2013/05/16

Phillip Johnsonは、創造後の宇宙への神の介入は当然あると考えている

インテリジェントデザインの父たる法学者Phillip Johnsonは、創造後の宇宙への神の介入は当然あると考えている。
As a theist I believe that God exists and that God creates. Although I insist that God has always had the power to intervene directly in nature to create new forms, I am willing to be persuaded that He chose not to do so and instead employed secondary natural causes like random mutation and natural selection. I have no preconceived idea about how long God took to produce the universe and all its forms of life, and no objection to the possibility that the process was sufficiently gradual to be termed "evolution." Most importantly, I agree that the truth of these matters should be determined by interpretation of scientific evidence --experiments, fossil studies and the like. Given these presuppositions, what should be my attitude towards the contemporary neo-Darwinist theory of evolution?

私は有神論者として、神が存在し、神が創造したと信じている。新たな生命形態を創造するために、自然界に直接介入する力を神は持っていると私は強く主張しているが、神がそうせずに、ランダムな突然変異と自然選択のような2次的自然因を使うことを選択した理由を、私に説得してほしいと思っている。私は、神が宇宙とすべての生命形態の創造にどれだけ時間をかけたか、特に前提を置いていない。「進化」と呼ぶべきほど十分に漸進的にプロセスが進んだ可能性にも異論はない。最も重要なことは、私はこれらの問題が、 実験や化石研究のような科学的証拠の解釈によって決定されるべきだと考えている。これらの前提のもとで、現代のネオダーウィニストの進化理論にどういう態度をとるべきだろうか?

{Phillip E. Johnson: "Comparing Hostage-Takers" (1997)]
もちろん、若い地球の創造論者の主張するように...
創世記 2章2節
第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。

ヨハネによる福音書 1章3節
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

ヘブライ人への手紙 1章3節
御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。

コロサイの信徒への手紙 1章17節
御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。
エネルギー保存則が成り立っているなら、創造行為は終了しており、したがって、それ以降の神の超自然な介入はない。
posted by Kumicit at 2013/05/16 23:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | ID: General | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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