マタイによる福音書20章1-16節について、麗しい解釈があるようだが...
ベーシックインカムという発想のベースには、ひょっとしたら聖書の「ぶどう園の労働者のたとえ」があるのかもしれない。 http://www12.ocn.ne.jp/~imbrch77/11aitoroudou.html … あのたとえが知られてない日本では、BIも賛同を得られないか、全く別の文脈に歪められたシロモノになりそうだ。
[クララ・キイン(トンデモ本大賞6月8日) (2013/04/25)]
神さまは、わたしたちの尺度を超えて、すべての人が生きること、どんな人も希望を持って生きられる世界を示しています。
[相澤弘典: "今治教会聖日礼拝説教" (2010/06/13)]
実際の記述は...
以下のマタイによる福音書20章1-16節は....「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
...の意味するところは、「聖書に加筆されたリベラルな記述を削除して、正しい聖書をつくる」保守的聖書プロジェクト(by 保守wiki)によれば....At issue is not the principle of "equal pay for comparable worth," but that an employer has the absolute right to pay whatever wage he wishes to pay, so long as he honors his agreements without discrimination. In the same way, God has the absolute right to reward those of us who serve Him exactly as He wishes, and He will always reliably honor the agreements He makes.
これは「同一労働同一賃金」の原則の問題ではなく、差別な契約を遵守する限り、雇用主は自分が払いたいと思う賃金を払う絶対的な権利があることを述ている。神は神に仕える者たちに、神の思うがままに報いる絶対的な権利を持っている。そして、神は自らが結んだ契約を確実に遵守する。
[Conservative Bible:Matthew_20-28]
つまり、保守的には、マタイによる福音書20章1-16節は雇用主の絶対的権利を語ったものである。
posted by Kumicit at 2013/04/26 09:21
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