学研究機関
唯物的原因のみを考える説明のみに関わり、インテリジェントな原因が何らかの役割を果たしたという示唆は何であっても拒絶している。これは、いかなる結論にも導かれる証拠に従ったものではなく、唯物論に従ったもののようだ。
方法論的自然主義を排除した、すなわち再定義された科学を当然の前提としている。もちろん、証明も反証もできない超自然を持ち込まれた科学は、従来は自然神学とでも呼ばれたものになるのだろう。

これまでインテリジェントデザイン運動が相手にしていたのは、超越的な神について、その存否を含めて言及しない"科学"だった。しかし、方法論的自然主義を排除したら、その戦場に、神は存在しないという唯物論を招き入れることになる。というのは科学の原則たる方法論的自然主義がなくなれば、形而上学的自然主義(超越的な神はもとより超自然はすべて存在しない)もまた"科学"になれるからだ。

そして、インテリジェントデザインが進化論に対する"Negative Argument"として実装されているように、形而上学的自然主義も超越的な神に対する"Negative Argument"として実装可能。たとえば、神様がいるとするなら説明できない現象を次から次へと挙げていき、答えられなければ神様は存在しないという論法をとりうる。これが"科学"として取り扱われることになる。

もちろん、いずれの"Negative Argument"も、経験的に証明も反証もできない。つまり、決着のつかない終わりなき議論が続くことになる。

タグ:id理論 DI
posted by Kumicit at 2007/02/25 00:01 | Comment(5) | TrackBack(0) | DiscoveryInstitute | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>インテリジェントデザインの立場では、方法論的自然主義と形而上学的自然主義を同一視し、科学的唯物論(Scientific Materialism)と呼び、科学は超自然を否定するものと主張する。

神を経由しない説明は神の排除にほかならないという理屈だと思われます。

>神様がいるとするなら説明できない現象

そんなものが存在するとは思いもよらないのでしょう。
Posted by 地下に眠るM at 2007/03/01 00:03
たしかにDr. William Dembskiは2006年4月17日にも
--->
http://www.uncommondescent.com/intelligent-design/sobers-progenic-fallacy/

Fourth, if the Darwinian theory of evolution is neutral on the question of whether supernatural designers exist, then supernatural designers have no explanatory in accounting for the evolution of life. But that’s NOT a neutral position: it is making the epistemological claim that supernatural designers can never be objects of knowledge that may count against the deliverances of “science.” On the other hand, if such beings could be the objects of knowledge, then Darwinian evolution is presently agnostic, not neutral, on the question. In other words, it is possible that some future account may rule in or rule out supernatural agency.

ダーウィン進化論が超自然的デザイナーの存否について中立なら、超自然的デザイナーは生命の進化の説明に必要ない。それは中立ではない。科学の解放にとって不利となる超自然的デザイナーが知識の対象ではないと、エペステメな主張をしている。一方、そのような存在が知識の対象でありうるなら、ダーウィン進化論はこの問いについて中立ではなく不可知論的である。言い換えるなら、将来的に超自然的エージェンシーを考慮するかも知れず、排除するかも知れない。
<--
と言ってますね。これから見ると、「機械論で記述できない現象は神の介入たる奇跡である」という言明が「機械論の内側」の言明であるべきだというのが、DembskiとかPhillip Johnsonの主張みたいです。というと高尚な神学論争ふうに見えますが...


Posted by Kumicit 管理者コメント at 2007/03/02 01:35
なるほど、非AはAの内側にあるべき、ですか・・・
クラインの壺ですな。しかも「べき論」で・・・
規範的位相幾何学へ理屈とでもいうのでしょうか。

・「非目的論で記述できない現象は目的論である」という言明が非目的論の前提でなければならない

なんてのはどうでしょうね?
ID論は特定宗教に拘泥しすぎていますが、世界を目的論的秩序としてとらえたい欲求は理解できます。
反進化論のコアは、目的論的志向性だと考えます。
Posted by 地下に眠るM at 2007/03/02 02:34
>>神様がいるとするなら説明できない現象
>そんなものが存在するとは思いもよらないのでしょう。

有名どころだと...
・全知問題:神様が全知だったら、神様本人にも自由意志がない
・悪の問題(神議論):慈しみ深き全能の神様が、自然災害や疫病を創ったのは何故か。

いずれも古典的かつ未解決の問題で、いつまでだっても神学者たちの論文ネタ。というか、神学者たるもの、自分流の神議論のひとつも語れなければ...

実際、インテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiも神議論を書いてます。
http://www.designinference.com/documents/2006.05.christian_theodicy.pdf

ということで、インテリジェントデザイン理論家たちも、よーく知っているはずです。

まさか、科学のフィールドで「神様いるとしたら何故こんなことが...」シリーズと戦うことになるとは思っていないのでありましょう。
Posted by Kumicit 管理者コメント at 2007/03/03 00:31
創造論バージョンの目的論とは、「生物は複雑すぎて自然に発展し得ないからデザインだ」というデザイン論のことのようです。
インテリジェントデザインの父Phillip Johnsonバージョンだと、有神論と目的論の区別がつきません。

http://transact.seesaa.net/article/35168931.html
Posted by Kumicit 管理者コメント at 2007/03/04 09:52
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