2007/03/04

創造論な目的論

目的論と創造論の関わりを見てみよう。

インテリジェントデザイン

ということで、神学と哲学を得意分野とするインテリジェントデザインを見てみる。

わかりやすいインテリジェントデザインの説明と言えば、本山たるDiscovery Instituteよりも、Calvert弁護士と生化学なDr.HarrisのIntelligent Design Networkである:
Those who believe that life is an occurrence are materialists. Those who believe that life reflects design are teleologists. A teleologist is one step removed from a theist. A materialist is one step removed from an atheist. If we are teleologists our views about religion, government and ethics will likely be very different from those of materialists. So, should science and government lead us to be materialists or teleologists, or should they simply fully inform us so that we may make our own "informed decision" about the matter?

生物が出来事であると思っている人々は唯物論者です。生物がデザインを反映したものだと思っている人々は目的論者です。目的論者は有神論者から一歩離れた人です。唯物論者は無神論者から一歩離れた人です。私たちが目的論者なら、宗教や政府や倫理についての見方は、唯物論者のものとは大きく異なるでしょう。では、科学と政府は私たちを唯物論者に導くべきでしょうか?それとも目的論者に導くべきでしょうか? あるいは私たち自身が「情報に基づいた決定」ができるように、問題について私たちに完全に情報を知らしめるだけにすべきでしょうか?

...

The stark contrast between the teleologist and the materialist is simply made by Lewis in his observation that:
目的論者と唯物論者との際立った対比は、ルイスの観察によって簡単に与えられます:
The first big division of humanity is into the majority, who believe in some kind of God or gods, and the minority who do not. On this point, Christianity lines up with the majority -- lines up with ancient Greeks, and Romans, modern savages, Stoics, Platonists, Hindus, Mohammendans, etc., against the modern Western European materialist.[C.S. Lewis, Mere Christianity: What One Must Believe to be a Christian, p.43]

人類の第1の大きな分水嶺は、何らかの神あるいは神々を信じる多数派と、そうでない少数派に分かちます。キリスト教は、古代ギリシャや古代ローマや現代の未開人やストア派やプラトン学派やヒンズーやイスラム教などと並んで多数派に位置します。そして、現代西欧の唯物論者と対置します。
[John H. Calvert: "Are we designs or occurrences?--Should science and government prejudge the question?
]
さすがはJohn H. Calvert法学博士である。とっても明確だ。目的論とは「生物がデザインを反映したもの」という考えで、あと一歩で有神論というポジション。すなわち目的論とは「デザイナーを特定しないインテリジェントデザイン」そのものを指すようだ。

というか、目的論という用語は使っているものの、アリストテレス的な目的因と無関係である。

さて、インテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonはどうかと言えば:
At one time the Catholic natural law philosophy of Thomas Aquinas and his followers dominated European thinking, but its metaphysical foundations were undermined as science replaced Aristotelian teleology and Catholic theology with a materialist worldview that considers only efficient causes.

一時は、トーマス・アクィナスと彼の支持者のカトリック自然哲学はヨーロッパの思想を支配した。しかし、科学が、アリストテレスの目的論とカトリック神学を、動力因だけを考慮する唯物論的な世界観と入れ替えたので、その形而上学的基礎は徐々にむしばまれた。

...

Richard Dawkins merely states in unvarnished form doctrines that other scientific metaphysicians take for granted: In the beginning were the particles and the impersonal laws of physics; life evolved by a mindless, non-teleological process in which God played no part; and human beings are just another animal species. Human thoughts and actions are caused by synapses firing in the brain. To claim a special status for humans is to commit the sin of speciesism, a self-serving prejudice that could hardly arise in a culture without culpable rationalizations.

リチャード・ドーキンスは、他の科学的形而上学者が当然と思う素朴な教義において述べるだけだ。「始まりは粒子と非人格的物理法則。生物は精神なき、神が役割を持たない非目的論的過程で進化した。人間の思考と行動は脳内のシナプスの発火によるもの。人間が特別な地位を持つと主張することは種差別すなわち、間違った合理化のない文化では起こりえない利己的な偏見の罪を犯すことである。」と。
[Phillip E. Johnson: "Metaphysics Matters", First Things 97, November 1, 1999]
Phillip Johnsonによれば、「神様の役割がない」ことが「非目的論的」らしい。というか"Non-theological"と間違えてるようだ。

ついでだが、「人間の思考と行動は脳内のシナプスの発火によるもの」を並べ立てていることから、Phillip Johnsonは物質としての脳と相互作用しているエンティティを想定していることは明らか。おそらく、それはシナプスネットワークによって記述されるソフトウェアのようなものではなく、非物質的かつ実体として存在する魂。


若い地球の創造論

Ken Hamが主宰する最もアクティブな"若い地球の創造論"サイトAnswers in Genesisはもうちょっとまともだ:
http://www.answersingenesis.org/tj/v18/i3/darwin.asp
Teleology (explaining present structure in terms of its future purpose) is supposed to have died when Darwin showed that the ‘appearance of design’ could be explained by natural selection. No purpose is needed, just a blind process of random change that is selected for survival by the environment. [2004/9]

