2013/06/12

ノセボ...

ノセボは無意識的にも形成される可能性がある。そして、その症状は本物であり、容易には消せないかもしれない。そのようなノセボの理解が進みつつある....
[Penny Sarchet: "The nocebo effect: Wellcome Trust science writing prize essay" (2011/11/13) on Guardian]

癌だと告げると人は死ぬことがあるだろうか? 1992年に、Southern Medical Jourmalは、1973年に癌で余命1か月と診断された男性の症例を報告した。しかし、彼の死後、彼を検死解剖した結果、肝臓の腫瘍は成長していなかった。彼のインターンだったClifton Meadorは彼ががんで死んだとは考えていない。「私には彼の死の病理学的原因がわからない」とClifton Meadorは書いている。癌で死んでいないなら、彼は死亡するという思いが、彼を殺したというのだろうか?

この死は、プラセボと知られる効果のコインの逆側である「ノセボ効果」の極端な例かもしれない。不活性砂糖錠剤(プラセボ)を使用すると気分がよくなることがあり、架空の副作用警告(ノセボ)で気分を悪くすることがある。これは、医薬品の臨床試験にまつわる問題であり、1980年代の研究で、最初に薬物の副作用を警告されると、心臓病患者は抗凝血薬の副作用に苦しむ可能性が高いことがわかった。これは倫理的なジレンマを提起する。医師は副作用を悪化させるとしても、患者に副作用を警告すべきだろうか?

さらに、ノセボ効果は完成する可能性が高い。1962年には、米国の洋裁工場で62人の労働者は突然、頭痛、吐気、発疹に襲われた。そして、英国から輸入された布に付着していた昆虫が原因だと非難された。しかし、昆虫は発見されなかった。このような「集団心因性病気」は世界中で発生しており、閉鎖的なコミュニティに影響し、その症状を苦しんでいる者を見た女性たちに、特に急速に感染拡大する。

最近まで、我々はノセボ効果がどう働くか、ほとんどわかっていなかった。しかし、今では、多くの科学者がこの問題に取り組んでいる。2月のOxfordのIrene Tracey教授が主導する研究で、被験者たちがノセボの痛みを感じた時、MRIスキャナーは対応する脳活動を検出可能であることを示した。これは、少なくとも、神経学的レベルでは、被験者は実際に、思い過ごしでない痛みを感じていたことを示している。University of TurinのFabrizio Benedettiと共同研究者たちは、痛みが起きるという思いを、本物の痛みの認識に転換することに関与している神経化学物質のひとつを特定した。その化学物質はコレシストキニンと呼ばれ、神経細胞間のメッセージを伝達する。コレシストキニンを阻害する薬物を使用すると、同様の不安を感じているのに、被験者はノセボの痛みを感じなかった。

BenedettiとTraceyの発見は、ノセボ効果の基礎となる神経学への扉を開くものであるとともに、実際の医学的な意味も持っている。コレシストキニン阻害についてのBenedettiの成果は、医学的処置からノセボ効果を除去する技術に道を拓くとともに、痛みや不安の治療にも道を拓くものである。Traceyの研究チームの発見は、現代医療の実行方法について、驚くべき影響をもたらす。彼らは、強いオピオイド鎮痛剤を与えられた被験者の痛みのレベルをモニタした。そして、被験者に薬物の効果が切れたと告げると、被験者の痛みのレベルが薬物投与前にもどることを発見した。これは、患者のネガティブな期待が、治療効果を減殺する力を持っていることを示すとともに、患者の身体的症状のみならず、患者の信条も治療できることを示唆している。

これは医師と患者の関係にスポットライトをあてる。今日の社会は訴訟と懐疑に満ちており、訴訟を避けるために医師が副作用を強調すると、あるいは患者が医師の選択した方法を信頼しないと、ノセボ効果が起きて、治療を始める前に、治療が失敗することになる。ここにもまたパラドックスがある。医師の処方した治療法の効果を完全に得るために、我々は医師を信頼しなければならない。しかし、強く信頼すれば、我々は医師の言葉で死亡しかねない。

今日、急拡大する病気の多くは比較的新しいもので、症状についての苦情のみよって特徴づけられる。アレルギーや食物不耐症や背部痛は、ある人々には実際に生理的な病気として起き、別な人々にはノセボによって起きる。一世紀以上前、医師たちは人造薔薇に曝露することで、枯草熱の患者に喘鳴が起きうることを発見した。このような事例の観察は、人間の経験を病気として識別する前に、熟慮すべきだと示唆している。日々の不安はそのように扱われるべきで、一群の症状の心理学的症候群に仕立て上げるべきではない。製造業者の免責のために、新製品についての警告は厳密かつ正確、明確かつ一般的にになされるべきである。

科学者たちはノセボ効果の働き方について特定を始めた。それらの発見を使って、我々は21世紀最大の病気である不安に対処していけるだろう。
ノセボであろうとも、痛みは本物である。まれには死をもたらすことすらあるかもしれない。そんな強力なノセボは、訴訟回避のためのインフォームドコンセントで、患者に副作用を発生させているかもしれない。

これまでもノセボの感染現象が起きているという。さらに現在は、メディアの報道によってノセボを量産することさえある。「騒ぎすぎと言われようと安全側に判断を倒して報道する」ということが、別な実害を創りだしてしまうという困った事態である。

そして、発症しても自分ではノセボか否かを識別できそうにない。まさしく、21世紀最大の病気なのかも。
posted by Kumicit at 2013/06/12 22:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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