ただ、本気に寒波と言えるものは、歴史的には14世紀前半の寒冷化だろう。
1323年1月、デルタのガルビーヤ(Gharbia)地方では大雨と強風に続いて巨大な雹が降り注ぎ、作物や家畜に被害があった。この時、ガルビーヤ地方の71の村、ブハイラ(Beheira)地方でも32の村が荒廃したという。同様の雹についての記事は1316年、1338年、1346年にも見られるが、1344-1345年の降雹は特に激烈な異常気象として詳述されている。この年、エジプトでは稲妻・雷とともに雹が降り続いた。その後激しい熱波が襲来し、次に大雨とともに膨大な数の雹が降った。そのため村々の地面は白くなり、寒さの厳しさから上エジプト地方でも死者を出した。この時、水害と風害は多くの場所で見られ、デルタのナスティラーワ湖やダミエッタ湖、カイロの「象池」などであまりの寒さから魚が大量に死んだという。このときは、欧州方面でも同様の状況に陥り、ペストの大流行にみまわれることになる。
注目したいのは、こうした厳しい寒さについての記述が多いことである。14世紀前半のシリアについては、さらに数多くの冷害に関する情報を集めることが可能であるが、エジプトについても冬期の寒さが異常であるとする記事は少なくない。1337年11月には大量の降雪があった。以上のことから、世界的規模での寒冷化という14世紀の気候変動の影響がエジプトにも及んでいたことが推察されるのである。
ペスト大流行の直前に連続した異常気象・自然災害についても触れておかなければならない。特に1337年以降、エジプトの住民にとって自然環境の厳しさは度を越していたように見える。大雨・暴風・大雪・雹・洪水・渇水・熱風・ネズミの異常発生・地震などが絶え間なく続いた。そして、こうした異常気象をはじめとした自然災害の影響を最も強い形で受けたのが農業であったと考えられる。農民たちの中には村を棄ててカイロに向かう者が多くなり、そのためにカイロは乞食で溢れてしまったという。シリア・イラク・イランなどでも同様に自然災害が頻発したので、1340年代にはいると食糧価格の騰貴はこうした広い地域で慢性化した。シリアでは1342年と1346-1347年にイナゴの大群が農地を荒らしたことも特記しておかなければならない。つまり、エジプトだけでなく、近隣諸地域を含めて食糧の供給は極めて不安定な状態にあった。食糧供給の不安定さが疫病の流行に結び付きやすいという点からいえば、エジプトにおいてはペスト大流行の前提条件は、1337年以後の約10年間に完全に整えられていたのである。
[長谷部史彦, 14世紀エジプト社会と異常気象・飢饉・疫病・人口激減, 『歴史における自然』, 1989 pp.64-65]
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