共和党Fincher連邦下院議員の、フードスタンプ削減の論拠はテサロニケの信徒への手紙二/ 03章 10節『実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。 』[関連エントリ]
Stephen Fincher連邦下院議員のもうひとつの論拠はマタイによる福音書/ 26章 11節『貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。』[関連エントリ]
また、Faith Bible Baptist Churchはテモテへの手紙一 第5章を論拠に「飢饉のときも銭払え」「施しには対価を」「施しの対象は厳格に判断を」と主張する。[関連エントリ]
これらは、聖書には相反する記述が多くあるので、どうとでも使えることの例でもある。たとえば、申命記6章16節やルカによる福音書4章9〜12節では神を試してはいけないが、士師記6章36〜40節や列王記下20章8〜11節では神を試して、神はそれに応えている。[関連エントリ]
また、民数記 / 15章 32-36節で、神は言っている「土曜出勤は死刑」と。しかし、ヨハネによる福音書 / 5章 5-18節でOKになっている。[関連エントリ]
さらに局所的に引用することで、都合の良い論拠を創り出すProoftextingという手法まである。ランダムに二つ選んだら「ユダは立ち去り、首をつって死んだ。」(マタイによる福音書 / 27章 5節)と「そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』」(ルカによる福音書 / 10章 37節)というジョークが有名。[関連エントリ]
実例は多い。たとえば、詩編2編4節「天を王座とする方は笑う」は、神がユーモアのセンスを持っていることを示すと言うWaren牧師。しかし、原文の意味は真逆。
詩編 / 2編 1-6節 地上の王は構え、支配者は結束して、主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか。... 天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り、憤って、恐怖に落とし怒って、彼らに宣言される。「聖なる山シオンで、わたしは自ら、王を即位させた。」[関連エントリ]
ちょっと違ったパターンで、地球は温暖化しないという立場で、聖書を読み上げる共和党Simkus連邦上院議員という例もある。[関連エントリ]
マタイによる福音書25章14-30節を論拠に、化石燃料を使いまくれと主張する保守的根本主義団体幹部もいる。「怠け者の悪い僕」と主人が呼ぶ、不信心者の僕は、預けられたタラントンを地面に埋めて、何もせず、儲けなかった。化石燃料を燃やすなとい言うのは、これと同じだと言う。[関連エントリ]
特に、論敵を攻撃するときに、脈絡もなく聖書を引用する者たちは、Bible thumper (英語圏全般)あるいはBible basher(英国・豪州・ニュージーランド)とと呼ばれる。
政府による福祉を推進しようとする民主党オバマや共和党マケインたちを批判して、「神は貧者と貧窮者を助ける方法を聖書で3つ提示している。1) 家族 2)教会 3)個人の慈善だ。これらの3つ方法は以下の節にある。申命記14章28-29節と民数記18章24節とマタイによる福音書6章1-4節およびテモテへの手紙一 5章 3-16節である」と主張する者もいる。[関連エントリ]
さらに、テモテへの手紙一5章 3-10,16節とレビ記22章13節を引用して、教会による援助は「身寄りがない(生存する夫や子供や甥姪などがいない)、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった、善い行いで評判の良い、子供を育てあげた、旅人を親切にもてなした、聖なる者たちの足を洗った、苦しんでいる人々を助けたと、あらゆる善い業に励んだ」未亡人に限定されると主張する者もいる。[関連エントリ]
このあたりを見てくると、日本の生活保護制度はとてもキリスト教的・聖書的であると思える。
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