現在の構造を未来の目的によって説明する目的論は、ダーウィンが見かけのデザインは自然選択で説明できると示したときに、死んだと思われる。目的は必要なく、ランダムな変化の盲目の過程が環境によって生存するように選択されればいい。

http://www.answersingenesis.org/creation/v17/i4/darwin.asp
Darwin 'refuted cosmic teleology' (that is, that the universe has a purpose). The existence of the universe is just a giant accident; it has no purpose. [1995/9]

ダーウィンは宇宙の目的論を論破した。すなわち宇宙は目的を持たない。宇宙の存在は巨大な事故である。目的はない。

http://www.answersingenesis.org/creation/v2/i4/creation.asp
Any view of origins is inherently teleological, i.e. concerned with why, not just how! Science persons have long disregarded teleology as being legitimate, but no view of origins exists without it.[1979/10]

起源の見方は本質的に目的論的である。"いかに"ではなく"何故"に関わる。科学者たちは長きにわたって目的論を正統なものと見なしてこなかった。しかし、目的論なしに起源の見方はありえない。
CalvertやPhillip Johnsonの主張が神なしに成り立たないのに対して、こっちは神様がいなくても成り立つ論になっている。「現在の構造を未来の目的によって説明する目的論」というのも明瞭だ。

Kheper website

たまたま、Kheper website: Theleologyというページに"Theistic (Dualistic) Teleology"という項目があるのを見つけた:
Monotheistic Creationism, which holds the existence of an external deity who has designed the world, represents Dualistic Teleology. In Christian theology, teleology represents a basic argument for the existence of God, in that the order and efficiency of the natural world seem not to be accidental. If the world design is intelligent, an ultimate Designer must exist. This is the so-called argument by design that was used by theologians right up until Darwin's day. The teleological argument for the existence of God holds that order in the world could not be accidental and that since there is design there must be a designer. e.g. if you see a watch lying in the sand you assume someone built it (in a factory, say) because it is inconceivable that such a complex structure could arise by chance. Similarily it is argued that complex things like living beings could not have possibly arisen through chance.

世界をデザインした外部の神の存在を考える一神教の創造論は、二元論的目的論を代表する。キリスト教の目的論は、自然界の秩序と効率が偶然とは考えられないから神が存在するという基本的な論の代表例である。もし世界のデザインがインテリジェントであれば、究極のデザイナーが存在するはずだ。これはデザイン論と呼ばれ、ダーウィンの時代まで神学者たちに使われた。神の存在について神学論とは、世界の秩序が偶然でありえず、デザインが存在するからデザイナーが存在するというもの。たとえば、あなたが時計が砂の上にあるのを見たら、あなたはそのような複雑な構造が偶然に出来上がるとは考えられないので、誰かがそれを工場で作ったと仮定する。同様に、生物のような複雑なものは、おそらく偶然では出来上がらないと論じる。

Teleologists, like Vitalists, oppose mechanistic interpretations of the universe that rely solely on organic development or natural causation. Darwin's theories of evolution, which hold that species develop by natural selection, was devestating to teleolgy, because it showed that complex structures like living organisms could arise through "chance". Teleological arguments for Design were revived however during the upsurge of creationist sentiment in the early 1980s onwards

生気論者[生物にのみ働く力がある]のような目的論者は、生物の発展や自然の因果律にのみ依存した宇宙の機械論的解釈に反対する。ダーウィンの進化論は、自然選択で種が発展すると主張するが、これは生物のような複雑な構造が偶然に出来上がることを示すものなので、重く敵論にとって破壊的である。神学的デザイン論は1980年代初頭の創造論者の意見の高まりにおいて復活した。
最終的な目的因を持つというアリストテレスな哲学的目的論とはまったく異なり、創造論的目的論とはデザイン論であるという主張。

どうもこれが正しい解釈のように思われる。インテリジェントデザインの主張はまさにこの目的論に該当している。また、「目的論は、ダーウィンが見かけのデザインは自然選択で説明できると示したときに、死んだと思われる」というKen Hamたちの主張も、指し示すのはWilliam Paleyのデザイン論である。


ちなみに同じKheper website: TheleologyにはProcess Teleologyという目的論も挙げられている。これは生物や宇宙の進化が、内在的な力によって導かれるものであり、進化には到達点があるというもの。その到達点こそ神であると言ったら、オメガポイント理論になる。


創造論な目的論は結局デザイン論である

...ということになるらしい。

つまり、創造論の背後に目的論があるのではなく、デザイン論という創造論バージョンの目的論がある。それは、「生物は複雑すぎて自然に発展し得ないからデザインだ」というインテリジェントデザインの主張そのもの。

すなわち、インテリジェントデザインとは創造論における、これを欠いたら創造論ではないという最低主張を述べたもの。

posted by Kumicit at 2007/03/04 09:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | Creationism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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