[Colliers, 1950/08/05 (copy on japanfocus)]
記事2〜3ページ眼には、原爆の直撃を受けた場所は跡形もなく消し飛び、ダウンタウン・ブルックリン・クィーンズから、対岸のホーボーケンまでが焼け落ちようとしている光景が載っている。
マンハッタン俯瞰とともに、以下のような地上から見た光景もある。
[Colliers, 1950/08/05 (copy on drexel)]
この記事の1年前の1949年8月29日に、旧ソ連はセミパラチンスクで最初の核実験に成功している。LIFEの1945年11月19日号のときと異なり、このときには、これらの想像図は現実味を帯びているように見えただろう。
[Colliers, 1950/08/05 (copy on drexel)]
このような核攻撃想定記事は週刊誌ばかりでなく、新聞にも掲載されるようになる。たとえば、1956年7月20日のBuffalo Evening Newsや、1956年7月21日のThe Grand Rapids Heraldなど...
いずれも、新聞社のある都市への攻撃を想定した、ご当地記事である。また記事の形式は、予測の説明というより、仮想報道である。
このような報道を受けて、米国の世論は、それなりに悲観的なものとなっていた。
政府の民間防衛映画から受けるイメージと異なり、米国の世論はそれほど楽天的なものだはなかった。
あなたの住んでいる所は粉砕されるか?
粉砕される 43% (人口50万以上の都市住民 63% 人口5万以下の町の住人 25%)
粉砕されない 38%
わからない 19%
あなたの家族は原爆戦争を生き延びられるか?
生き延びられない 38%
生き延びられる 29%
わからない 33%
[The Lewiston Daily Sun - Jul 11, 1956]
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