ヒラリー パトナム [訳: 藤田晋吾, 中村 正利]: "事実/価値二分法の崩壊", 2006/07[Amazon]
を読んでみた。
内容はというと
Hilary Putnam[wikipedia]が、Amartya Sen[wikipedia]の厚生経済学を擁護する立場から、経済学などにおける事実と価値の境界線を主として論じたもの。
科学哲学については、第2章「事実と価値の絡み合い」のpp.35-36と第8章「科学哲学者たちの価値からの逃避」の全体(pp.170-182)で触れられている。ただし、Naturalistic fallacyやその単純化バージョンであるAppeal to Natureについての議論は一切なし。
科学についての主張の根幹は、科学における仮説選択が
- 首尾一貫性(Consistency)
- 尤もらしさ(Plausibility)
- 理に適っていること(Reasonableness)
- 単純さ(Simlicity)
その事例として、一般相対性理論が正しい理論として選択された過程を挙げる:
- 競合する理論であるWhiteheadの重力理論を論破したのは:
Will, CM: "Relativistic gravity in the solar system, II: Aniotropy in the Newtonian gravitational constant", Astrophys. J., 169, 409-412, 1971 - 日蝕観測によって一般相対性理論の予測が確認されたとされるが、これは「質の良くない」写真のどれを信頼するかに依存した。一般相対性理論のしっかりした根拠が見出されたのは1960年代のことである。
とりあえず、うらをとってみる
このHilary Putnamが例に挙げた一般相対性理論の件は間違いではない。検証実験で区別がつかないのであれば、首尾一貫性や"美しさ"が仮説選択の判断に入り込むことはありうる:
一般相対論は数学的に首尾一貫した完結した理論であるから完成までのアインシュタイン自身の試行錯誤を除くと特殊相対論のときと同じく、その正しさに対する激しい議論を呼び起こさなかった。この点はあらゆる検証実験に耐えただけでなく、いわば現代文明を支えている量子力学が未だにその基礎づけに多くの研究者が疑問を持ち、盛んに研究をされているのと好対照である。対比して言えば、量子力学はその記述力にも関わらず美しさに欠け、一般相対論は現象の記述力はなくても圧倒的に美しいのである。従ってアインシュタインのような審美家にとっては一般相対論が正しいというのは疑う余地のない事であった。勿論、各種の亜流理論はあって、とりわけ著名な数学者であり哲学者であったホワイトヘッドの重力理論はアインシュタインの脇腹に刺さったとげと表現された。またあるパラメータが特定の値になるときに一般相対論と一致するという形でより一般化されたブランス・ディッケの理論はその性格上一般相対論が通過する検証テストを常に通過し、一般相対論の唯一性に対する深刻な反論となっていた。しかしながら一般相対論が比較的簡単な形を取りながら様々な検証テストに耐え、最近ではブラックホールを含めて多くの宇宙物理的知見を予言するに至って、一般相対論を否定することはますます難しくなりつつある。また、wikipedia:Tests of general relativityによれば、Sir Arthur EddingtonのチームがSobralとCeará とBrazilとアフリカ西海岸で実施した同時観測では精度が低く:
[早川尚男:相対論入門(物理学概論第2回)]
Considerable uncertainty remained in these measurements for almost fifty years, until observations started being made at radio frequencies. It was not until the late 1960s that it was definitively shown that the amount of deflection was the full value predicted by general relativity, and not half that number.そして、wikipedia: Whithead's Theory of Gravitationの記述では、太陽系の記述についての4つの検証について、一般相対性理論と同一の予測を作る。しかし、Clliford M. Willが、Whiteheadの理論は地球の潮汐について観測事実に合わない予測を作るので、棄却されることを見出している:
[4] Lenard, P. (1921). "Über die Ablenkung eines Lichtstrahls von seiner geradlinigen Bewegung der Planeten und Monde nach der Einsteinschen Gravitationstheorie". ''Physik. Zeitschr. 19: 156-163.
[1] Will, Clifford & Gibbons, Gary. "On the Multiple Deaths of Whitehead's Theory of Gravity", to be submitted to Studies In History And Philosophy Of Modern Physics (2006).
[2] Hyman, Andrew. "A New Interpretation of Whitehead's Theory", 104B Il Nuovo Cimento 387 (1989).
以上、Hilary Putnamの挙げた例は、まっとうなものである。
さてと...
首尾一貫性(Consistency)・尤もらしさ(Plausibility)・理に適っていること(Reasonableness)・単純さ(Simlicity)あるいは数学的美などの認識的価値が、科学の実行に絡み付いているというのは、特に異論はない。
経験的に検証可能な範囲で、同じ結果を与える有象無象の仮説群をいちいち、とりあうにほど暇も金も人も潤沢ではない。というか、そんなことをしていても、何の成果も出てこない。だからこそ、「同じことを説明するなら、複雑な仮説よりも単純な仮説の方がいい」というオッカムの剃刀があったりするわけで。
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